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2010年11月23日 (火)

M野氏ではないと否定される方へ。質問に答えて下さい。それと世福を知っていますか?

何やら妄想を書いていますが、こちらからの質問に正しく答えてもらえれば判る話ですけど。極めて重要な内容ですので、M野講師ではないなら尚更答えて下さい。

  1. 2chや講師部合宿でも問題として取り上げられた講師部員の犯罪行為については、往生の障りとならないと思ってしたのか、往生の障りにはなるが「宿善すきなきもの」「宿悪おもきもの」ゆえにしてしまったのか。
    あるいは、廃悪修善を実践する親鸞会講師部員にあっては、犯罪行為を行った講師部員は存在しないと全面否定をするのか。(ここではあえて具体的な内容は伏せておきますが、否定された場合には具体的なことを後ほどお尋ねします)
  2. 高森会長の盗作及び浄財の私的流用は、間違いのない事実として多くの人が確認できることではあるが、世間一般の人でもしないような犯罪行為を何十年もし続けている会長は、講師部員よりも更に「宿善すきなきもの」「宿悪おもきもの」といえる。しかし、そんな「宿善すきなきもの」「宿悪おもきもの」のままの会長が獲信したというのは親鸞会の宿善論と矛盾しないのか。 (盗作、浄財の私的流用を否定されるのであれば、また具体的なことをお尋ねします)
  3. 『観無量寿経』に説かれている下品上生・下品中生・下品下生について、法然上人は『選択本願念仏集』で仰っているように

この三品は、尋常の時ただ悪業を造りて往生を求めずといへども、臨終の時はじめて善知識に遇ひてすなはち往生を得。

(現代語訳)

この下三品は、平常の時ただ悪業ばかり造って浄土往生を求めないけれども、臨終のときになってはじめて善知識に遇うて、すなわち往生を得る。

と、下品上生・下品中生・下品下生のものは、平生に仏法も聞かず、善も行わないもののことであるが、そんなものが臨終に善知識に遇って念仏を勧められただけで往生すると釈尊が説かれたことは、親鸞会の善の勧め、宿善論、三願転入論を否定されていることになるのではないか。

私は聖教上の根拠を挙げて、そのお言葉に添ってしか説明をしておりません。しかし、親鸞会では妄想が根拠であり、国語の能力にも大いに問題がありますので、真宗界では親鸞会のことを新興宗教くらいにしか見做されていないのです。

たとえば、

長い間親の介護をしても「いつまで続くのか」なんて思ったら五逆の下下品なんだが。

と言っていても、その聖教上の根拠はある筈もなく、追及すれば『末灯鈔』を断章取義するだけしか能がないでしょう。超低レベルです。

法然上人は『往生大要鈔』では

われら罪業重しと云へども、いまだ五逆をばつくらず。

と仰り、また『浄土宗大意』には、

五逆をもつくらさるわれらを、弥陀の名号を称念せむに往生うたかうへからず。

とも仰っています。
聖覚法印の『唯信鈔』には、

五逆の罪人すら、なほ十念のゆゑにふかく刹那のあひだに往生をとぐ。いはんや罪五逆にいたらず、功十念にすぎたらんをや。

とか、

われら、罪業おもしというとも、五逆をばつくらず。

とあることも、嘘を言われたのだと法然上人、聖覚法印を謗っている訳です。
しかし、それは親鸞会では謗法罪と教えてましたが、自分はどうせ逆謗の者だからいくら謗法罪をいくら造ってもいいと思っているのでしょうか。やっぱり造悪無碍ですね。

また、三福の中の世福とは、「世俗の善」、つまり世間の善のことです。言い換えれば、倫理道徳の善です。

『散善義』の最初

いま三福といふは、第一の福はすなはちこれ世俗の善根なり。曾よりこのかたいまだ仏法を聞かず、ただおのづから孝養・仁・義・礼・智・信を行ず。ゆゑに世俗の善と名づく。

(現代語訳)

今三福というのは、第一福は、世間の善根であり、いまだかって仏法を聞かない人が、その性質が善であるので、自然に孝養・仁・義・礼・智・信を行ずるから世間の善と名づける。

と善導大師は解説なされています。「仁・義・礼・智・信」は、儒教でいうところの五常です。

『散善義』の中品下生では

一に「中品下生」より以下は、まさしく総じて行の名を挙げて、その位を弁定することを明かす。すなはちこれ世善上福の凡夫人なり。
二に「若有善男子」より下「行世仁慈」に至るこのかたは、まさしく第五・第六門のなかの、簡機・受法の不同を明かす。すなはちその四あり。一には簡機を明かす。二には父母に孝養し、六親に奉順することを明かす。すなはち上の初福(世福)の第一・第二の句に合す。三にはこの人、性調ほり柔善にして自他を簡ばず、物の苦に遭へるを見て慈敬を起すことを明かす。四にはまさしくこの品の人かつて仏法を見聞せず、また悕求することを解らず、ただみづから孝養を行ずることを明かす、知るべし。
三に「此人命欲終時」より下「四十八願」に至るこのかたは、まさしく第八門のなかの、臨終に仏法に遇逢ふ時節の分斉を明かす。
四に「聞此事已」より下「極楽世界」に至るこのかたは、まさしく第九門のなかの、得生の益と去時の遅疾とを明かす。

