親鸞聖人、蓮如上人当時と比較してみました
鬼頭宏著『人口から読む日本の歴史』によれば、平安時代末期の日本の人口は684万人となっています。その内、北関東・南関東を併せた人口は、160万人です。
親鸞聖人が関東で布教されていた時には、この160万人の中で、数万人もの人が親鸞聖人の教えを信じていたと言われています。交通手段も情報手段も限られていた当時においては、実に驚異的な数値です。単純に人口の比率だけで言っても、親鸞会の会員数など吹き飛んでしまいます。正本堂をたとえ参詣者で一杯にしたところで、親鸞聖人とは全く比較になりません。
さて、親鸞聖人は関東の数万もの人に対して往生・獲信のために善を勧められてはいません。残されている御手紙を見れば明らかです。19願ももちろん勧められていません。
高森会長のヘンテコ理論を適応するならば、関東の数万もの人は皆、雑行が問題になっていたので、善や19願を勧める必要が無かったということになります。また、親鸞聖人が後の人のために書き残して下された御著書にも、善や19願を勧められた所はありません。親鸞聖人の御著書を読む後の人も、雑行が問題になっている前提で書かれていることになります。
蓮如上人も、たくさんの御手紙を書かれていますが、当時その御手紙を読むであろう数万、数十万もの人は、雑行が問題になっていると見做されたから、善や19願を勧められる必要がなかったことになります。なお、蓮如上人のおられた当時の日本の人口は、800万人程と推測されます。
一方で、数千人の親鸞会会員は、雑行が問題になっている人がいないので、善や19願を勧める必要があるのだそうです。会員だけではなく、親鸞聖人の教えを信じている何百万、何千万の人の誰も、雑行が問題になっていないから、善や19願を勧めなければならないと親鸞会はいっています。
これで筋が通っていると思うのは、頭が尋常ではないでしょう。
これは雑行に限ったことではありません。他のことでも、親鸞聖人、蓮如上人が御著書や御手紙で仰っていないことを、記録に残されていないだけで当時教えられていた、とする秘密の法門、文底秘沈思考の愚かさが、なぜ判らないのでしょうか?
『唯信鈔文意』と『一念多念証文』の最後には以下のことを仰っています。
ゐなかのひとびとの文字のこころもしらず、あさましき愚痴きはまりなきゆゑに、やすくこころえさせんとて、おなじことをとりかへしとりかへし書きつけたり。こころあらんひとは、をかしくおもふべし、あざけりをなすべし。しかれども、ひとのそしりをかへりみず、ひとすぢに愚かなるひとびとを、こころえやすからんとてしるせるなり。
(現代語訳)
都から遠く離れたところに住む人々は、仏教の言葉の意味もわからず、教えについてもまったく無知なのである。だから、そのような人々にもやさしく理解してもらおうと思い、同じことを何度も繰り返し繰り返し書きつけたのである。ものの道理をわきまえている人は、おかしく思うだろうし、あざけり笑うこともあるだろう。しかし、そのように世間の人からそしられることも気にかけず、ただひたすら教えについて無知な人々に理解しやすいようにと思って、書き記したのである。
文字の読めないような人にも判るように、誤解のないようにと心を配られて、多くの御著書、御手紙を書かれているのです。
現代の日本人はどうでしょうか。当時とは桁違いの教育をうけています。
このことからも親鸞聖人、蓮如上人の御心を正しく理解できるのは自分だけだ、というのは、カルト指導者に共通の言い方です。高森会長以外にも、もしそのように主張する人があれば同類です。
親鸞聖人、蓮如上人は、大多数の人が誤解するような表現で敢て書き残されて、何百年に一人の偉大な指導者しか御文の底にある謎を解き明かすことができないようにされていた、と本気で考えているとすれば、それこそ親鸞聖人、蓮如上人に対して
善知識をおろかにおもひ、師をそしるものをば謗法のものと申すなり。
でしょう。
人口のついでに言えば、古来より「獲信者は国に一人、郡に一人」といわれていますが、『人口から読む日本の歴史』では関ヶ原の合戦時で1,227万の人口となっていますので、現代なら「獲信者は市に一人、町に一人」と言ってもよいかもしれません。
獲信者がそんなにいるのはおかしい、と親鸞会は他の団体を非難していますが、親鸞会のその頭がおかしいのです。
大体、”無二の善知識”から直接御教導を頂きながら、今生の30年で19願の入り口にも立っていないのならば、無間地獄を経て遠い先に次に人間に生れて30年求めても、ようやく19願の入り口の手前くらいで終わるでしょう。また無間地獄を経て遠い先に再び人間に生れてきて30年求めても、19願の入り口くらいでしょう。こんなことを何回繰り返せば、18願まで辿りつけるのでしょうか。今生で18願に入れないのならば、次の生、次の次の生、次の次の次の生でも同じになることに、なぜ気が付かないのでしょうか?
