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2011年4月26日 (火)

『顕真』「宿善と聴聞と善のすすめ」の誤り14

『顕真』3月号の「宿善と聴聞と善のすすめ」については、余りにもレベルが低いので無視しようかと思いましたが、シリーズものですので、一応述べておきます。

 人の顔に億差兆別の違いがあるように、人間の心はもっと複雑多岐にわたる。しかも強情我慢のウヌボレ屋で、真実のカケラもないのが十方衆生の実相である。
 それらを平等に絶対の幸福に救い摂るには、本師本仏の弥陀でも難中の難事、種々の方便が必要不可欠だったのだ。

途中の文章に問題がありますが、ここでは最初と最後が重要です。

人の顔に億差兆別の違いがあるように、人間の心はもっと複雑多岐にわたる。

種々の方便が必要不可欠だったのだ。

この2つは対応しています。
ここから判ることは、十方衆生はそれぞれ機が違うから機に応じて阿弥陀仏(及び釈尊)が方便も施して下さったということになる筈です。理解力のない高森会長と会員のために、もう少し判りやすくいえば、方便は十方衆生共通ではないということです。

ところがこの後は、いつものように、

 十八願(真実)からは、我々の諸善は間に合わぬ捨て物だが、十八願(真実)を素直に聞く者など、絶対ないと見抜かれた弥陀が、そんな者を救う(絶対の幸福)には、絶対必要不可欠と建てられたのが、十九・二十の方便願なのである。

としています。この後、延々とその説明が続きますが、この矛盾が判りますでしょうか?
十八願(真実)を素直に聞く者など、絶対ない」ということは、「人間の心は複雑多岐」ではないし、方便も「十九・二十の方便願」だけで、「種々の方便」は必要ないということになります。
では釈尊が八万四千の法門を説かれたのは何のためでしょうか?

『教行信証』化土巻

宗師の意によるに、「心によりて勝行を起せり。門八万四千に余れり。漸・頓すなはちおのおの所宜に称へり。縁に随ふものすなはちみな解脱を蒙る」(玄義分)といへり。

(現代語訳)

善導大師の説かれた『観経疏』によれば、「衆生の心にしたがって釈尊はすぐれた行をお説きになった。その教えは八万四千を超えている。漸教も頓教もそれぞれ衆生の資質にかなったものであり、縁にしたがってその行を修めればみな迷いを離れることができる」(玄義分)といわれている。

とあるように、機に応じてそれぞれの方便が必要であったから、それが八万四千の法門になったのです。仏教のイロハである対機説法ということを知っていれば、当たり前のことです。十方衆生が共通の機であるならば、八万四千の法門は必要ありません。
同じように阿弥陀仏は、それぞれの機に応じて18願・19願・20願を建てられたのです。簡単な話です。

以上のことが理解できなければ、仏教云々以前に、国語の理解力の問題でしょう。

高森会長のトリックは、誰も問題にしない「十方衆生」に拘っていることです。これまでに何度もその愚かな拘りについて論破してきましたが、同じことを何度も書くことは皆さんに失礼に当たるでしょうから、もしお判りでない方は

「親鸞会の邪義を正す」
会員との問答(聖道門の19願に対する見解・宿善)

を読んで下さい。

さてこの後には、性懲りもなく

「願海に、真あり仮あり」と、阿弥陀仏の本願に”真実の願”と”方便の願”のあることを明言され、十八願を真実、十九・二十の二願を方便と断定し、三願は決して無関係に孤立したものでないことを喝破されている。
「真」と無関係の「仮」もなく、「仮」と関係なき「真」もなし。「真実」から流出したのが「方便」だから、「真実」と無関係な「方便」などありえないのである。

と言っていますが、先程述べたことを踏まえれば、「方便」「」の使い方がおかしいことに気が付かれると思います。
これも何度も紹介していますが、源信僧都は『往生要集』

『観経』に、「極重の悪人は、他の方便なし。ただ仏を称念して、極楽に生ずることを得」と。

と仰り、それを親鸞聖人は『高僧和讃』源信讃

極悪深重の衆生は
 他の方便さらになし
 ひとへに弥陀を称してぞ
 浄土にうまるとのべたまふ

と著わされ、それを『正信偈』

極重の悪人はただ仏を称すべし。

とされ、蓮如上人も『正信偈大意』

「極重悪人唯称仏」といふは、極重の悪人は他の方便なし、ただ弥陀を称して極楽に生ずることを得よといへる文のこころなり。

と解説して下されています。
『観無量寿経』を読んだことがあるならば、これらの意味は容易に理解できると思います。善という方便は善のできる善人に対してだけです。善のできない悪人に善を勧められていることはありません。悪人には念仏以外の方便はないのです。つまり、悪人には19願の方便願は必要ないのです。悪人に善が必ず要る、19願が必要だと仰ったお言葉は、mixiでの法論で、示すことができず、高森会長、教学課、こうへい氏(H講師)は皆逃走しました。

ところで善の勧め、善の勧め、とうるさく言っている高森会長は善をしているのでしょうか?

