« 高森会長の雑行の勧め | トップページ | 盗作に始まり盗作に終わる »

2011年5月15日 (日)

信行両座の諍論は、親鸞会では獲信できないことを証明する根拠

本願寺の学者でも知らないと高森会長が自慢する”三大諍論”を、大沼師は多くの著書の中で説明しています。しかし、その内容が間違っている部分もあり、なぜか大学者の高森会長も同じところを間違えています。

信行両座の諍論ですが、大沼師の『法界』では

 お師匠様、あなたのお弟子は三百八十余人おられますが、現当二益の幸福を得て、未来永遠平等の真証を得らるる方が何人位いいられますでしょうか。善信房よ、人間の信仰と言うものは表面から見たのでは判断は出来ないだろう。それなら私に調べさせて頂けないでしょうか。やって見るもよかろうと言うお許しが出なければ勝手な振舞は出来ない筈だ。
(中略)
 本日は信の座と行の座とを分別する事になりましたから各々その座にお就きを願います。
(中略)
 聖覚法印、信空上人に次いで熊谷蓮生房が信不退の座に就き、其他は去就に迷い判断に苦しみ、曖昧な信仰でうろついていたから聖人自名を記し、最後に法然上人も信不退の座に就くべしと仰せられたとすれば、大勢至菩薩の化身と仰ぐ法然上人、阿弥陀如来の来現と慕う親鸞聖人の御二人を除いては三百八十余人の中で信不退の座に就いたのは僅かに三人ではないか。此の御二人を師匠と仰ぎ法友として親しみながら、而も仕事片手間の俗人ではなく身心を捧げた僧侶ではないか。それが自力の機執が淨尽しておらず、金剛の真心が昏いために他力不思議の信の座に就き切らないではないか。

と書かれてあります。高森会長の説明と異なる部分は、信の座に入った人以外は皆行の座に入ったのではなく、迷っていたと言うところだけです。

では大本の『御伝鈔』を見てみると

善信聖人(親鸞)、あるとき申したまはく、「予、難行道を閣きて易行道にうつり、聖道門を遁れて浄土門に入りしよりこのかた、芳命をかうぶるにあらずよりは、あに出離解脱の良因を蓄へんや。よろこびのなかのよろこび、なにごとかこれにしかん。しかるに同室の好を結びて、ともに一師の誨を仰ぐ輩、これおほしといへども、真実に報土得生の信心を成じたらんこと、自他おなじくしりがたし。かるがゆゑに、かつは当来の親友たるほどをもしり、かつは浮生の思出ともしはんべらんがために、御弟子参集の砌にして、出言つかうまつりて、面々の意趣をも試みんとおもふ所望あり」と云々。

大師聖人(源空)のたまはく、「この条もつともしかるべし、すなはち明日人々来臨のとき仰せられ出すべし」と。しかるに翌日集会のところに、上人[親鸞]のたまはく、「今日は信不退・行不退の御座を両方にわかたるべきなり、いづれの座につきたまふべしとも、おのおの示したまへ」と。

そのとき三百余人の門侶みなその意を得ざる気あり。ときに法印大和尚位聖覚、ならびに釈信空上人法蓮、「信不退の御座に着くべし」と云々。つぎに沙弥法力[熊谷直実入道]遅参して申していはく、「善信御房の御執筆なにごとぞや」と。善信上人のたまはく、「信不退・行不退の座をわけらるるなり」と。法力房申していはく、「しからば法力もるべからず、信不退の座にまゐるべし」と云々。

よつてこれを書き載せたまふ。ここに数百人の門徒群居すといへども、さらに一言をのぶる人なし。これおそらくは自力の迷心に拘はりて、金剛の真信に昏きがいたすところか。人みな無音のあひだ、執筆上人[親鸞]自名を載せたまふ。ややしばらくありて大師聖人仰せられてのたまはく、「源空も信不退の座につらなりはんべるべし」と。

とあります。法然上人のお弟子は『御伝鈔』では「三百余人」ですが、大沼師・高森会長は共に「三百八十余人」です。もう一つ、熊谷直実のことを『御伝鈔』では「法力房」ですが、大沼師・高森会長は共に「蓮生房」です。大沼師と高森会長は偶然に同じところを同じように間違えたのでしょうか?
もちろん偶然ではなく必然です。大沼師の間違いをそのまま盗作したからです。高森会長が『御伝鈔』を読んだことのないことがここでも判ります。信の座に入らなかったお弟子が皆行の座に入ったというのは、高森会長の創作でしょう。

