高森会長を痛烈に非難するM野講師
M野講師を見直しました。今回のブログの内容は、真仮を知らされていない高森会長に対する痛烈な非難です。
真実と権仮方便の違いも判らずに、権仮方便を勧める人物は、
真仮の違いも判っていない、
その主張は浄土真宗ではない。
悪知識である。
余りにも明らかなこと。
だそうです。
さて、権仮方便については、これまでに何十回も述べてきました。
しかるに願海について真あり仮あり。ここをもつてまた仏土について真あり仮あり。
選択本願の正因によりて、真仏土を成就せり。
(中略)
仮の仏土とは、下にありて知るべし。すでにもつて真仮みなこれ大悲の願海に酬報せり。ゆゑに知んぬ、報仏土なりといふことを。まことに仮の仏土の業因千差なれば、土もまた千差なるべし。これを方便化身・化土と名づく。真仮を知らざるによりて、如来広大の恩徳を迷失す。これによりて、いま真仏・真土を顕す。(現代語訳)
ところで、如来の願に真実と方便とがある。だから、成就された仏と浄土にも真実と方便とがある。
第十八願を因として真実の仏と浄土が成就されたのである。
(中略)
方便の仏と浄土のことは、次の「化身土文類」に示すので、そこで知るがよい。すでに述べてきたように、真実も方便も、どちらも如来の大いなる慈悲の願の果報として成就されたものであるから、報仏であり報土であると知ることができる。方便の浄土に往生する因は、人によってそれぞれにみな異なるから、往生する浄土もそれぞれに異なるのである。これを方便の化身・方便の化土という。如来の願に真実と方便とがあることを知らないから、如来の広大な恩徳を正しく受け取ることができないのである。このようなわけで、ここに真実の仏・真実の浄土について明らかにした。
と親鸞聖人は仰っています。真実については『教行信証』の教巻から真仏土巻までで明らかにされて、化土巻で権仮方便について明らかにするから、権仮方便に迷うなよ、と教えておられるのです。
さて、権仮方便とは具体的に何かということについて親鸞聖人は『浄土和讃』大経讃に
念仏成仏これ真宗 万行諸善これ仮門
権実真仮をわかずして 自然の浄土をえぞしらぬ(現代語訳)
本願を信じ、 念仏して成仏するということが、 お釈迦さまの本意にかなった真実の教えであり、 万行諸善によって仏となるという聖道門の教えは、 念仏に引き入れる方便として説かれた仮の教えである。
真実の教えと、 方便の教えとを区別しないで、 どうして阿弥陀如来の自然の浄土をよく知ることができようか。聖道権仮の方便に 衆生ひさしくとどまりて
諸有に流転の身とぞなる 悲願の一乗帰命せよ(現代語訳)
聖道門、 自力権仮方便の教えに、 衆生が久しい間止まっているため、 自力によっては迷いを出ることができない。
それで、 諸々の迷いの世界を生死流転する身となっている。 聖道自力を捨てて、 早く弥陀本願一乗に帰順したてまつれ。
とあり、『教行信証』化土巻に
この願の行信によりて、浄土の要門、方便権仮を顕開す。
(現代語訳)
この第十九願の行と信とをよりどころとして、釈尊は『観無量寿経』に、浄土の要門すなわち方便である仮の教えを顕された。
と仰っています。聖道門と19願は権仮方便であるということです。つまり、権仮方便は捨てものであるから、それらを捨てて、早く真実18願に帰依せよと親鸞聖人は仰っているのです。これは、信心決定していなくても、親鸞聖人の教えを少しでも学んだ人ならば知っている、超常識です。この超常識さえも判っていない人は、信心がどうこういう以前の問題です。M野講師のいわれるように、そんな人は間違いなく悪知識です。
では、信心決定した人は、聖道門や19願についてどのように知らされるのか。
これも何度も何度も紹介してきましたが、善導大師は『散善義』深心釈に二種深信を含めた七深信を教えられてその第三深信に
また決定して深く、釈迦仏、この『観経』の三福・九品・定散二善を説きて、かの仏の依正二報を証讃して、人をして欣慕せしめたまふと信ず。
(現代語訳)
また釈迦仏がこの《観経》に、阿弥陀仏の依正二報を讃嘆せられて、三福・九品・定散二善の行を説かれてあるのは、衆生を誘引したもう方便の善である、と決定して深く信ずる。
と教えられています。『教行信証』信巻にも引かれていますし、この内容は、化土巻の要門釈にも詳しく解説なされています。当ブログでも、何度も何度も述べてきました。19願は聖道門の人を浄土門に誘引する願であると深信するのです。
ところが、18願で救われるためには、まず19願から始めなければならないと教えている人物は、第三深信とも相違しています。真実信心とは違います。
そんな人物とは、高森会長のことです。そいうえば、M野講師もブログで18願で救われるために19願や諸善を勧めていましたけど、自分も異安心かつ悪知識と告白したということですね。
では、ネットで8年前から言われ続けている講師部員の犯罪行為は、18願で救われるためには、悪も障りにならないし、善も必要ないことを講師部員が身を以て示されるためであったということでしょうか。
しかしそれはそれで、造悪無碍といわれますけど…。
高森会長を非難するのは大いに賛成ですが、御自身のこともきちんと説明してもらえませんでしょうか。
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