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2011年1月16日 (日)

自称獲信者との論争3

教学、理論的には完敗を自覚したようで、自称獲信者なおたん氏は、この後体験談をひたすら書き続けますが、その切っ掛けは、EMS氏が論点ずらしを阻止したことです。

なおたんさんには難しい根拠をたくさん出しても解釈は無理でしょうから、以下のことだけでもどんな違った解釈があるのか教えてください。

法然上人は『往生大要鈔』で

われら罪業重しと云へども、いまだ五逆をばつくらず。

と仰り、また『浄土宗大意』には、

五逆をもつくらさるわれらを、弥陀の名号を称念せむに往生うたかうへからず。

ともあります。
聖覚法印の『唯信鈔』には、

五逆の罪人すら、なほ十念のゆゑにふかく刹那のあひだに往生をとぐ。いはんや罪五逆にいたらず、功十念にすぎたらんをや。

とか、

われら、罪業おもしというとも、五逆をばつくらず。

どこをどう読んでも、五逆罪を一般の人は造っていないとしか読めません。これをすべての人が五逆罪を造っていると解釈できる理由が全くわかりません。

全人類が五逆・謗法の者と仰った善知識は誰もいません。未だに全人類が逆謗・闡提だと超こじつけヘンテコ解釈をしている人がいるようですが‥‥。

これに対してなおたん氏は、体験での解釈でしか対抗できませんした。

もし、何も知らない私が、最初に、あなた方の話しを聞いていたら、仏教なんて
聞かなかったですよ。
だって、後生、地獄にも堕ちないし、五逆罪も造っていないし、死後、八万劫中
大苦脳、ひまなく受けるという後生の一大事も無いよ!っ
て言われるのですからねっ!
五逆罪は、両親の介護をさんざんして来た自分の体験を通して、ハッキりと知ら
されましたよ~。
口や身体では、表面上は、私は、大変いい娘でしたが、心で、両親をどれ
だけ切り刻み、邪魔にしてきた事でしょうか。何事も何事も、仏教において
行学は大事ですね~。
やってみないとわかりませんね~。そんなわが身であったなあと、
思い知らされましたから、どなた様が造らずとも、五逆罪を造りどおしの私と知
らされました。
だから、EMSさんのようには、読めませんね~。
阿弥陀仏に救われて、お礼の念仏(乃至十念)を称える身になれば、生きている
間は、罪は造っても、後生には関係なくなるわけで。。
その結果をまともに受ける事は無いのだよ。蓮如上人の御言葉で言うならば、
罪は無き分なり。という意味だとしたら、理解できますけれど。。。
こんな悪造る私は、阿弥陀仏の本願に洩れているのではないかと思ったほどで
す。

しかし、悪人正機と歎異抄にもありますが、まさに、こんな悪しかできない私
おめあての阿弥陀仏の本願であったと知らされましたね。。。
私の体験ではなく、蓮如上人の体験文の方がいいでしょうから、書かせ
ていただきます。
これを何度も読ませていただいても、すばらしいです。

蓮如上人は、後生の一大事の解決を阿弥陀仏にしていただいて、
阿弥陀仏と次第相承の善知識に対して、大変なご恩を知らされて、喜ばれておら
れるのだとしか味わえないのです。

もろもろの雑行雑修自力の心をふりすてて、一心に阿弥陀如来 われらが
今度の一大事の後生 御助け候とたのみ申して候。
たのむ一念のとき、往生一定 おん助け治定と存知、このうへの称名は、
御恩報謝と存知よろこび申し候。この御ことわり聴聞もうしわけ候事、御開山
聖人の御出世の御恩、次第相承の善知識のあさからざる御勧化の御恩と、
ありがたく存知候。このうへは、さだめおかせらるる御おきて、一期をかぎり
まもりもうすべく候。

もろもろの雑行・雑修・自力の心を阿弥陀仏の本願によって振り捨たった時、
たのむ一念の時とは、これは、地獄行き間違いない身でありながら、そんな私を
阿弥陀仏が、一念で助けて下さり、往生一定、死んで極楽浄土
に生まれるに定まった身に、助けてくださり、
御恩報謝の念仏と知らされて、報謝の念仏をよろこび称えさせていただいており
ますというです。。
そして、
いままで、仏教を聴聞させていただけたのは、親鸞聖人がこの世に生まれて下さ
れた御恩そして、お釈迦様をはじめとして、七高僧方の、あさからざる(深い)
御指導の御恩あったなればこそだと、ありがたいことだと喜んでおられるとし
か、解釈できませんの~。

あぶないところ助けていただけたのだと知らされたら、親鸞聖人の恩徳讃のみ心
も、ピタッと理解できるのですが、同じ御文章でも、いろんな解釈があるもの
でございますね~。

