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2011年3月 8日 (火)

”無常の虎”とは何?

先日の2000畳法話は学生大会でした。演題は後生の一大事で、”無常の虎”についての話であったと聞きました。”無常の虎の譬え”は、親鸞会の会員なら誰でも知っている内容ですが、真宗界では誰も知りません。

なぜなら、一般的には”黒白二鼠の譬え”と言われます。しかも内容が随分違います。”黒白二鼠の譬え”は

本願寺教学伝道研究所

にも載っていますので、引用します。

(3)甘い蜜

【概要】

昔、一人の旅人が広い野を歩いていると、後ろから悪ゾウが追いかけてきました。
周りを見まわしても、身を隠すところがありません。
木の根が垂れている、から井戸があるのを見つけました。
その木の根をつたってから井戸の中に身を潜めました。
ほっとするのも束の間、目の前に黒と白の二匹の鼠が出てきて、かわりがわりに木の根をかじっています。
下を見れば古井戸の底で、一匹の大きな毒龍が口をこちらに向けており、四匹の毒ヘビ井戸の四辺にいて、男の落ちてくるのを待ち受けているではないですか。このままでは確実に細い根はちぎれて、龍やに食べられてしまいます。
男は恐怖に身を震わせていました。
木の根にはミツバチの巣がありました。その巣から甘い蜜が五滴、口のなかに堕ちてきました。そのなんとも言えない蜜の甘さに心が奪われ、もっと甘い蜜をなめたいと思って、いまにも切れそうな木の根をゆさゆさと揺すっています。その上さらに、野火がこの木を焼こうとしています。

ここに出てくる広い野とは私たちの永い迷いを喩えています。
ゾウとは無常、井戸は人生、木の根はいのちを喩えています。
黒白の二匹の鼠は昼と夜を喩え、私のいのちが徐々に終わりに近づいていることを示しています。
井戸の周りの四匹の蛇は地・水・火・風の四大を、五滴の蜜は色・声・香・味・所触の五欲を喩えています。
蜂はよこしまな思いを喩え、は老病を喩えています。
そして龍は死を喩えています。
私たちは、このように知って、世間の楽に心奪われることなく、人生の無常に思いをいたして、苦悩の解決を求めていかなければならないのです。

【解説】

  • 世間の楽に執着することの愚かさに気づき、生死を超える道を求めるべきことを喚起する話です。
  • 甘い蜜に夢中になっていたほうが幸せであるという考え方もあるかもしれません。
    しかし、私たちは、生死の問題と向き合っていくべきでしょう。
    なぜなら、この苦難の状況を根本から超えていくことのできる教えが、私たちにはすでに示されているからです。

【補足】

  • この話は『仏説譬喩経』(大正蔵4、801頁中~下)、『衆経撰雑譬喩』8話(大正蔵4、533頁上~中)に説かれています。
  • 『衆経撰雑譬喩』では迷いの世界である三界を喩えた牢から逃げ出した罪人として説かれています。
  • 『戦争と平和』などで有名なロシアの小説家であるトルストイが、その著『わが懺悔』(創元社文庫、27~28頁)のなかで、「古い東方の寓話」として紹介しています。
    龍に気付いてからは蜜の甘さに惑わされることなく、鼠と龍、つまり自らの死から目をそらすことができなくなったと結んでいます。

如何でしょうか。似ていますが、だいぶ違います。『仏説譬喩経』に説かれている内容と説明している本願寺が間違っているのでしょうか?

高森会長も”無常の虎の譬え”は、『仏説譬喩経』に説かれていると話をしています。

どちらがウソか

『仏説譬喩経』を見てみましょう。『仏説譬喩経』は短いので、漢文ですが全文紹介します。

佛説譬喩經
大唐三藏法師義淨譯
如是我聞。一時薄伽梵。在室羅伐城逝多
林給孤獨園。爾時世尊於大衆中。告勝光王
曰。大王。我今爲王略説譬喩。諸有生死味
著過患。王今諦聽。善思念之。乃往過去。於
無量劫。時有一人。遊於曠野爲惡象所逐。怖
走無依。見一空井。傍有樹根。即尋根下。潜
身井中。有黒白二鼠。互齧樹根。於井四邊
有四毒蛇。欲螫其人。下有毒龍。心畏龍蛇
恐樹根斷。樹根蜂蜜。五滴墮口。樹搖蜂散。
下螫斯人。野火復來。燒然此樹。王曰。是人
云何。受無量苦。貪彼少味。爾時世尊告言。
大王。曠野者喩於無明長夜曠遠。言彼人者。
喩於異生。象喩無常。井喩生死。險岸樹根
喩命。黒白二鼠以喩晝夜。齧樹根者。喩念
念滅。其四毒蛇。喩於四大。蜜喩五欲。蜂喩
邪思。火喩老病。毒龍喩死。是故大王。當知
生老病死。甚可怖畏。常應思念。勿被五欲
之所呑迫。爾時世尊重説頌曰
    曠野無明路 人走喩凡夫
    大象比無常 井喩生死岸
    樹根喩於命 二鼠晝夜同
    齧根念念衰 四蛇同四大
    蜜滴喩五欲 蜂螫比邪思
    火同於老病 毒龍方死苦
    智者觀斯事 象可厭生津
    五欲心無著 方名解脱人
    鎭處無明海 常爲死王驅
    寧知戀聲色 不樂離凡夫
爾時勝光大王聞佛爲説生死過患。得未曾
有。深生厭離。合掌恭敬。一心瞻仰。白佛言。
世尊。如來大慈。爲説如是微妙法義。我今
頂戴。佛言。善哉善哉。大王。當如説行。勿
爲放逸。時勝光王及諸大衆。皆悉歡喜。信
受奉行
佛説譬喩經

