誡疑讃を19願を勧められたお言葉と解釈して、真宗界から笑われていますよ
親鸞会では、『正像末和讃』誡疑讃の
如来の諸智を疑惑して
信ぜずながらなほもまた
罪福ふかく信ぜしめ
善本修習すぐれたり
を、親鸞聖人が19願を勧められた根拠として教えているので、M野講師もそれに倣っただけでしょう。過去のエントリーを読まれれば、その誤りはお判り頂けると思いますが、簡単にまとめておきます。
この御和讃は『大無量寿経』胎化段と呼ばれるところを仰ったものです。
そのときに慈氏菩薩(弥勒)、仏にまうしてまうさく、「世尊、なんの因、なんの縁ありてか、かの国の人民、胎生・化生なる」と。仏、慈氏に告げたまはく、「もし衆生ありて、疑惑の心をもつてもろもろの功徳を修してかの国に生れんと願はん。仏智・不思議智・不可称智・大乗広智・無等無倫最上勝智を了らずして、この諸智において疑惑して信ぜず。しかるになほ罪福を信じ善本を修習して、その国に生れんと願ふ。このもろもろの衆生、かの宮殿に生れて寿五百歳、つねに仏を見たてまつらず、経法を聞かず、菩薩・声聞の聖衆を見たてまつらず。このゆゑに、かの国土においてこれを胎生といふ。
(現代語訳)
そのとき弥勒菩薩がお尋ねした。
「世尊、いったいどういうわけで、その国の人々に胎生と化生の区別があるのでしょうか」
釈尊が弥勒菩薩に仰せになる。
「さまざまな功徳を積んでその国に生れたいと願いながら疑いの心を持っているものがいて、無量寿仏の五種の智慧を知らず、この智慧を疑って信じない。それでいて悪の報いを恐れ、善の果報を望んで善い行いをし、功徳を積んでその国に生れたいと願うのであれば、これらのものはその国に生れても宮殿の中にとどまり、五百年の間まったく仏を見たてまつることができず、教えを聞くことができず、菩薩や声聞たちを見ることもできない。そのため、無量寿仏の国土ではこれをたとえて胎生というのである。
「化生」は報土往生、「胎生」は化土往生のことです。この
この諸智において疑惑して信ぜず。しかるになほ罪福を信じ善本を修習して
の部分を親鸞聖人は御和讃で言い換えられたものです。ですから、他力念仏と自力念仏、報土往生と化土往生を間違えている人がいることを嘆かれた御和讃なのです。
『大無量寿経』胎化段は、化土往生の根拠として、『往生要集』にも引用されていまして、これまでに化土往生について述べる時に何度か紹介してきました。
親鸞聖人は、『大無量寿経』胎化段を『教行信証』化土巻に引かれていますが、『三経往生門類』の方が明確に仰っています。
願(第二十願)成就の文、『経』(大経)にのたまはく、
(中略)
仏、慈氏に告げたまはく、〈もし衆生あつて、疑惑の心をもつてもろもろの功徳を修し、かの国に生れんと願じて、仏智・不思議智・不可称智・大乗広智・無等無倫最上勝智を了らずして、この諸智において疑惑して信ぜず。しかるになほ罪福を信じて善本を修習して、その国に生れんと願ぜん。このもろもろの衆生、かの宮殿に生れて寿五百歳ならん。つねに仏を見たてまつらず、経法を聞かず、菩薩・声聞・聖衆を見ず、このゆゑにかの国土、これを胎生といふ。
親鸞聖人は、ここを20願成就文とされたのです。単に念仏を称えるというのではなく、「罪福を信じて善本を修習」することを20願の自力念仏となされたのです。
従って、御和讃の「罪福ふかく信ぜしめ」が19願を勧められたものという解釈は、実に頓珍漢な話です。
この御和讃の前後には、
不了仏智のしるしには
如来の諸智を疑惑して
罪福信じ善本を
たのめば辺地にとまるなり罪福ふかく信じつつ
善本修習するひとは
疑心の善人なるゆゑに
方便化土にとまるなり
等の御和讃があり、同じ内容のことを何度も仰っています。親鸞聖人は、20願自力念仏の人を「疑心の善人」とされて、因果の道理を深く信じて自力念仏をたのみにしていては、化土往生に留って報土往生できないと、自力念仏を誡めておられるのです。
更には、誡疑讃の最後に親鸞聖人は以下のように付け加えておられます。
以上二十三首、仏不思議の弥陀の御ちかひをうたがふつみとがをしらせんとあらはせなり。
要するに、誡疑讃は19願自力修善も、20願自力念仏も勧めるどころか厳しく誡めておられるのです。常識中の常識です。
親鸞会は、たまたま見つけたお言葉を、前後も無視して、自分の都合のいいように解釈して使っているだけで、これも断章取義、珍解釈の代表例です。
これらの誡疑讃は、化土往生する人がいることを親鸞聖人がはっきり仰ったのと、”三願転入の教え”なるものをきっぱり否定されたという2つの意味で重要な根拠です。
真逆の解釈をして、真宗界から笑い物にされていることを親鸞会の会員は、知っておくべきでしょう。
そして、こんな超低レベルの理解で親鸞聖人の正しい教えを伝えていると大法螺を吹いている人物が、善知識なのかどうか、よくよく考えて下さい。
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