高森会長のいう平生業成とは、全くの有名無実です。
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コメント
上田氏、清森氏も、誰も理解できなかったことを理解しているのは自分たちくらいだ、と言っています。
素直に読んで、素直に理解できるように書かれてあるのに、文底秘沈の教えになってしまうのは、親鸞会の影響なのでしょうね。
早く、マインドコンロトールから解放されることを願っています。
投稿: 岡崎 | 2011年2月21日 (月) 13時03分
>岡崎さん
大原性実和上の『真宗異義異安心の研究』を読むと、昔の土蔵秘事も在家の人間が善知識と名乗り、信後の還相回向を説いて、自分は菩薩であると称して知識帰命させたり、他の人(ここでは寺ですね)の話を聞くと迷うから聞くな…と教えたりしてたそうです。
チャリンコ秘事こと上田清森グループとまったく同じですね。
投稿: ハルトマン | 2011年2月21日 (月) 15時33分
京都の支部長のブログ 宇治金時にあこがれて を読むと
親鸞会講師の脳味噌の腐り具合がよく分かります。
多分 信心の沙汰での 会員のコメントに手を加えたものだと思いますが
実にひどいものです。
「親鸞聖人の教えは平生業成で現在ただ今救われる教えです。」
と勧誘しておきながら「19願の善の道を進め それが 親鸞聖人の教え」
本願に真仮が有る。ですって。
T村講師は30年間何を聞いていたのでしょうか?
投稿: おすぎ | 2011年2月21日 (月) 22時58分
おすぎ 様
T村講師も、高森会長の詭弁に騙されているので、仕方がないです。
投稿: 飛雲 | 2011年2月22日 (火) 21時30分
チャリンコ秘事って、何すか?
投稿: | 2011年2月26日 (土) 01時12分
>名無しさん
上田清森グループに対する異名です。由来は以下の通りです↓(某所より)
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チャリンコ秘事(ちゃりんこ-ひじ)
真宗の異安心の一種。 不拝(オガマズ)秘事ならびに地獄秘事の混交とされる。
龍樹菩薩『十住毘婆沙論』ならびに天親菩薩『浄土論』をあくまで行者自力の行信を説けるものと看做し、
信は心の清浄なる相なれば、信心獲得の一念に無明の一品が断ぜられ、その後には
阿弥陀如来の本願力を助縁他力とし、自己の修する五正行を因として、此土にて得証・成仏すと主張するを以て、
陸道の歩行ならず水道の乗船ならず、陸路を自転車にて走行せんが如くなる行道を立つると評さるるによりて、この名を得たのである。
平成の頃三河国(愛知県)南東部に、真宗布教師を自称する○○、その外、○○、○○の三人(敢てその名を秘す)
が主として之を唱え、
その後彼等は大阪某別院に招致せられて、K司教和上の調査を受け、遂にその教諭に服従して局を結びしと云う。
この秘事の徒の主張せし要点は、
一に二種深信は謂ゆる信機と信法との二種にして、二種は同時に起こるに非ず、前後に起こるのであって信機は前なり、信法は後なり。故にまず機を信ぜねばならぬ。
既に蓮如上人の御文に「我が身はわろきいたづらものなりと思ひつめて」とあるによりて、また三願転入は十九願より入るものなれば、自力諸善を策励し
我が身は無漏善の行ずべからざる曽無一善の者なりと落ちきらねばならぬ。
かく落ちきれば助くる法は仏の手許より自然と回向せらるるとし、また正信念佛偈に宗祖の説き給うところの「行者正受金剛心」の行者とは十九願の行信の者なれば、
十八願につきて知識より聞法するに及ばないとした。
二に往還二廻向は何れも今生における相とし、信心獲得の一念に初地の菩薩と同等の覚りを得るとし、後の諸善ならびに五正行に依り初地より八地まで
此土において不退転の菩薩の階梯を上り、八地以降に還相回向に帰入すとしたのである。
又彼の徒は、信心獲得の一念に顕益として仏智を獲るゆえに、信後は次第に煩悩が減ぜられ、定散二善を行ずるも自在となるとした。
又五正行のなかに称名念仏は正定の業とあるも、その実態は説法なりとし、称名念仏を軽視したと云う。
三州異安心御教誡と題する調査書に出づ。
投稿: ハルトマン | 2011年2月26日 (土) 08時17分
ありがとうございます。
では、s会は善知識だのみで、華光会とかは地獄秘事という感じですか?
投稿: | 2011年2月26日 (土) 10時59分
>名無しさん
華光会の人間ではないので、存じません。ご自分で一度華光会の法話に行かれたり、本を読まれて判断されてみては?
投稿: ハルトマン | 2011年2月28日 (月) 18時33分