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2011年5月21日 (土)

”善のすすめ”は、すべて大沼師からの盗作

高森会長のように、ここまで徹底して盗作に励む人物は、他に類を見ないでしょう。高森会長は”無二の盗作師”といえるかもしれません。

特に大沼師の『方便より真実え 浄土真宗』は、本願寺との論争以来、”善のすすめ”の根拠としてフル活用しているといえます。

 真宗では、方便の二願は第十八願に誘導する階段と説かずに、むしろ邪魔物のように無視しておらるるが、方便の二願を捨て、第十八願がどうして真実であると知ることができますか、第十八願の真実を真実と知らすための方便の願ではないのですか。三願は孤立した願ですか、関連した願ですかと問うているのです。
(中略)
 だから聖人は、三願は孤立した願と扱うてはおられません。方便の二願を並べて、真実の第十八願に趣入する道程を見ておられます。
 至心信楽欲生と    十方諸有をすすめてぞ
 不思議の誓願あらはして真実報土の因とする。(第十八願)
 至心発願欲生と    十方衆生を方便し
 衆善の仮門ひらきてぞ 現其人前と願じける。(第十九願)
 至心回向欲生と    十方衆生を方便し
 名号の真門ひらきてぞ 不果遂者と願じける。(第二十願)
 三願転入が入信の順路でございます。これが方便から真実に帰入する道程であります。

『本願寺なぜ答えぬ』を始め、今でもよく使われるフレーズ

三願は孤立したものでない

の原点はここにありますし、

十九・二十の方便二願は、真実、十八願に転入する、十方衆生の道程と、みておられることがよくわかる。

として、『本願寺なぜ答えぬ』に出した三つの御和讃も、ここからきています。
もちろん、この「十方衆生」に着目したのも、元は大沼師です。

同じく『方便より真実え 浄土真宗』に

 彌陀の本願に十方衆生を救うという摂生の願が三つあると前にいったでしょう。第十八願が絶対他力の随自意の願で、この王本願の独り作用で救おうとしても、私たちの自力の執着が捨たらないから、その心を見抜いて、それならどれだけ自力ができるかやってみよと第十九願の随他意(凡夫の心に随うた願)の方便の願を建て、自力の行を自力の心で勤めてみて、自己の無能を知らして、もう一歩進めて、第二十願の随他意の方便の願を建て、他力の行(名号)を自力の心で励む、他力の中の自力なりまで進ますのが、親の念力です。(中略)
この第十九願の自力の中の自力なりを、上人が雑行といわれ、第二十願の他力の中の自力を雑修といわれ、この二願の相手の機は、自力の機執が捨たらないから「自力の心を振り捨てて」といわれ、第十八願の他力の中の他力こそ専修正行だから、この境地まで進みなさいと進められたのが、「もろもろの雑行雑修自力の心をふり捨てて」と仰せられたので、上人が勝手なことを仰せられたのではなく、彌陀の三願の真意を諦得したうえで述べられたのです。

とありまして、”蓮如上人の三願転入の根拠”も、やはり大沼師です。
宿善の厚薄も大沼師が言っていますし、高森会長の説く”善のすすめ”は、すべて大沼師からの盗作です。盗作でないと考えられていた『本願寺なぜ答えぬ』も、かなりの部分で盗作しています。本願寺に対する悪口、”死に本願寺、干餓死本願寺”でさえも、大沼師の盗作です。

さて、高森会長の実質的な師匠である大沼師が、最初に「十方衆生」に拘ったのですが、この考え方の間違いは、一年前のmixiでの法論以来、当ブログでも度々述べてきたことです。
まとめたものは

「親鸞会の邪義を正す」
”三願転入の教え”の誤り1

会員との問答(聖道門の19願に対する見解・宿善)

にありますので、よく理解されていない方は、そちらを読んでください。
簡潔にいえば、以下です。

・18願の「十方衆生」と19願の「十方衆生」とは意味が違う。
・「十方衆生」については、浄土門はもちろん、聖道門でも拘っていない。

十方衆生」に全く拘られなかった歴代の善知識方、「十方衆生」に執拗に拘る高森会長。「十方衆生」に拘れば拘るほど、歴代の善知識方と高森会長との違いが浮き彫りになり、同時に高森会長の実質的な師匠が大沼師であることを認めることになります。

