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2010年11月27日 (土)

M野氏ではないと否定される方が答えないので、替わりに答えておきました

M野氏ではないと否定されている方に、表現を変えて以下の質問をしていました。

窃盗という法律上の悪を犯した講師部員がいることは、誰も否定しませんのでこれを前提として話をします。

会員の模範であり、宿善が一般の人よりも遥かに厚い筈の講師部員が、一般の人がしない法律上の悪をどういう気持ちで犯したのかを尋ねたいのです。それと高森会長は、宿善が厚く宿善開発したと聞いていますが、盗作や浄財の私的流用も、窃盗の一種であり、宿善の意味を知りたいのです。

聖覚法印、覚如上人が仰っていることをそのまま当て填めれば、会長とその講師部員は「宿善すくなきもの」「宿悪おもきもの」であったということです。もしそうならば、会長は宿善開発していると言えないのではないでしょうか。
あるいは、会員には廃悪修善を勧めながら、往生の障りにならないから本当は善をしなくてもいし、悪をどれだけしても関係ないのだ、と思っているのでしょうか。だとすれば、完全に謗法罪です。

『選択本願念仏集』には

この三品は、尋常の時ただ悪業を造りて往生を求めずといへども、臨終の時はじめて善知識に遇ひてすなはち往生を得。

(現代語訳)

この下三品は、平常の時ただ悪業ばかり造って浄土往生を求めないけれども、臨終のときになってはじめて善知識に遇うて、すなわち往生を得る。

と、下品上生・下品中生・下品下生のものは、平生に仏法も聞かず、善も行わないもののことでありますが、そんなものが臨終に善知識に遇って念仏を勧められただけで往生すると釈尊が説かれたことは、親鸞会の善の勧め、宿善論、三願転入論を否定されていることになるのではないですか。

こんな簡単な質問に、全く答えられないとは、恐れ入ります。仕方がないので、替わりに答えておきましょう。

ある講師部員(仮にM氏としておきます)が窃盗という犯罪を行ったと”仮定”しておきます。M氏は、仏教は廃悪修善を教えたものであり、善をしなければ信仰は進まないと堅く信じている筈で、それを会員にも伝えていたのです。
ところが、窃盗という犯罪を行ってしまったのはなぜか。

これについては『歎異抄』第13章の中で、親鸞聖人のお言葉が紹介されています。

 よきこころのおこるも、宿善のもよほすゆゑなり。悪事のおもはれせらるるも、悪業のはからふゆゑなり。故聖人(親鸞)の仰せには、「卯毛・羊毛のさきにゐるちりばかりもつくる罪の、宿業にあらずといふことなしとしるべし」と候ひき。
 またあるとき、「唯円房はわがいふことをば信ずるか」と、仰せの候ひしあひだ、「さん候ふ」と、申し候ひしかば、「さらば、いはんことたがふまじきか」と、かさねて仰せの候ひしあひだ、つつしんで領状申して候ひしかば、「たとへば、ひと千人ころしてんや、しからば往生は一定すべし」と、仰せ候ひしとき、「仰せにては候へども、一人もこの身の器量にては、ころしつべしともおぼえず候ふ」と、申して候ひしかば、「さては、いかに親鸞がいふことをたがふまじきとはいふぞ」と。
 「これにてしるべし。なにごともこころにまかせたることならば、往生のために千人ころせといはんに、すなはちころすべし。しかれども、一人にてもかなひぬべき業縁なきによりて害せざるなり。

(現代語訳)

 善い心がおこるのも、 過去の世の善い行いがそうさせるからです。 悪いことを考え、 それをしてしまうのも、 過去の世の悪い行いがはたらきかけるからです。 今は亡き親鸞聖人は、 「うさぎや羊の毛の先についた塵ほどの小さな罪であっても、 過去の世における行いによらないものはないと知るべきである」 と仰せになりました。
 またあるとき聖人が、 「唯円房はわたしのいうことを信じるか」 と仰せになりました。 そこで、 「はい、 信じます」 と申しあげると、 「それでは、 わたしがいうことに背かないか」 と、 重ねて仰せになったので、 つつしんでお受けすることを申しあげました。 すると聖人は、 「まず、 人を千人殺してくれないか。 そうすれば往生はたしかなものになるだろう」 と仰せになったのです。 そのとき、 聖人の仰せではありますが、 わたしのようなものには一人として殺すことなどできるとは思えません」 と申しあげたところ、 「それでは、 どうしてこの親鸞のいうことに背かないなどといったのか」 と仰せになりました。
続けて、 「これでわかるであろう。 どんなことでも自分の思い通りになるのなら、 浄土に往生するために千人の人を殺せとわたしがいったときには、 *すぐに殺すことができるはずだ。 けれども、 思い通りに殺すことのできる縁がないから、 一人も殺さないだけなのである。 自分の心が善いから殺さないわけではない。 また、 殺すつもりがなくても、 百人あるいは千人の人を殺すこともあるだろう」 と仰せになったのです。 このことはわたしどもが、 自分の心が善いのは往生のためによいことであり、 自分の心が悪いのは往生のために悪いことであると勝手に考え、 本願の不思議なはたらきによってお救いいただくということを知らないでいることについて、 仰せになったのであります。