ところでこの信行両座の諍論は、親鸞会は最近よく使っているようです。それは、簡単に救われない根拠としてです。

380余人の法然上人のお弟子の中で法然上人、親鸞聖人を含めても5人しか救われていないではないか、それほど難しいのだ

というものです。ここで、先程380余人は300余人の間違いであると言いましたが、法然上人のお弟子は記録では200人程といわれていますので、覚如上人は書き間違えられたのかもしれません。
更には、親鸞聖人が大変に尊敬しておられ、間違いなく往生されたと仰っている隆寛律師の名前が信の座に入った人の中にありません。また親鸞会でも獲信者と認定している耳四郎の名前もありません。もっと言えば、親鸞会のアニメの中で獲信者として描かれている住蓮・安楽の名前もありません。
更に言えば、行の座に自信一杯入った人はいないので、信心というよりも、教学的な問題で迷っていたと考えることもできます。なぜなら法然上人は念仏一行で救われると強調して仰っていたのですから。
以上のことから、親鸞会のいうように獲信が極めて難しいという根拠として信行両座の諍論を出していること自体が疑問です。逆に、親鸞会の講師部員は、法然上人のお弟子と概ね同じ人数ですので、親鸞会では獲信できないことを証明する根拠になるだけです。

親鸞会では、何かを言えば言うほど、自分の首を絞めているのですが、それも判らない集団なのです。

将棋で言えば、王将も取られて終わっている勝負を、

まだ歩兵が残っているから、勝負はこれからだ

と言っているようなものです。先読みができない素人以前のレベルなのです。

|

« 高森会長の雑行の勧め | トップページ | 盗作に始まり盗作に終わる »

コメント

「本願寺の学者も知らない」も噴飯ものですね。

報恩講ではどこのお寺でも住職さんが御伝鈔読みますから、まさか坊さんでありながら信行両座を知らない人なんて、およそ考えられません。

バレバレの嘘を得意気につくのもホドホドにして欲しいもんです。

投稿: Rudel | 2011年5月15日 (日) 08時44分

Rudel 様

無知の恐ろしさとでも言いましょうかね。

投稿: 飛雲 | 2011年5月15日 (日) 20時37分

親鸞会時代に、先輩から聞いた話です。数年前のアニメ解説で、この信行両座の諍論について質問があったようです。なぜアニメではほとんどのお弟子が行の座に入ったと描かれているのか、『御伝鈔』と違うがどういうことなのか、というような質問で、その時会長は、お弟子方の心は行の座に入っていたと説明したそうです。

投稿: 淳心房 | 2011年5月15日 (日) 21時18分

高森会長は、お聖教を自由自在に読み過ぎです。かつては「親鸞聖人の教えを絶対正確にお伝えすること」を自身の使命としていたはずですが。「教学は求道の物差し」とは表向きで、自身が物差しになろうとしています。そんなことは親鸞聖人や歴代善知識方より上に立たねばできないことです。

投稿: 広島の名無し | 2011年5月15日 (日) 22時53分

迷っていたのなら迷っていたというのがその心な訳で、心が行為に出るという説明とここでも矛盾しています。
面白いですね。お聖教とは違っていても「この心は~~だった」と言えば何でも正当化できますね。単なる強弁ですが。
「お聖教に書かれてあることの本当の心は私(高森会長)だけが知っている」というのがまさに会長と会員の妄想と信仰ですから親鸞会の実態をよく表しているじゃないですか。
書かれていない心がわかる唯一の超能力者です。まともなことを言っても通じる相手じゃありませんね。

投稿: | 2011年5月16日 (月) 08時41分

かつては親鸞会の教えを真実だと思っていたことを思い起こすと心底虚しくなります。
親鸞会では、真実を知らない人生は虚しいというようなことをよく言いますが、まさに親鸞会員のことです。これからも会長を本仏として求道に励むのでしょうね。
釈尊は在家のためのもっとも簡単な戒でもウソはつくなと仰せです。誰であれ、平気でウソをつく人間は如来とその法をネジ曲げ否定しているのです。善のススメが聞いて呆れます。

投稿: | 2011年5月16日 (月) 10時47分

淳心房 様

そんなことがあったと私も思いだしました。
まあ、そんなものでしょう。


広島の名無し 様

聖教を自由に読みすぎというよりも、読んでいませんから想像でしかないでしょう。


先の名無し 様

会長の実態が、最近まで明らかにならなかったことの方が不思議です。そういう意味では超能力者なのかもしれません。しかし今では、超能力はなくなってしまいました。単なる大法螺吹きです。


後の名無し 様

私も会長の教えこそが真実と思い込んでいた一人です。
善の勧めとは、会長の欲を満たすことだけですから、仏法とは無関係と理解すべきです。

投稿: 飛雲 | 2011年5月16日 (月) 20時54分

大沼師の書籍を座右に、夜な夜な机に向かい、盗作に明け暮れていた高森氏の姿が目に浮かびます。存命のうちにバレバレになるとは思いもせず。
それにしても、彼がこれほどに欲ぼけしたとは驚きです。もともとそうだったのか、間違った信心をもつとあんなになってしまうのか。興味深い研究対象です。

投稿: 世間人 | 2011年5月17日 (火) 15時28分

世間人 様

本当に哀れな人物としか言い様がありません。

投稿: 飛雲 | 2011年5月17日 (火) 20時52分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 高森会長の雑行の勧め | トップページ | 盗作に始まり盗作に終わる »