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2010年10月22日 (金)

当たり前のことも理解できないなら、質問にだけ答えてください。

念仏は暫用還廃の方便ではない”と当たり前のことが書かれていました。それで何?という感じですが、実は5ヶ月前に「他の方便なし」のお言葉を出した時点で、この反論が出てくると想定していました。
ところが、よく理解できなかったのでしょうか、これに対するコメントが5ヶ月もの間どこからもありませんでした。
意味が判らずにコメントしてこないのだと思いまして、『観無量寿経』の下品下生に関することを、延々とこれまで書いてきました。これで理解できたであろうと安心していたところに、今頃こんなことを言ってくるとは、余程の知能の持ち主です。

方便についても、過去に何度も書いてきましたし、あれだけ説明しても、こんな幼稚園児並みのことを今頃書いてくるようでは、国語のレクチャーも必要なのでしょうか。

それでは、これならどうでしょう。大善知識様よりは格下ですが、50年前の無二の善知識のお言葉です。

高森顕徹著『顕正』(昭和33年発行)

 然るに、わが浄土真宗は、このような十九、二十の本願に当る浄土宗とは違って十八願の願意である、信心正因、称名報恩の仏意を弘通する教えであるから、信前の人にも信後の人にも、始終一貫して信心正因、称名報恩の教えを勧めなければならない。
 勿論、機には未熟の者もあるから、いくら信心正因、称名報恩、信心が往生の正因であり称える念仏は報謝だから、早く信心決定して報謝の念仏称える身になって下さいと勧めても、直にその通りになれない人もあろうけれども、それは機の過失であって法門は常に信因称報の仏意を説き示さなければならない。
 喩えば、虎の手本をみて虎を描こうと思っても、どうしても最初の間は虎ではなく猫の絵になってしまうが、たゆまず屈せずアキラメず虎の手本を見て描いているうちに本当の虎の絵がかけるようになるように、手本は如何に信心正因、称名報恩でも機執によって、そのようになれず、或は定散自力の称名となり、称名正因となるものもあろうが、たゆまずアキラメず信心正因、称名報恩の教えを勧めていれば、やがてその真意を諦得出来るようになるのである。
 或る画家が弟子に虎を描かす為に虎の手本を渡した。ところが弟子のかいたものは、どうみても虎ではなく、猫の絵であった。画家は再三描かせてみたが、やはり猫しか書けなかった。そこで師匠は虎をかゝせることをあきらめて猫の手本をわたした。その弟子は一生猫より描くことが出来なくなったという。
 未熟な人に合せて信心正因、称名報恩の教え以外の法門を説いて信心を得る方法には称名せよなどと教えればあたかも猫の手本を与えて虎をかく方法とするようなものである。故に教家は常に虎の説法をしなければならないのである。

他の方便なし」とは、こういうことです。

「親鸞会教義の誤り」
宿善とは5

にもありますように、

「宿善の機」には、「常に虎の説法をしなければならない」と蓮如上人は教えておられます。もちろん親鸞聖人も、「常に虎の説法」しかしておられません。

虎を描きたいと弟子入りした人に、猫どころか鼠の手本をわたしてどうするつもりでしょうか。

ということです。
まあ、これでも理解できないでしょう。仕方がないですね。

以下の問いにだけ答えてもらえれば結構です。

  1. 2chや講師部合宿でも問題として取り上げられた講師部員の犯罪行為については、往生の障りとならないと思ってしたのか、往生の障りにはなるが「宿善すきなきもの」「宿悪おもきもの」ゆえにしてしまったのか。
    あるいは、廃悪修善を実践する親鸞会講師部員にあっては、犯罪行為を行った講師部員は存在しないと全面否定をするのか。(ここではあえて具体的な内容は伏せておきますが、否定された場合には具体的なことを後ほどお尋ねします)
  2. 高森会長の盗作及び浄財の私的流用は、間違いのない事実として多くの人が確認できることではあるが、世間一般の人でもしないような犯罪行為を何十年もし続けている会長は、講師部員よりも更に「宿善すきなきもの」「宿悪おもきもの」といえる。しかし、そんな「宿善すきなきもの」「宿悪おもきもの」のままの会長が獲信したというのは親鸞会の宿善論と矛盾しないのか。 (盗作、浄財の私的流用を否定されるのであれば、また具体的なことをお尋ねします)
  3. 『観無量寿経』に説かれている下品上生・下品中生・下品下生について、法然上人は『選択本願念仏集』で仰っているように

この三品は、尋常の時ただ悪業を造りて往生を求めずといへども、臨終の時はじめて善知識に遇ひてすなはち往生を得。

(現代語訳)

この下三品は、平常の時ただ悪業ばかり造って浄土往生を求めないけれども、臨終のときになってはじめて善知識に遇うて、すなわち往生を得る。

と、下品上生・下品中生・下品下生のものは、平生に仏法も聞かず、善も行わないもののことであるが、そんなものが臨終に善知識に遇って念仏を勧められただけで往生すると釈尊が説かれたことは、親鸞会の善の勧め、宿善論、三願転入論を否定されていることになるのではないか。

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コメント

自分も5ヶ月前は少し分かりづらいところがあったのですが、その後に下々品の説明をされて、よく理解できました。
しかし、M野さんには理解できなかったようです。
どこをどう読んでも、善の勧めはないのですが、いつまでも同じ詭弁を繰り返すことを早くやめてもらいたいものです。

投稿: M野さんへ | 2010年10月23日 (土) 09時45分

突然、隠顕の話をし出して、コメントをしてきた名無しさんの正体がばればれです。
方便については、管理人さんが善巧方便と権仮方便について何度も詳しく説明されていますので、よくわかります。
一方で、例の人は断章取義以前の問題でしょう。まるっきりこのブログの内容を理解できていない。
下輩のところを『観経』『観経疏』で確認すれば、あんな馬鹿気たブログが書けないでしょうが、聖教を全く読んでいない証拠です。

せめて『選択集』でも読んでいれば、恥ずかしくてブログを閉鎖したくなると思うのですが、宿悪おもきものは、やめられないのかもしれません。

相手にしないのが一番と思います。

投稿: カルト教義反対 | 2010年10月23日 (土) 16時23分

M野さんへ 様
カルト教義反対 様

詭弁と断章取義のブログは読む価値もありません。
基本的には、相手にしないつもりです。

投稿: 飛雲 | 2010年10月26日 (火) 20時27分

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