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2010年10月19日 (火)

耳四郎は宿善あつきもの?

M講師に、親鸞会の教義上、極めて重要な質問をしたのですが、答える気がないようです。もとより、期待はしておりませんでしたが。

さて、自分で書いた質問ですが、自分で少しだけ回答してみます。
法然上人のお弟子であった耳四郎のことは、親鸞会でも聞いたことのある人もいると思います。
『勅伝』に

河内国に天野の四郎とて、強盗の張本なるものありけり。人をころし財をかすむるを業として世をわたりけるが、としたけて後、上人の化導に帰し、出家して教阿彌陀佛と号しけり。

とありますように、耳四郎は強盗、殺人を平気で犯す人物でしたが、ある時、法然上人の御法座に紛れて盗みの機会を窺っていたところ、法然上人の御説法を聞いて、それが我が事と思い、潜んでいた縁の下から出てきて、法然上人のお弟子になったと伝えられています。高森会長は、法然上人の弟子の中で極めて短期間で救われた人として耳四郎を挙げています。
では、耳四郎は法然上人のお弟子になった後、犯罪を止めたのかといえば、盗みは相変わらず行っていたようです。止めようと努力しても止めることができなかったのです。

つまり、耳四郎は信前信後を通して、盗みという粗い悪も止まなかったということです。耳四郎のことを『唯信鈔』でいえば、「宿善すくなきものは今生に悪業をこのみ善根をつくらず」ですし、『口伝鈔』でいえば、「宿悪おもきものは、今生に悪をこのみ善にうとし」です。親鸞会的な宿善論ならば、耳四郎は、信後も宿善薄いものであって、宿善が厚くなっていないのに、救われたことになります。

一方では、耳四郎は宿善の厚い頓機のものであったから、すぐに救われたとも説明します。

これは、高森会長自身にも当て填まる矛盾です。信前の者とはいいながらも、盗みをするような講師部員がもしいれば、一般の人と比較しても宿善薄い人になりますし、高森会長は何十年もそれを続けてきているので、宿善厚い人とはとてもいえません。

宿善を「宿世の善根」と理解し、宿善厚い人は、「今生にも善根を修し悪業をおそる」と教えている間は、この矛盾はなくなりません。

宿善については

「親鸞会の邪義を正す」
宿善の意味

で詳しい説明がありますので、そちらを読んで下さい。

親鸞会では、とにかく善をさせる、という結論ありきですべて論理の組立てをするから、教義が破綻するのです。親鸞会の「宿善すくなきもの」達は、粗い悪さえも止められないのですから、善を勧める以前のレベルです。

今からでもいいですから説明して下さい、M講師。

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