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2010年11月25日 (木)

高森会長を非難しているのですか、あるいは七高僧のことを異安心だと誹謗しているのですか?

「九品の実機は逆謗」だとM野氏でないと否定される方は、断言しています。「親鸞会ブログポータル・ナビ」のコメント欄でも書かれた方がありましたが、七高僧は我々の実機についてどう仰っているのか、親鸞会の『教学聖典』に問答があります。


 我々の実機を七高僧は何と言われているか示せ。

 龍樹菩薩──儜弱怯劣
 天親菩薩──普共諸衆生
 曇鸞大師──造罪の人
 道綽禅師──若し悪を造ることを論ずれば
          何ぞ暴風駛雨に異ならん
 善導大師──機の深信
 源信僧都──予が如き頑魯の者
 法然上人──愚痴の法然房・十悪の法然

どうでしょうか。これらが逆謗という意味なのでしょうか。

最初に判りやすい龍樹菩薩のお言葉を見てみましょう。
『十住毘婆沙論』易行品には、

問ひていはく、この阿惟越致の菩薩の初事は先に説くがごとし。阿惟越致地に至るには、もろもろの難行を行じ、久しくしてすなはち得べし。 あるいは声聞・辟支仏地に堕す。もししからばこれ大衰患なり。
(中略)
このゆゑに、もし諸仏の所説に、易行道にして疾く阿惟越致地に至ることを得る方便あらば、願はくはためにこれを説きたまへと。

答へていはく、なんぢが所説のごときは、これ儜弱怯劣にして大心あることなし。これ丈夫志幹の言にあらず。なにをもつてのゆゑに。もし人願を発して阿耨多羅三藐三菩提を求めんと欲して、いまだ阿惟越致を得ずは、その中間において身命を惜しまず、昼夜精進して頭燃を救ふがごとくすべし。
(中略)
大乗を行ずるものには、仏かくのごとく説きたまへり。「願を発して仏道を求むるは三千大千世界を挙ぐるよりも重し」と。なんぢ、阿惟越致地はこの法はなはだ難し。久しくしてすなはち得べし。もし易行道にして疾く阿惟越致地に至ることを得るありやといふは、これすなはち怯弱下劣の言なり。これ大人志幹の説にあらず。なんぢ、もしかならずこの方便を聞かんと欲せば、いままさにこれを説くべし。

(現代語訳)

問うていう。この不退の菩薩が初地に入るまでの修行のありさまは、さきに説いた通りである。不退の位に至るについては、多くの難行を行じ、久しい間かかってようやくこれを得ることができるので、あるいは声聞・縁覚の地位に退堕することがある。もしそうなれば、これは大きな損失であり、災患である。
(中略)
こういうわけであるから、もし諸仏の説きたもう中に、易行道ですみやかに不退の地位に至ることのできる方法があるならば、どうか、わたしのためにこれを説かれよ。

答えていう。そなたのいうようなことは、根機の劣った弱い者のいうことで大きな志ではなく、これは雄々しく堅固な志を持つ者のことばではない。なぜかというと、もし人が願いを起こし無上仏果を求めようと欲して、まだ不退の位を得ないならば、その間は身命を惜しまず昼夜精進して、頭に付いた火を払い消すようにせねばならぬ。
(中略)
大乗を行ずる者には、仏は次のように説かれてある。「発願して仏果を求めることは三千大千世界をもち挙げるよりも重い」と。そなたが不退の位を得る法は甚だむずかしく、久しい間かかってようやく得ることができる。もしすみやかに不退の位に至ることのできる易行の道があろうかというならば、これはすなわち根機の劣った弱い者の言葉で、すぐれた人、堅固な志を持つ者のいうことではない。
しかしながら、そなたが、もし必ずこの方法を聞きたいと思うならば、今まさにこれを説くであろう。

と仰っています。、「儜弱怯劣」とは、難行道(聖道門)の修行に堪えることのできない人に対して龍樹菩薩が仰ったものです。難行道の修行に堪えることのできる人が「丈夫志幹」「大人志幹」です。難行道の修行に堪えられない人が「儜弱怯劣」「怯弱下劣」です。それ以上の意味がここからは読み取れませんが、”文底秘沈の教え”では、

儜弱怯劣=逆謗

となるのでしょうか?

次にM野氏ではないと否定される方がお好きな善導大師を見てみましょう。
これまでに何度も紹介してきましたが、機の深信は2箇所で表現を変えられて仰っています。

『散善義』

一には決定して深く、自身は現にこれ罪悪生死の凡夫、曠劫よりこのかたつねに没しつねに流転して、出離の縁あることなしと信ず。

と、もう一つ『往生礼讃』

自身はこれ煩悩を具足する凡夫、善根薄少にして三界に流転して火宅を出でずと信知す。

です。後者の方では、「善根薄少」となっており「無善根」ではありません。善根が少ないので、自分の力では出離できないということであって、悪しかできないということではありません。
一方、『散善義』の下品下生の解説では、

一には造悪の機を明かす。二には総じて不善の名を挙ぐることを明かす。

(現代語訳)

一つには、悪を造る機であることを明かす。二つには、総じて不善の名をあげることを明かす。

とあります。善導大師御自身のことを仰った「善根薄少」は、下品下生の「不善」 とは違います。”文底秘沈の教え”では、

善根薄少=不善

となるのでしょうか?

さすがに法然上人の「愚痴の法然房」「十悪の法然」ならば、日本語の不自由な方でも判ると思います。それでも判らない困った人には、以前から紹介しています法然上人のお言葉、『往生大要鈔』

われら罪業重しと云へども、いまだ五逆をばつくらず。

『浄土宗大意』

五逆をもつくらさるわれらを、弥陀の名号を称念せむに往生うたかうへからず。

を読んで下さい。

説明が長くなるので省略しましたが、他の方も我々の実機が逆謗という意味で仰っていません。

結局のところ、高森会長が日本語が理解できずに間違えた問答を作ったと非難したいのか、あるいは七高僧の安心が高森会長と違う異安心と言いたいのでしょう。

高森会長とM野氏ではないと否定される方は、何様のつもりですか?

親鸞会は、仏教と無関係の新興宗教とはっきり言ったらどうでしょう。.

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