さて、白骨は落ちていましたか?は出てきましたか?は?三匹の毒龍は?深海は?
『仏説譬喩経』を読めば、本願寺の解説の通りであることが判ります。

参考までに『衆経撰雑譬喩』8話は

(八) 一切衆生貪著世樂不慮無常。不以大
患爲苦。譬如昔有一人遭事應死。繋在牢
獄恐死而逃走。國法若有死囚踰獄走者。
即放狂象令蹈殺。於是放狂象令逐此罪
囚。囚見象欲至走入墟井中。下有一大毒
龍張口向上。復四毒蛇在井四邊。有一草
根此囚怖畏一心急捉此草根。復有兩白
鼠噛此草根。時井上有一大樹。樹中有蜜。
一日之中有一滴蜜墮此人口中。其人得
此一滴。但憶此蜜不復憶種種衆苦。便不
復欲出此井。是故聖人借以爲喩。獄者三
界囚衆生。狂象者無常。井衆生宅也。下
毒龍者地獄也。四毒蛇者四大也。草根者
人命根也。白鼠者日月也。日月尅食人命
日日損減無有暫住。然衆生貪著世樂不
思大患。是故行者當觀無常以離衆苦

です。『衆経撰雑譬喩』は『仏説譬喩経』と若干異なりますが、白骨深海も全く出てきません。

無常の虎の譬え”を通して、地獄に堕ちることも知らずに、五欲の蜂蜜舐め舐め地獄に堕ちていく後生の一大事を、高森会長は強調していますが、『仏説譬喩経』には地獄のことは説かれていません。
高森会長の書いた『会報』にも、後生の一大事を説明する中で、この”無常の虎”の話を出していますから、必堕無間という後生の一大事の”根拠”としてこの譬えを利用していることが判ります。

説教本で象を虎としているものもありますが、高森会長が話をしている内容のものを私は知りません。華光会か大沼師かどこからか拝借したものと思われます。創作部分もあると思います。

高森会長が創作した譬えとして話をするならば、その程度に聞き流せばいいですが、『会報』でも説法の中でも、これは『仏説譬喩経』にある譬え話と説明している訳ですから、『仏説譬喩経』に忠実に話をしなければ嘘になります。
高森会長自宅の書斎にあると伝え聞く『大正大蔵経』には、『仏説譬喩経』が収録されていますので、調べる気になれば簡単に調べられるのに、それもしなかったのです。尤も『教行信証』さえ読んだことがないのですから、当然なことと思います。

譬えにはある程度の自由度があって、話をかえてもいいではないか

という会員もいますが、釈尊の御説法以上の話が高森会長にできると思っているのでしょうか?
そんな人は、どこかの宗のように高森本仏論者なのでしょう。

高森本仏論者には、何を言っても無駄ですが、高森会長よりも釈迦牟尼仏の方が偉大に決まっていると当たり前の思考ができる人であるならば、釈尊の譬えと異なることを釈尊の御説法として話をすることは大問題と判る筈です。

さて、”黒白二鼠の譬え”については、高森会長は本当に知らなかったのでしょう。高森会長には、その程度の知識しかないのです。

座談会でも手紙でも結構ですから、高森会長にこの件を質問してみては如何でしょうか。担当講師に尋ねてみてもいいです。どんな反応を示すか知りたいものです。

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コメント

S会の法話ではあの絵の描かれた掛け軸が掛かっていましたが、その掛け軸の由来が気になりますね。

そういや昔、新聞広告によく似た絵の掛け軸の広告がありました。
なんでも、「これを掛けると縁起がいい」などという触れ込みの広告でしたが(笑)

ひょっとしたら、真宗か他宗かに、会長風にアレンジされた説教が古くから存在した(それにより、掛け軸の画題にも使われていた)という可能性があると思います。
むろん、S会の説教には会長独自のアレンジ部分も少なからずあると思われますが…。

