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2011年1月26日 (水)

批判をかわすためのその場凌ぎ教義

前回のエントリーに関して、2000畳座談会に参加していた方からコメントを頂きました。私の言葉足らずの部分を、補足説明をしてくださいました。

>先日の2000畳座談会で、疑情とは19願に対する疑いである、などと高森会長が話をしたと聞きました。
>驚嘆すべき邪説です。

ちょっとニュアンスが違うかと思います。
19願と言っても18願を離れての19願はないから19願に対する疑いも18願に対する疑いと同じことである。
という感じだったように思います。「疑情=19願に対する疑い」とは言ってなかったと思いますよ。

いつものように“三願転入のみ教え”の話ですから、19願を18願に上手く?重ねつつ話してました。

まぁ、おかしなことには変わりはないんですが。

外部の情報を見始めた人は特にですが、この微妙な違いで「インターネットはいい加減な便所の落書きだ」と
判断してしまう人もいると思うので。一応ですが…。

アシスタントがその話題を出した途端に休憩を促して、終了間際に思い出したように上記のことを言ってました。
都合が悪かったから休憩のあいだに切り替えし方を考えていたように思えてならないです。

当然だ的な態度で堂々と18願に絡めて話をしてくるので、外部情報に目をつぶっている人や見ていても
親鸞会以外は全て間違っているというレッテルを貼っている人は18願のみ心を聞いていると思い込んでしまうんですよね~。

僕が驚いたのは、「阿弥陀仏が無量光明土に生まれる足しにならない善を19願で勧めておられるのか?」という
自問に対して「それは弥陀のお計らいだ」と答えたことです。
わからないから納得出来るように説明せよという人は弥陀より偉い人で、弥陀に救われる必要のない人だ」とも
言ってました。かなり強い口調で饒舌に話していたのが印象的でした。
こう言われると会員は疑問を持っていてもそれ以上は何も言えないですよね。支部長などに疑問を言った途端、
それは自惚れだと言われるのがみえてますからね。お聖教を拝読する気もないのですから、
もう思考停止しかないですよ。

「善を勧めておられる」という所を無理やり肯定するために「それは弥陀のお計らいだ」なんて…。
根拠も何もあったもんじゃないですよ。「代打、俺ならぬ根拠、俺」ですね。
根拠がないものは仏教ではないと常々言っておきながら、困ったら弥陀のお計らいではねぇ…。
自己矛盾も甚だしいです。

会長の理屈から言えば、

>『教行信証』化土巻に
>仮令の誓願(第十九願)まことに由あるかな。仮門の教、欣慕の釈、これいよいよあきらかなり。

と19願についておっしゃった親鸞聖人が悪くなってしまいますよね。
この根拠は会内では絶対に出さないから何を言っても良いんでしょうね。
ワシの出さない根拠は教行信証に何が書かれてあっても根拠ではないのでしょう。

これまで何度も述べてきましたが、

阿弥陀仏が無量光明土に生まれる足しにならない善を19願で勧めておられるのか?

の問い自体が真宗でないことを如実に物語っています。聖道門が法然上人を非難した内容と同じです。
この答えが更にすごいです。

わからないから納得出来るように説明せよという人は弥陀より偉い人で、弥陀に救われる必要のない人だ

上から目線で物を言う態度は、講師部員、自称獲信者なおたん氏とそっくりです。流石は、親鸞会のトップという感じです。

阿弥陀仏が19願を建てられた御心について、親鸞聖人は納得できるように説明されていますが、聖教を読んでいない高森会長が無知なだけです。

会員との問答(19願、諸善について)

で、まとめておきましたので、ご確認ください。
関連項目として

会員との問答(方便について)
会員との問答(十方衆生について)

を読んで頂けると、高森会長の邪説がお判り頂けるのではないでしょうか。
難しい御文を理解できない会員さんのために、やさしく解説しますと、阿弥陀仏はどんな極悪人でも、善悪無関係に他力念仏1つで救うと誓われたのが、18願です。