参考までに言っておきますと、「十方衆生」というお言葉は、『大無量寿経』以外の経典にもたくさんあります。聖道門所依の経典にある「十方衆生」については、どうすべきでしょうか?
高森理論である

「十方衆生」とあるから、すべての人に関係があるんだ

が正しいとするならば、「十方衆生」と書かれてある聖道門の経典もすべて読んで勉強しなければならないことになります。しかし、そんなことは絶対に勧めません。これを矛盾と言わずして何というのでしょうか?
尤も、高森会長は『大無量寿経』でさえ読んだことがないのですから、他の経典に「十方衆生」とあることなど夢にも思ったことがないでしょう。
十方衆生」と同義である「一切衆生」に至っては、更に更に多くの経典に出てきます。それらすべてを我々に関係するとしたならば、収集がつかなくなります。

大沼師の真似をすることしかできない高森会長のお粗末さには、呆れるばかりです。
『本願寺なぜ答えぬ』には、

折角、龍大の真宗学を卒業しながら、布教といえば、説教本を暗記して、話をするのが関の山。

と書いていますが、高森会長の布教といえば、大沼本を暗記して、話をするのが関の山で、それ以上はありません。

高森会長は正しく教えているところはあるのでしょうか?

とよく聞かれますが、昔は正しく教えている部分もあったのかもしれません。しかし今は引用している聖教上の根拠以外は、解釈も含めて全部間違っていると考えるべきです。従って、高森会長の教えを聞いて救われる人はありません。
つまり、高森会長が説く”すべての人が救われる教え”の”すべての人”に「十方衆生」は含まれていないのです。

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コメント

大沼師も、三願転入と御文章を整合させようとしているようですが、無理な感じは否めませんね。御文章を句面の如く読めば、あのようにはならないと思います。

投稿: 広島の名無し | 2011年5月21日 (土) 22時58分

広島の名無し 様

大沼師独特の味わいだと思います。ただ今回のエントリーで書きましたように、大沼師は雑行を勧めている訳ではありませんので、高森会長の言っていることとは意味が違います。騙しの手口だけは一流です。

投稿: 飛雲 | 2011年5月22日 (日) 20時33分

十方衆生の意味が異なるならどうして親鸞聖人は教行信証に平等覚経を引用されないのですか?
18願については、大無量寿経と無量寿如来会、19願は大無量寿経が引用されています。

投稿: ひま人 | 2014年9月20日 (土) 07時08分

ひま人 様

仏教の常識として、「十方衆生」とあるから全人類に直接関係があるという解釈自体がないから、わざわざ「十方衆生」の意味の違いを説明するまでもないでしょう。聖道経典には「十方衆生」とか「一切衆生」という御言葉は沢山出てきますよ。

投稿: 飛雲 | 2014年9月20日 (土) 07時12分

そうしますと十方衆生とはどういう意味なのですか?

投稿: | 2014年9月20日 (土) 07時37分

もちろんそのまま「すべての有情」ということですが、問題はそれが自分に関係あるかどうかです。
たとえば『華厳経』には

 諸仏如来の開悟したまうところを、十方無量のもろもろの衆生をして、一切みな普賢菩薩のように、最上の行として具足し修行せしめよう。

とありますが、これを全人類に直接関係するとするなら、私たちも聖道門の修行をしなければならなくなります。
一方で、18願に「十方衆生」とあるのに、聖道門の僧は、この「十方衆生」に自分たちが関係しているとは思っていません。
その証拠に、浄土門の善知識方は「十方衆生」とあるから、聖道門の人にも関係が有るというような説明は、ただの一箇所もありません。

「十方衆生」を殊更強調した大沼師をパクッただけの高森会長の意図をよく考えてみてください。

投稿: 飛雲 | 2014年9月20日 (土) 07時45分

それは聖道門もすべての人に説かれたと思いますが、行が出来ないから浄土仏教へ導かれたということではないのですか?
特に聖道経典に十方衆生と説かれていても問題ないと思うのですが、、

投稿: ひま人 | 2014年9月20日 (土) 07時55分

同じことで、18願に「十方衆生」と説かれていても悪人のための願だから無視しても問題ないと聖道門の人は考えたのです。
それを19願と18願の「十方衆生」は意味が違うと強調したところで無意味でしょうから、敢えて説明することは不要だったのだと思います。
それよりも、要門釈や浄土和讃で、19願は聖道門の人を浄土門に導くための方便の願ということを説明されていますので事足ります。
「十方衆生」に拘らない人に「十方衆生」の説明をして意味が有ると思いますか?