(現代語訳)

一つに、「中品下生者」より以下は、まさしく総じて行の名をあげて、その位を定めることを明かす。すなわち、世善の上福を修める凡夫である。

二つに、「若し善男子有りて」より「世の仁慈を行ぜん」までは、まさしく第五・第六門の機類を区別することと、法を受ける不同とを明かす。その中に四つある。一つには、機類を区別することを明かす。二つには、父母に孝養をつくし、六親に親しむことを明かす。すなわち、序分の世福の第一・第二にあたる。三つには、この人は、性質がおだやかで善良であり、自他の区別を見ず、人の苦しみに逢うのを見れば、いつくしみの心を起こすことを明かす。四つには、まさしく中品下生の人は、いまだかって仏法をきかず、また浄土を願うことを知らない。ただ自然と孝養を行なうことを明かす。よく知るべきである。
三つに、「此の人命終わらんと欲する時」より「四十八願」までは、まさしく第八門の、臨終に仏法に逢う時節のありさまを明かす。
四つに、「此の事を聞き已って」より「極楽世界」までは、まさしく第九門の、往生の益と往生に要する時の遅速とを明かす。

とあります。
中品下生とは、倫理道徳的な善をしている人のことですが、もちろんそれだけでは往生はできませんので、その人が臨終に善知識から阿弥陀仏の本願を聞いて、浄土を願う人です。
この少し後に

『讃』にいはく、

「中輩は中行中根の人なり。一日の斎戒をもつて金蓮に処す。
父母に孝養せるを教へて回向せしめ、ために西方快楽の因と説く。
仏、声聞衆と来り取りて、ただちに弥陀の華座の辺に到る。
百宝の華に籠りて七日を経。三品の蓮開けて小真を証す」と。

(現代語訳)

讃嘆していう。

中輩は中行を修める中根の人である 一日の斎戒をもって金蓮華に乗る
父母に孝養する善を教えて回向させ 西方に往生する因と説く
仏が声聞衆とともに来たり迎え ただちに弥陀の蓮華座のほとりにいたる
百宝の華に包まれて七日を経る 三品ともに華が開けて小乗のさとりをひらく

と教えておられます。

高森会長も講師部員も、世福ができない者であることは十二分に判っていますし、会長や講師部員が中品下生だなどと誰も思っていませんから、心配御無用です。

会長も講師部員も、国語の能力に大きな問題のありますので、『観無量寿経疏』など難しい書物を読まないことです。
まずはお伽話を読んで国語と倫理道徳を勉強しましょう。

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コメント

M野さんの言葉、「馬鹿じゃないの」をそのまま返します。

親鸞会が馬鹿にしている東本願寺で、昔昔珍重されていた学説をわざわざ持ち出して、これが本願寺教学の伝承だなんて、「馬鹿じゃないの」。

世福の意味も知らないで、倫理道徳の善と蔑んでいるけど、「馬鹿じゃないの」。

『観念法門』の釈を無視して、「馬鹿じゃないの」。

M野氏ではないからと、質問の回答を拒んでいるけど、「馬鹿じゃないの」。

通常の感覚をもった人ならば、静かにしているものだけど、自分で仕掛けた落とし穴に填って、「馬鹿じゃないの」。

『観無量寿経疏』を読んだこともない癖に、知ったか振りして、「馬鹿じゃないの」。

投稿: M野さんへ | 2010年11月23日 (火) 13時17分

M野は、だらだな。
曇鸞大師の時から、道徳として仁・義・礼・智・信は重んじられてきたじゃないの。
人間としての徳を身につけることが、仁・義・礼・智・信であり、倫理道徳の善であり、それを世福という。
これくらいのことも知らずに、何を寝恍けたことを自信一杯にブログで書いているのか。
恥をかくためにブログを書いているの?

こういえば、善知識方は善を勧められている、とまたお馬鹿なことを書いてくるだろうけど、仁・義・礼・智・信と18願での往生とをどなたも関連付けて教えられてはいないんだよ。

倫理道徳の善を浄土往生のために回向した時に、雑行になる。浄土往生と関連付けなければ、雑行ではない。

この違いも理解できないだろうな、だらのM野には。

投稿: カルト教義反対 | 2010年11月23日 (火) 16時45分

M野さんへ 様
カルト教義反対 様

読解力のなさ、理解力のなさ、真面目に議論しようという意欲のなさには、ほとほと呆れ果てています。
揚げ足を何とかとりたいのでしょうが、そんな下らないことにエネルギーを使う余裕があるならば、ボランティア活動でもして、まっとうな道を歩んでもらいたいものです。

また愚かなことを書いてくるでしょうから、構ってちゃんの相手を、誰かしてあげてください。

投稿: 飛雲 | 2010年11月23日 (火) 18時35分

M野講師は、いつものように間抜けなことを言い続けていて、感心しています。
M野講師のブログは、会員減少の役にたっていると思いますので、益々頑張って親鸞会の邪義を明らかにして欲しいです。

投稿: M野講師のお陰で退会した者です | 2010年11月23日 (火) 20時23分

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