この18願を聞いて、18願での救いを願う人は、極僅かです。仏教自体を否定する正法誹謗の人は、仏教を否定したままで救われることはありません。また、同じ仏教徒と言いながらも聖道仏教を信じている人は、18願を悪人のための願と見下していますので、18願での救いを願おうとはしません。

・18願での救いを願う人
・聖道仏教を信じて18願の救いを願わない人
・仏教自体を否定する人

これらの違う人に対して、全く同じ導き方をすべきと思う方がおかしいでしょう。
仏教自体を否定している人には、まず仏教を信じさせる話をしなければなりません。
聖道仏教を信じている人には、浄土仏教を信じるような導き方が必要になります。
これを権仮方便というのです。
法然上人を非難した聖道門の学僧達は、18願は自分たちには関係ないと思っていましたが、19願は尊重していたのです。
親鸞聖人が仰るように、19願は聖道門から浄土門へ導くための要門に実際になっていたのです。このように聖道門の人を浄土門に導いて、最終的に18願を願わせようと阿弥陀仏が建立されたのが19願なのです。

親鸞聖人は、このように納得できる説明を『教行信証』化土巻でされているのです。それでも納得できない聖道門の人のために、親鸞聖人御自身の体験を仰ったのが、三願転入の文です。

たとえ、外道の信者であっても、聖道門の人であってでも、高森会長のように、

弥陀に救われる必要のない人だ

などと阿弥陀仏は全く思われていません。誹謗正法の者まで救いたもう仏です。

高森会長の主張は、感情と嘘でコロコロ変わりますが、根本は『教行信証』を全く読んだことがないところからきています。

コメントをされた方の言われる通り、教義批判に耐えられなくなったら高森会長は最後に

根拠、俺

と言うと思われます。

高森会長は、外部からの教義批判にその場凌ぎで教えを曲げ続けています。今更修正できず、今後もとことん曲げ続けることでしょう。

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コメント

「疑情とは19願に対する疑いである」
この方がまだよかった。
明らかにおかしくなったと認識できる。
しかし、またいつもの詭弁、言い訳、上からの物言いで押しつけをされたら、
MCされている会員はひとたまりもない。
ひどすぎる。
十方衆生が相手の御本願を何を言っているのか訳が分からないようにねじ曲げるとは何事だ。
会員の後生はどうなる。
皆、三悪道に突き落とす気なのか。
一人でも良い、目覚めてくれ。
我が身の後生の一大事は、そこで解決できるのか疑問を持ってくれ。
阿弥陀様は、現在ただ今、そのままの私を救ってくださるのだ。
御聖教をよく読んでみてくれ。
だれでもいい、気づいてくれ。
「叫べども 叫べども 何故に届かぬこの六字 力乏しき我を悲しむ」
これは、どこかの会長の言葉ではない。
間違えてはいけない。
会長のこの言葉でだまされるのだ。

この御言葉は、阿弥陀様の悲痛な叫び声なのだ。
阿弥陀様が泣いておられるのだ。
すまない、私の力が足らないばかりに。
自分に手を付いて助けさせてくれと言われているのだ。


南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏

投稿: とくよしみね | 2011年1月26日 (水) 21時14分

「わからないから納得出来るように説明せよという人は弥陀より偉い人」
じゃあなくて「儂より偉いやつだ」でしょ。
だから、そんなやつは「弥陀に救われる必要のない人だ」つまり「助けてやんねーよ」と言ってるんだなあ、この人は。こんなジジイに後生を握られて、あわれだなあ、s会信者さんたちは・・・

投稿: | 2011年1月26日 (水) 22時15分

とくよしみね 様
名無し 様

酷いものです。布教師としての倫理観もない人物です。
もちろん仏法者とは言えません。

投稿: 飛雲 | 2011年1月27日 (木) 12時28分

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