投稿: 飛雲 | 2014年9月20日 (土) 08時01分

盗作といわれますが、歴代の善知識方のお聖教は、みな過去の善知識方の経文を引用されています。
蓮如上人は外典使ってまで引用されてます。白骨のお文もそんなこと言われてます。
仏教を正しく伝えるためにするなら、そこもそんなに問題ではないような気がしますが、、

投稿: ひま人 | 2014年9月20日 (土) 08時04分

引用は合法ですが、盗作は違法です。
一番の問題は、大沼師の意図しない内容にしたことです。
大沼師は、19願の実践を言っていません、
往生のための善の勧めもありません。

投稿: 飛雲 | 2014年9月20日 (土) 08時09分

十方衆生の意味が19願と18願で違うといわれたのは、平等覚経と大阿弥陀経の異訳本を読まれたからと伺いましたが、
教行信証では、経文引証の順番が、大無量寿経、無量寿如来会、その後平等覚経、大阿弥陀経となっています。
化土巻の19願の解釈では、大無量寿経と悲華経が引用されていて、親鸞聖人は平等覚経と大阿弥陀経の文を引用なされていないのをみると、19願の平等覚経と大阿弥陀経の異訳を重要視されていないのではないかと、どうしても思ってしまいます。

また、
至心発願欲生と    十方衆生を方便し
衆善の仮門ひらきてぞ 現其人前と願じける

この御文と

一念多念証文の
この要門・仮門よりもろもろの衆生を勧めこしらえて本願一乗~

のお言葉をみても19願がすべての人と関係があるといわれていませんか。
異訳本だけで断定するのはやや早計のような気がするのですが。

投稿: | 2014年9月20日 (土) 08時17分

それに聖道門の人のためだけに80年のほとんどの時間を費やされて善を勧められ、

その善が必要なくて、阿弥陀仏一仏に救われなさい、と教えられたとすると、

少し変じゃないですか?

投稿: ひま人 | 2014年9月20日 (土) 08時23分

私のブログをどれだけ読まれたか知りませんが、異訳本だけで断定したことは一度ありません。補足として異訳本の説明を下に過ぎません。

至心発願欲生と    十方衆生を方便し
衆善の仮門ひらきてぞ 現其人前と願じける

この後に

臨終現前の願により
 釈迦は諸善をことごとく
 『観経』一部にあらはして
 定散諸機をすすめけり

とあります。誰に『観経』の諸善を勧められたのかについて、「定散諸機」です。「逆悪の機」ではありません。


この要門・仮門よりもろもろの衆生を勧めこしらえて本願一乗~

は、聖道門の人を要門19願から18願に入るように勧められたとしか仰っていません。
化土巻の

しかるに濁世の群萌、穢悪の含識、いまし九十五種の邪道を出でて、半満・権実の法門に入るといへども、真なるものははなはだもつて難く、実なるものははなはだもつて希なり。偽なるものははなはだもつて多く、虚なるものははなはだもつて滋し。
ここをもつて釈迦牟尼仏、福徳蔵を顕説して群生海を誘引し、阿弥陀如来、本誓願を発してあまねく諸有海を化したまふ。

観経の定散二善と19願は、邪道から聖道門に入っても、さとりをえるものが甚だ少ないから説かれたのだと親鸞聖人が仰っています。

しかし、釈尊在世と正法の時には、さとりをえる人は沢山いました。そう言う人に対して聖道門を説かれたけれど、末法の今は、聖道門ではさとりをえることができないとして、18願を勧められたのが親鸞聖人です。

それが

まことに知んぬ、聖道の諸教は在世・正法のためにして、まつたく像末・法滅の時機にあらず。すでに時を失し機に乖けるなり。浄土真宗は在世・正法・像末・法滅、濁悪の群萌、斉しく悲引したまふをや。

です。
機に応じて法を説かれるのが仏です。釈尊在世と正法の時と末法の今とは、機が違うのです。親鸞聖人は聖道門の教えを否定されたことは一箇所もありません。

投稿: 飛雲 | 2014年9月20日 (土) 08時29分

http://blog.livedoor.jp/sutybi/archives/2623950.html
http://blog.livedoor.jp/sutybi/archives/2631307.html