お坊さんなどに聞いてみたら、何かわかるかも知れませんね。

いずれにせよ『仏説譬喩経』とは相当異なった話ですから、これを「仏説譬喩経の話である」などと言ってしまうことは、大変不誠実かつ、不勉強さを露呈する言動であると言わねばなりませんね。

投稿: Rudel | 2011年3月 8日 (火) 22時39分

大集経の譬えにあるみたいですが、確認しておりません。

分かる方があれば調べてみてください。

よろしく。

以下、引用
帳中五十座法談 粟津義圭
無常虎声近耳不覚雪山鳥出巣速忘と。先徳の御釈に示し置かれた。無常の虎とは大集経の御譬て。人ありて山中に行きかかり。遽に虎に追われ、足に任せて逃る処に。思はず深い井の中に投りたが。おりふし藤の蔓のさがりたをしっかりと握り。其を力にして居るところへ。見れば上には虎が来て頻りに吼る。下もを見れば大蛇が紅の舌を巻かへし。水底に腹行る。堕たらば呑ふとする勢ひ。さてさて怖ろしひ事かなと。いよいよ藤の蔓をたのみに爰を大事と縋り居る処へ。どこともなふ黒鼠と白鼠が。かはるかはる来て藤の蔓をかじる。此の人其を見て。さても悲しや若しこの蔓を喰い切らるると。直に大蛇に呑まるるが。是は何とせふぞと仰天して怖れかなしむとあるは。余の事ではなふて。即ち今日人間の分野。無常の虎に追るるとは。念々壊滅《えめつ》の無常にうつされて。生住異滅とかはりゆく姿。老の坂上り上りてあと見れば。いしがぬ道の先のちかさよ。然るに井の中に落ちて藤の蔓にとりつひたとは、未だ無常の烈しき風にもさそはれずして。我身あり貌の体は。露の命の藤の蔓一つを頼みぢゃ。処へ黒白の鼠と譬られたは。夜と昼とのこと。夜が昼になり昼が夜になりて。せんぐりせんぐりに移り換て命の促るを。鼠が藤を齧るに比させられ。水底に大蛇が待ち受けるとは。三悪の火坑臨々好入と。衆生の命終るを。地獄の獄卒が今やをそしと待かけ居るに比させられて。暫くも弓断《ゆだん》のならぬ世態を。無常虎声近耳と仰せられた。

投稿: とくよしみね | 2011年3月 9日 (水) 00時42分

Rudel 様

似たような話はどこかにあった、或は今もあるのかも知れません。しかし、『仏説譬喩経』という限りは、『仏説譬喩経』に基づかない話をすることは許されません。


とくよしみね 様

これは私も調べて知っておりましたが、『大集経』の中に、それらしき譬え話を見つけることができませんでした。誰か教えてくれると有り難いのですが。

投稿: 飛雲 | 2011年3月 9日 (水) 19時38分

飛雲様、Rudel様
調べられているとは思いましたが、一応書いておいて誰か調べてくれないかと思いまして。
それとやたら創価学会がヒットするので、そちらにあるのかもしれませんね。
日蓮の新池御書にも出てきますので一般的に言われていたのかも。
私ももうちょっと調べてみます。

投稿: とくよしみね | 2011年3月 9日 (水) 22時14分

本当に飽きれてしまいますね!この馬鹿教祖には、今までは仏説と信じていましたが、かってに仏説を捻じ曲げ自説の都合のいいようにする。こんな者が仏教徒?浄土真宗信徒?一体何万回お釈迦様の御身を傷つけるのか!まさに、法謗罪の親分は親鸞会教祖そのものだ!

投稿: トライチ | 2011年3月17日 (木) 15時52分

トライチ 様

仰る通りです。付け加える言葉はありませんね。

投稿: 飛雲 | 2011年3月18日 (金) 07時09分

 飛雲様、私どものコメントに適せんなお返事のコメント有り難うございます。飛雲様の活躍を微力ながら、いつも応援していますよ!

投稿: トライチ | 2011年3月20日 (日) 18時20分

トライチ 様

有難うございます。御期待にお応えできるよう、精進したいと思います。

投稿: 飛雲 | 2011年3月22日 (火) 22時24分

飛雲様
「甘い蜜」(黒白二鼠)の話は幼少の頃、祖母に連れられて行ったお寺でスライドで映写されたおどろおどろしい絵を見ながらお坊さんの読んだ台本で聞かされました。強烈な印象が残っています。
さらに恐怖心をあおる話しにして悪用することはどのカルトでも同じですね。すり替えられています。
漢文を私のホームページに掲載させていただきました。ご了承お願いします。

投稿: 広田哲男 | 2011年7月24日 (日) 23時41分

広田哲男 様

経典は私に著作権がある訳ではありませんので、どうぞ御自由にお使い下さい。

投稿: 飛雲 | 2011年7月25日 (月) 22時09分

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