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2011年4月13日 (水)

論も証拠もない、善のすすめ

古参のT講師が、今回の大震災により行方不明と聞いています。親鸞会から逃亡するために行方不明になっていることを願っていましたが、1ヶ月以上経ちましたので、その可能性も低く、大変に残念です。

現在の真宗は、善をすすめないから廃れている、善をしなければよい結果はこない

と、親鸞会では、往生と無関係の現世利益をやたら強調しますが、親鸞会で勧めるところの”善”をした結果は、どうなっているでしょうか?

親鸞会会員の模範である講師部員で、この世の利益に恵まれた人を見たことがありません。金銭的に恵まれているのは、高森会長の身内だけでしょう。しかも、それは会員から集めたお金を自分たちのために流用しているからであり、悪徳商法で儲けるトップと同じ構造です。高森会長と身内が”善”をしてきたからではありません。
もし本当に”善”を勧めていて幸せになれるのならば、講師部員はもちろん、末端の会員までそれが実感できなければ、その”善”は偽者だということです。

論より証拠です。

さて、親鸞聖人が善を勧められている論については、最近退会希望者を説得するための根拠として、『唯信鈔文意』

おほよそ過去久遠に三恒河沙の諸仏の世に出でたまひしみもとにして、自力の菩提心をおこしき。恒沙の善根を修せしによりて、いま願力にまうあふことを得たり。

を出しているそうです。
この意味は、過去世において、三恒河沙の諸仏のみもとで諸善に励んできたことで、阿弥陀仏の18願に遇うことができたということですが、このお言葉のどこに善の勧めがあるというのでしょうか?
親鸞聖人が仰りたいことについては

『顕真』「宿善と聴聞と善のすすめ」の誤り4

でも述べました。現代文でさえ理解できない高森会長や講師部員に、古文が理解できる筈もないので、一文だけ加えて説明します。
この御文の次のお言葉が、親鸞聖人の仰りたかったことです。

他力の三信心をえたらんひとは、ゆめゆめ余の善根をそしり、余の仏聖をいやしうすることなかれとなり。

信心決定した人は、決して念仏以外の善を謗ったり、阿弥陀仏以外の仏や菩薩や聖者を蔑むことをしてはならない、ということです。善をしなさい、ではありません。日本語が不自由な高森会長と講師部員、幹部会員のために前文と併せてまとめておきます。

過去世において諸仏のみもとで善に励み迷ってきて、今、善悪無関係の信心を賜った。だからといって、善を謗ったり、諸仏・菩薩方を蔑むことをしてはならない。

です。
どこに善をしなさいという意味のお言葉かありますか?

この二文の前に、報土往生のためには、善を捨てて念仏をとりなさい、と親鸞聖人が強調されていますので、誤解する人のために、親鸞聖人が、善を謗ることを誡められたお言葉を加えられただけです。
蓮如上人の『御文章』2帖目第3通

当流のなかにおいて、諸法・諸宗を誹謗することしかるべからず。いづれも釈迦一代の説教なれば、如説に修行せばその益あるべし。さりながら末代われらごときの在家止住の身は、聖道諸宗の教におよばねば、それをわがたのまず信ぜぬばかりなり。

これと同じ意味です。

親鸞聖人の体験に具体的に当て嵌めるならば、親鸞聖人は比叡山で20年間御修行をなされましたが、そのことが結果的に法然上人にお遭いする御縁になり、18願に帰依なされました。親鸞聖人は比叡山のお陰で法然上人にお遭いして救われたと、比叡山に感謝なされていると思います。親鸞聖人は、比叡山でのことを謗ったり、諸仏・菩薩方を見下すようなことをされてはいませんが、比叡山が念仏弾圧をしてきたことに対しては、教えが判っていない、と非難をなされているのはご存知の通りです。
さてこのことが、親鸞聖人は比叡山での修行を勧められている、という意味になりますか?

七高僧方は、皆最初は聖道門に入っておられます。しかし聖道門では救われないと18願に帰依なされました。七高僧方は、聖道門の教えを謗られていませんが、我々に最初は聖道門をしなさいと勧められていますか?
顕著な例として曇鸞大師は聖道門から道教に迷われたことで、菩提流支により浄土門に導かれました。曇鸞大師は道教を捨てられましたが、道教を謗ってもよい、とは仰っていません。これは曇鸞大師が道教を勧められているということですか?

親鸞会で間違った教えを聞かされて迷ってはきたけれども、高森会長のお陰で親鸞聖人の教えに遇うことができた、と感謝する親鸞会の退会者がいますが、その退会者は親鸞会を勧めていることになりますか?

自分には合わない、あるいは間違った教えではあっても、そこで迷ってきたことで結果的に18願の救いにあずかることができた、ということであって、皆さんも同じように迷ってきなさい、と仰ったことでないのは、中学生でも理解できるでしょう。

親鸞会のように間違った教えについては、非難されて当然ですが、聖道門や諸行往生の教えを謗ることがあってはなりません。それらは悪凡夫の我々の機にあわないから、善知識方は我々の往生の為には勧められていないだけなのです。
当ブログでの主張は、これで一貫しています。

もし、「余の善根をそしり、余の仏聖をいやしうすることなかれ」を読んでも、これは善を勧めていることになるとお目出度い主張するのなら、同じ理屈で諸仏・菩薩を崇めることも勧められた、としなければなりませんが、そこは完全に否定するのが親鸞会です。これが矛盾していると判らないのなら、中学生レベルの論理的思考から身につけてもらわなければなりません。そんな人のために、ある退会者が

「親鸞会のトリック」

というブログを書いています。思考が残っている会員は、論理的な思考と親鸞会のトリックをよく勉強してください。
なお、高森会長と講師部員は読んでも理解できないと思います。彼らが理解できるレベルを超えていますので。

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コメント

そうですね T川 講師心配ですね。ご家族は、さぞ心配していることでしょう。
脱会するとき、支部長(S会講師)は、色々と根拠を出してきました

「だから十九願は、信心決定するには、必要だ」とね wwww

そのとき、正しい知識があれば、と悔やまれます。

投稿: | 2011年4月14日 (木) 02時28分

名無し 様

親鸞会のトリックは巧妙ですので、正しい真宗の知識がなければ騙されてしまいます。しかし、少し勉強すれば、親鸞会を黙らせることは簡単です。

投稿: 飛雲 | 2011年4月15日 (金) 06時33分

夢幻界裡のブログから、ここに辿り着きました。
親鸞会の間違いが明確にされていて、びっくりです。
親鸞会は断章取義と非難されている理由もよく分かりました。

夢幻界裡のブログによりて、いま正しい解釈のブログにあうことができた。

こういうことですね。有難うございました。

投稿: 不審学徒 | 2011年8月 9日 (火) 15時32分

不審学徒 様

紹介させていただきました。有難うございます。

投稿: 飛雲 | 2011年8月11日 (木) 06時16分

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