このあたりを読まれると宜しいかと思います。

投稿: 飛雲 | 2014年9月20日 (土) 08時34分

しかし、

この要門・仮門よりもろもろの衆生を勧めこしらえて本願一乗~

の「もろもろの衆生」は、聖道門に限ったことではないのではないですか?
全ての人と解釈するのが当然かと思うのですが、どうでしょうか。


※私はあなたを特に否定したり攻撃したりするつもりはないのです。本当のところを知りたいだけです。
そこだけご承知おきください。

投稿: ひま人 | 2014年9月20日 (土) 08時43分

質問の内容から、真摯な方とそうでない方とは区別できます。

一念多念証文については

http://blog.livedoor.jp/sutybi/archives/515409.html

をご覧ください。
「もろもろの衆生」とは、聖道門から要門・仮門の19願に入った人が主ですが、そうでない人も含めて18願に導くということです。
しかし、要門・仮門に「もろもろの衆生」を導くとはありません。

投稿: 飛雲 | 2014年9月20日 (土) 08時50分

ちょっと無理がありますな。
善とお勤めと聴聞少しづつでもがんばりますわ。

投稿: ひま人 | 2014年9月20日 (土) 11時06分

どこに無理が有るのでしょうか。

親鸞聖人は善は善人に勧められたものとしか仰っていません。そして親鸞聖人が善を勧められた箇所は唯の一箇所もありません。
善に拘られるのは結構ですが、それが信心決定の最大の妨げになっていることをよく知っておいてください。

投稿: 飛雲 | 2014年9月20日 (土) 11時09分

ひま人さんは、本当に暇なんですね。
だって、親鸞聖人は善根のことを「迂回の善根」と仰っているのですから。また「方便の善根」「欣慕浄土の善根」とも仰ってますが、皆同じ意味ですよ。
報土往生に遠回りをさせるのが善根だからです。「方便の善根」だから必要だ、と言いたいのでしょうが、必要なのは善をしたい善人に対してやってみなさい、でも遠回りですよ、ってことです。遠回りだけど、それで浄土を願うなら方便としての役割もあるから、「欣慕浄土の善根」とも言われるの。

簡単でしょ。無理も何もなく筋の通った話でしょ。

十九願を勧められた親鸞聖人の御言葉もないし、善を勧められてもいない。三願転入と言う遠回りをしたと親鸞聖人が仰ったのを、それが近道だと勘違いさせているのが、高森さんね。

もう少し真面目にお聖教を読まれることをお勧めしますよ。

投稿: 忙人 | 2014年9月20日 (土) 11時59分

あなたは仏教で言う、
善いことしたら善い結果、
悪いことしたら悪い結果が来るというのは、信じますか?

投稿: ひま人 | 2014年9月20日 (土) 13時01分

もちろん信じていますよ。
ところが親鸞聖人は、これと往生とは無間系だと仰っていますし、それどころか往生と関係あると思う心が仏智疑惑だと仰っています。

『正像末和讃』に

罪福信ずる行者は
 仏智の不思議をうたがひて
 疑城胎宮にとどまれば
 三宝にはなれたてまつる

自力諸善のひとはみな
 仏智の不思議をうたがへば
 自業自得の道理にて
 七宝の獄にぞいりにける

罪福ふかく信じつつ
 善本修習するひとは
 疑心の善人なるゆゑに
 方便化土にとまるなり

などと仰っています。

簡単に言えば、世俗的な因果を信じるのは大いに結構ですが、それと往生とを関連付けるとそれが仏智不思議を疑う心なのです。

なぜなら、阿弥陀仏の救いは親鸞会で言う他因自果なのですから。

投稿: 飛雲 | 2014年9月20日 (土) 13時07分

因果の道理を信じているなら、もう少しこのサイトの中身
なんとかなりませんかね。
個人的な感想ですが、親鸞会の恨みつらみが先に立っているように感じます。
それが土台となってお聖教の根拠を出されても
正しい解釈は難しいかと。
正しい親鸞聖人の教えを伝えることが、目的ではないように
感じてしまうからです。
あなたを攻撃するつもりはないのですが、
一度外を歩いて見て冷静になってみては如何ですか?
この短い人生本当にすべきことは何か、一度立ち止まって
考え直して見るのもいいかもしれません。

