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2010年11月 1日 (月)

M講師からの反論-化土往生2

親鸞会の化土往生に対する知識の乏しさには、本当に呆れ果てます。化土往生は経典でも説かれていますし、善知識方は化土往生について度々仰っています。特に親鸞聖人は化土往生について、多くの御著書の中で、かなり詳しく教えられた上で、化土往生を願うことを厳しく誡められています。

前回、その根拠を列記しましたが、あの多くの根拠を見るだけでも、化土往生が机上の空論ではないことは誰にでも判ると思います。

以前に

本当は必ず無間地獄に堕ちるのに故意に化土に往生できるぞと我々を騙されたのであろうか

でも紹介しましたが、高森会長は『会報』第5集に、化土往生を説く大沼法竜師を非難して以下のように書いています。

 ここで特に注意しておかねばならぬことは真宗の道俗の中に、未だ大信海に入らずとも求めている者が死ねば、みんな間違いなく化土往生出来ると主張し同行の求道心をさまたげている人がいるということである。これは許すことの出来ない正法の怨敵である。三機のところでも述べたように十九願の邪定聚の機ならば化土へも行けるであろうが、真宗の道俗の中に、そのような者は見当らないから化土往生どころか必堕無間こそ間違いのない後生である。
 若し、信前の者も、求めてさえいれば化土往生が出来、やがて報土往生、弥陀同体成仏出来るのなら後生の一大事は立たない。後生の一大事生死の一大事の立たないところに仏法、また成立しないのである。
 若し、信前の者が、みんな化土往生出来るのなら、親鸞聖人は、なぜに「たとえ、大千世界に、みてらん火をもすぎゆきて、仏の御名をきけ」と仰言ったか。又『教行信証』総序に「もしまたこのたび疑網に覆蔽せられなば、更りてまた昿劫を経歴せん」と悲嘆なされたか。化土往生してやがて必然的に報土往生が出来れば昿劫を経歴する心配がある筈がないではないか。
 蓮如上人も『御文章』の各処に「この信、決定されずんば極楽には往生せずして化土にまいるべきなり」とはいわれずに「無間地獄に堕在すべし」と教えられ、故に「一日も片時も急いで信心決定せよ」「命のうちに不審もとくとくはれられ候わでは、さだめて後悔のみにて候わんずれ、おん心得あるべく候」と手に汗握って御勧化になっていられる。本当は化土往生出来るのに故意に無間地獄に堕ちるぞと我々をおどろかされたのであろうか。そんなことがあり得る筈がない。
 これらの善知識の仰せの通り信前の者には必堕無間の後生の一大事があればこそではないか。信心決定という難関を突破させて貰わない限り誰人と雖も、化土どころか無間地獄に堕在するという後生の一大事は、まぬがれないことを深く牢記すべきである。

これは、化土往生についての親鸞聖人のお言葉を知らない者の妄想です。親鸞聖人が化土往生に関して多くのお言葉を残されていることを知れば、以下のように言い換えなければなりません。

本当は必ず無間地獄に堕ちるのに故意に化土に往生できるぞと我々を騙されたのであろうか。そんなことがあり得る筈がない。
 これらの善知識の仰せの通り信前の者には化土往生があればこそではないか。自力に拘って、信心決定という難関を突破させて貰わない限り誰人と雖も、化土往生にしかならず、報土往生という後生の一大事を遂げることのできないことを深く牢記すべきである。

実に単純な話です。何度も言いますが、ほんの一部の根拠に対して、その根拠を否定する他の膨大な根拠があるとしたならば、そのほんの一部の根拠の解釈が間違っていると考えるのが普通です。それが理解できない親鸞会は、1%の間違った解釈の根拠で99%の根拠を否定するから簡単に突っ込まれるのです。

こういえば、一切経の99%は善の勧めだ、と親鸞会はお目出たい反論をするでしょうが、歴代善知識方の御著書を読めば、その考え方が浄土門の教えではないのです。親鸞聖人の御著書でいえば、往生のために善を勧められた箇所は、0%です。

高森会長は昔、法話でよく言っていました。

七千余巻に及ぶ一切経の中でわずか一巻でも読まないものがあれば、それで一切経に何が書かれてあるかを理解することができない。

それならば、

親鸞聖人の御著書の中で一冊でも読まないものがあれば、それで親鸞聖人の教えを理解することができない。

になりますが、親鸞会の場合は、親鸞聖人の御著書の1%しか読んでいないのです。それで何が理解できると言うのでしょうか。実にふざけた教義と言わざるを得ません。

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