高森会長の『歎異抄をひらく』では、都合が悪いからこの部分の解説はしていませんが、このM氏の窃盗という犯罪は、宿業によるのであり、誰から窃盗をせよと言われても、そのような宿業のない人は窃盗をしません。逆に、窃盗は絶対にしてはいけないと教えられ、他人にまで偉そうに言っていてもしてしまう宿業をもっているM氏は、窃盗をしてしまったのです。
ですから、善をせよ、悪をするなと言われても、その通りにできる人もあれば、できない人もあるのです。

親鸞会の『教学聖典』にある


 宿善の厚き人と、薄き人との違いを教えられた『唯信鈔』の御文を示せ。


 宿善の厚きものは今生も善根を修し悪業をおそる。
 宿善少きものは今生に悪業をこのみ善根をつくらず。

に従うならば、このM氏は「宿善少きものは今生に悪業をこのみ善根をつくらず」になります。親鸞会のいつもの言い方で言えば、宿善の薄い者ということです。つまり、講師部員でありながら、しかもかつて講師部員の最上位にいたとしても、宿善の薄い者です。親鸞会の会員が聞いたら驚くべきことです。これを知って、退会した人が実際にあるくらいです。

ところが、高森会長のことを見てみれば、もっと酷いものです。盗作は隠しようもなく、そればかりかこんなに苦労して書いたんだと、会員に恩の押し売りまでしていたり、あるいは、すべて会員のためと言いながら会館を建て続け、その裏では会員の浄財を使って隠して豪華な御殿を次々と建設していたりと、一般の人から見たら、なんと心の乏しい極悪人だと見下されるようなことを今でもし続けているのです。
高森会長は宿善の薄い者としかいえません。宿善が薄いままで高森会長が救われたというのは、宿善が厚くならなければ救われないという親鸞会の宿善論の破綻を意味しています。

しかし、阿弥陀仏の18願は、窃盗をしたM氏も、盗作や浄財の私的流用の常習犯の高森会長も、一般の人も、善凡夫も、聖者も関係なく、そのまま平等一味に救いたもうのです。
悪人に善人になれという条件は全く付けておられません。

『正信偈』

凡聖・逆謗斉しく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。

とあり、蓮如上人は『正信偈大意』

「凡聖逆謗斉回入 如衆水入海一味」といふは、凡夫も聖人も五逆も謗法も、斉しく本願の大智海に回入すれば、もろもろの水の海に入りて一味なるがごとしといへるこころなり。

と解説しておられる通りです。

このように聞けば、悪人は悪に誇って善に努めようとしない高森会長やM氏のようになるから、九品の差別を設けて、できる範囲内で善に努めるように釈尊が説かれたのだと法然上人が仰ったのが、『西方指南抄』の

極楽の九品は弥陀の本願にあらず、四十八願の中になし、これは釈尊の巧言なり。善人・悪人一処にむまるといはば、悪業のものども慢心をおこすべきがゆへに、品位差別をあらせて、善人は上品にすすみ、悪人は下品にくだるなりと、ときたまふなり。

です。往生、獲信と善悪とは無関係ではありますが、人間として、仏法者として善に励むように心掛けなければなりません。
耳四郎は、獲信後も泥棒を止めることができなかったと以前にも書きましたが、亡くなるまでには止めることができたと伝えられています。耳四郎は耳四郎なりに努力したのです。

M氏も、窃盗はその後止めることができたのかどうか定かではありませんが、嘘や謗法罪は、いつまで経っても止めようとさえしないのは、何とも情けないことであり、仏法者以前に、一般人の中でも御粗末な部類にしか入りません。悪をやめようという気持ちさえ起こしていませんので、死ぬまで止められないでしょう。哀れなものです。

M野氏ではないと否定される方が答えないので、替わりに答えておきました。当ブログを読んでいるようですので、反論する気が起こるかどうかだけです。

答えるまで今後も、質問は続けていきますので、よろしくお願いします。

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コメント

M野さんのお陰で、退会者も現われ、親鸞会の衰退に貢献していますね。喜ばしいことです。

こんな人物が西総本部長を歴任してきたのですから、宿善論の間違いを、M野さん自身が証明してくれています。

親鸞会を辞めずに、ネット対策を続けているのも、宿業によるのですね。頭では分かっていても辞めることのできない宿業の持ち主M野さん、そのまま堕ちるところまで堕ちて下さい。

投稿: M野さんへ | 2010年11月28日 (日) 05時31分

> 往生、獲信と善悪とは無関係ではありますが、人間として、仏法者として善に励むように心掛けなければなりません。

結局は、上層部にそれがないから会員の信用を得られないんだよね。
善に励むということは、往生とは無関係に、人間として大事なこと。
善に励もうともしていない高森会長や講師部員が、一般会員に「善に励め」と
言ったところで、会員の心には届かないんだよね。

投稿: | 2010年12月 1日 (水) 11時50分

俺自身は、親鸞会で因果の道理を聞いてから自分なりに過去の自分と比べると
善に励もうという気持ちが強くなったし、万引きをするとか盗作をするといった
レベルの悪事はできなくなった。そもそも、上層部は因果の道理さえ、まったく、
これぽっちも、理解してないんでないの。

投稿: | 2010年12月 1日 (水) 11時54分

M野さんへ 様
名無し 様

会長も講師部員も、因果の道理を信じてはいないでしょう。
一般会員の方が、仏法に対して余程、真面目で純粋です。
外道を信じている者たちが、仏法という名前を騙っているだけです。

酷い団体です。

投稿: 飛雲 | 2010年12月 4日 (土) 11時24分

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