投稿: ひま人 | 2014年9月20日 (土) 14時07分

御意見ありがとうございます。
私は敢えて、このスタンスを取っています。それは親鸞会のスタンスだからです。
今まで、親鸞会と法論をしてきて法論自体には勝ちながら、親鸞会の非常識な言動により途中で法論を放棄し、そのことで親鸞会は法論の相手が逃げたと宣伝してきた歴史を私は十二分に知っています。
ならば、それをさせないためには、親鸞会と同じスタンスで会員に判ってもらうのが一番早いと判断した次第です。

私は退会後、ずっと外を歩いていますし、多分あなた以上の世間的な経験をしていると思います。交友関係もそれなりに広いですし、様々な分野の人と付き合っています。集まりの長もいくつか兼務しています。

私があなたに言いたいことは、親鸞会と言う狭い枠内に閉じ籠っていないで、外に出て、考え直して見られらるべきだということです。

投稿: 飛雲 | 2014年9月20日 (土) 14時15分

私はそんなに交友関係は広い方ではありませんが、
私が言ったのは家の周りを散歩して、綺麗な空気を吸って来てください、
ということです。分かりにくい日本語で申し訳ありません。

いろいろと辛いことがあったのだろうとお察ししますが、親鸞会の会員に分かってもらいたいだけの
ために活動してるわけではないですよね。それではあまりにも寂しすぎます。
親鸞会云々と言う前に、親鸞聖人の教えを聞きたい人は全世界にいます。
そちらに目を向けて親鸞会と競ったら如何ですか?

それとひま人とは言いながら私もそんなに暇ではないので、コメントは申し訳ありませんが、
最後にさせて頂きますが、
一つだけ、厳しいことを言わせてもらいます。
やられたからやり返すでは、因果の道理を信じている人
とは言えませんし、世間の子供にもそんなこと教えません。
尊い仏法を説く人なのですから、根拠云々の前に真摯な態度で望んでください。そしてもっと大人になってください。
それがあなたの幸せに繋がると思います。

以上

投稿: ひま人 | 2014年9月20日 (土) 15時50分

かなり誤解があるようですが、私も暇人ではありません。かなり忙しい方だと思っています。仕事以外にも多くのことをこなさないといけない立場にあります。
その中でも、なぜ反親鸞会の活動をしているのかといえば、苦しみや過去の辛さ、恨みを晴らすためではありません。未だに、親鸞会にいて騙されて苦しんでいるかつての友がたくさんいるのです。それらの人を何とかしたいという思いでブログを続けています。恨みだけで、何年もブログが書けるなら苦労はしません。
根拠を軽視して、不純な態度で仏法を利用している高森会長のことをあなたにも判ってもらいたいのですが、あなたもまた根拠を軽視する姿勢のようで、実に残念です。
やられたらやり返す、高森会長がよく言っていた言葉ですね。そんな人物と一緒にされることは不愉快ですが、そう思われたいのであれば、そう思ってください。私は別になんとも思いません。今まで、親鸞会から、ウジ虫だの白アリだの悪口雑言の限りを尽くされてきたのですから。
だからと言って、高森会長のことをウジ虫、白アリ呼ばわりはしません。人格的には問題ありますが、人間として見做しています。

最後に私も一言だけ。私のブログを批判されても結構、私の人格を誹謗されても結構ですが、聖教だけは、そのまま素直に拝読してください。普通の頭脳があれば、高森会長の嘘に気が付くと思います。

投稿: 飛雲 | 2014年9月20日 (土) 16時00分

ひま人さんは、やっぱり暇人だったんだ。
退会者を罵り、法律も犯し、倫理道徳など親鸞会の活動の前には無意味にしておきながら、因果の道理だって、笑っちゃいますよ。
幸せになるには、幸せになる因が必要なんですけど、理解できますか?
具体的に言えば、お金を儲けたかったなら、お金を儲ける因を求めないと駄目なんですよ。親鸞会に財施してもお金は儲かりませんよ、当たり前ですけど。
健康になりたかったら、健康になる因を求めるのですよ。親鸞会の活動をしていて、健康になる訳無いでしょう。当たり前のこと。
だけどこんなことも理解できないようにしているのが高森会長。
ひま人さんも、正しく因果の道理を理解してくださいね。

投稿: 忙人 | 2014年9月20日 (土) 18時36分

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