自分の体験はこうだとしか反論ができなくなったのです。仏教を聞く目的が、必堕無間から逃れるためということがいいたいのでしょうが、そこがそもそもの間違いです。

仏教を聞く目的は成仏です。浄土門ならば、浄土往生といってもいいです。

基本中の基本が間違っています。以前にもいいましたが、必堕無間から逃れるためだけならば、親鸞会理論では、仏教を聞かずに神に仕えることです。

『教学聖典』より

(問)
 神に仕えた者の恐ろしい結果を教えられた経文を書け。

(答)
 一度、神を拝んだ者は、五百生の蛇身を受け、現世に福報は更に来たらずして、後生は必ず三悪道に堕す。

ところで以前に、なおたん氏の日記上で論争があったのですが、その時はなおたん氏が、都合の悪い人のアクセスを禁止してしまったという経緯があります。
今回それができませんので、なんとしても負けだけは避けたい気持ちで必死に反論し続けています。しかも、親鸞会らしく、

お前に何が分かる、という他人を見下した態度

こうへい氏もそうでしたし、他の講師部員もそうでした。元を辿れば、高森会長が法論で負けそうになった時には、必ず体験談を持ち出してきます。
親鸞会のパターンは上から下までマニュアル通りです。

そこで逃げ道を塞ぐために体験談での論理飛躍解釈をEMS氏が指摘しています。

同じ御文章でも、いろんな解釈があるものでございますね~。

全く同感です。結局、なおたんさんの体験をもとにしてしか解釈ができない、文字上からはなおたんさんの解釈は導き出すことができない、ということですね。

ですから、文底秘沈と言ったのですが、その通りではないですか?

何度も何度も同じことを言わせないでください。

法然上人、聖覚法印、親鸞聖人は、一般の人は五逆罪を造っていないとはっきり仰っています。
どこをどう解釈したら、なおたんさんのように、すべての人が五逆罪を造っているからすべての人が必堕無間となるのですか?

文字上で答えてください。

体験至上主義で阿弥陀仏の救いを語るのは危険ですよね。

真実信心かどうかは、二種深信が立ったかどうかで判定できるといわれますよね。それは賛同いただけますか?

善導大師の機の深信は、『散善義』の 

一には決定して深く、自身は現にこれ罪悪生死の凡夫、曠劫よりこのかたつねに没しつねに流転して、出離の縁あることなしと信ず。

が有名ですが、もう一つ『往生礼讃』にもあります。 

自身はこれ煩悩を具足する凡夫、善根薄少にして三界に流転して火宅を出でずと信知す。

善根薄少」とはありますが、「無善根」ではありません。善根が少ないので、自分の力では出離できないということであって、悪しかできないということではありません。

どこに必堕無間と知らされたと善導大師が仰っていますか?
この2つとも親鸞聖人は御本典に引用されて、真実信心の説明をされています。

なおたんさんの信心は、善導大師、親鸞聖人の信心とは異なるようですね。

私は、善導大師、親鸞聖人と全く同じ二種深信です。

『領解文』の意訳をすると

いろいろの雑行や雑修、自力の心をふりすてて、一心に阿弥陀如来、私たちのこの度の往生の一大事をすべておまかせ致しました。

このたのむ一念のときに、往生は定まり、御助けが治底したことと存じられます。この上から阿弥陀如来の御名を称えさせていただくのは、御恩報謝と存じてよろこんでおります。

この御ことわりを聞かせていただくことができたのは、親鸞聖人が、この世にお出ましになられた御恩、次第に御相承下された善知識方の少なからざるお導きの御恩と有り難く存じます。

この上は定められている御掟を一生涯を通じて守らせていただきます。

このようになります。
少し解説しますと、最初の段には、捨自帰他の安心が示されています。
第2段には、信の一念に往生が定まるから、それ以後の念仏は報恩にほかならないということです。
第3段には、上記の教えを教示し伝持された親鸞聖人や善知識の恩徳を謝すべきことが述べられています。
第4段には、真宗念仏者の生活の心がまえが示されています。

なお、「御たすけ候へとたのみ」というのは、衆生が阿弥陀如来に向かっておたすけを請求する意ではなく、許諾(先方の言い分を許し承諾する)の義で、「必ずたすける」という本願招喚の勅命を領納して、仰せの通りに信順している信相をあらわしています。

やはりどこにも、なおたんさんの体験談である

地獄行き間違いない身でありながら

という意味のことは仰っていません。

なおたんさんの信心は、一体誰と同じなのでしょうか?

体験談は否定できないと踏んだのでしょうが、なおたん氏の体験まで根拠に基づいて否定されてしまい、逃げ場を失っていきます。

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コメント

なおたんさんはいつも「いよいよ地獄行きの私である」と機が先に来て、「こんな者を助けてくださる阿弥陀様だ」と法が後に来てますね。
仏智は完全に後手のようです。
彼女の自称する「機の深信」は捨自の相ではなく、罪福心から一歩も出てませんね。

投稿: Rudel | 2011年1月17日 (月) 08時33分

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