豊田商事とは関係がない、と断言しながら「豊田商事破産後に親鸞会は豊田商事関係の献金から1億3000万円を破産管財人に返還している」(判例時報 1321号『豊田商事詐欺被告事件第一審判決』)
「正本堂にワシの部屋はなくてもよい」と言いながら、200畳の部屋。
F館は5階建て、と最後まで言い張って、完成したらやはり会長の部屋は6階にある。

こんなことは朝飯前で、仏法の解釈も簡単にねじ曲げるし、捏造もするわ、仏法者以前に、人間としてどうなのよ、と言いたいですね。

そういえば、全国の受刑者約2800人から、東日本大震災の義援金として、合計約2156万円(11日現在)の寄付があったそうですが、金額も人数も親鸞会とほぼ同じです。しかし受刑者は所持金や作業報奨金から義援金を支出したといいますから、全国の受刑者の方が親鸞会よりも遥かに善に励んでいるのではないですかね。

ましてや義援金の一部を横領する人物などに、善の勧めを説く資格はありませんよ。

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コメント

善巧方便についてはネットを通して学ばせて頂きました。
インターネット恐るべし。
往生要集、源信讃、正信偈大意と善巧方便のことを仰っているのですね。
会ではどう解釈するのでしょうか。
もはや会長の著書が根本聖典ですから、お聖教を眼にあてることもないのでしょう。

投稿: | 2011年4月26日 (火) 23時56分

高森氏の教学の誤りが知らされるにつれ、ようやく闇が晴れました、脱会後30年にして
教えは正しいはずなのに、会の人たちの目つき、熱狂、絶叫はどうもおかしい、という疑問もはれました。教えが間違っていたのです! 泣く泣く脱会し、その後も法謗罪・必堕無間に怯え、ほそぼそ生きてきた30年が懐かしい。
飛雲様等のお陰です。そして、もしインターネットがなかったら。

インターネットは、情報コントロールによって維持されてきた圧政国家やカルト等の闇を白日のもとにさらすことになったのですね。インターネットの普及に大きく寄与したティム・バーナード・リー(1991)等にも感謝感謝。
そして、教義以前の問題でもあったのですね。
盗作行為、そのただ一点だけで犯人の主張は信用は崩れさる、これが世間の常識。この常識に照らしますと、仏法上の議論はなかなか難しい私にも、盗作だらけ(パクリまくり)の高森氏は信用してはならぬ人間と分かります。自分の教義を信じている宗教妄想患者なのか、それとも商売道具と割り切って種々に断章取義・盗作をしてたまたま大当たりしたこそ泥なのか、いずれにせよ世間の常識は彼のいうことを聞いてはならぬと教えてくれます。

会のそうそうの壊滅と
飛雲様のますますのご活躍を応援しております、日本の片田舎より


投稿: 世間人 | 2011年4月27日 (水) 13時35分

名無し 様

親鸞会は方便の意味が無茶苦茶ですから、御文に書いてあることと全く違う意味で解釈するのも平気です。善知識方がどう仰ったのかは、関係ないのです。


世間人 様

親鸞会では私と入れ違いですね。
退会後30年もの間、苦しまれてこられたとは、マインドコントロールの恐ろしさを改めて感じました。
高森会長は、聖教上の根拠をたくさん出して説明してきましたので、教えていることが間違っていると気が付くのは難しいです。
私は親鸞会に30年近くいましても、気が付きませんでした。しかし、一度疑問が生じて自分で聖教を読んでみて、全くの出鱈目に驚きました。
私は自分で勉強し始めて2年程ですが、それでもこれだけのことが判りました。
高森会長は、仏教学も真宗学も何も勉強していないことは確かです。創価学会の勉強は熱心にしていたようですが、それを真宗に持ち込んだのですから、目茶苦茶です。
現被害者と元被害者の方々救いの一助ともなれば幸いです。

投稿: 飛雲 | 2011年4月28日 (木) 06時13分

30年もいたのですか
間違いがわかってよかったですね。
お念仏を唱えさせていただきましょう。
南無阿弥陀仏

親鸞会の法話は本当に、大事な部分が欠落しています。
あれでよいと思っている講師もかわいそうです。
それに通っている一般の人たちはもっとかわいそうです。

投稿: おか | 2011年4月30日 (土) 18時47分

おか 様

親鸞会に関わった人は、皆かわいそうですが、未だに親鸞会に留まっている人は、どうしようもなく哀れです。

投稿: 飛雲 | 2011年5月 1日 (日) 10時46分

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