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2010年10月29日 (金)

M講師からの反論-逆謗1

M講師(いつも愉快なブログをたくさん書いているM講師とは別人)が、「親鸞会の邪義を正す」を読んで、ある会員さんに反論文を書いて渡したそうです。その反論文をそのまま紹介したいところですが、著作権侵害を主張してメールの公開を阻止した例のM講師と同じことを言ってくるかもしれませんので、暫くは原文を伏せておきます。ただし、内容についての解説は今後していきます。

項目は、三願転入、化土往生、逆謗についての3つです。これらはすべて、mixiでのこうへい氏(H講師)とのやりとり、O講師のブログ上でのやりとりで、すでに論破されて、共に逃亡した内容ですが、そのことが伝わっていないために、同じことを自信満々に言ってきています。進歩のない団体です。

M講師に対しては、すでに反論がなされていまして、M講師からの返答待ちの状態です。少しずつ紹介していきます。

まず最初にM講師は、ネット上でしか主張できない、と見下しています。それに対しては、


まず、こそこそとネットで書いたものと思われているようですが、大きな誤解です。これは、mixiでH講師と三願転入について法論して、H講師が法論を放棄した内容と、O講師のブログ「浄土真宗親鸞会 奥越親鸞学徒の集い」と法論して、やはりO講師が法論を放棄した内容を、主にまとめたものです。
従って、すでに両講師との法論で議論し尽された内容ばかりですが、M講師は御存知ないようです。その時の法論の内容に少し補足しながら説明させて頂きます。

全般的なこととして、私は沢山の根拠を挙げました。経典、善知識方のお言葉で説明していますが、その根拠についてM講師が触れているのは、大経の異訳本についてのみです。他の根拠を無視されていることは、仏弟子として如何なものでしょうか。帽子に合わせて頭を削っているのはどちらかよくお考え下さい。


と誤解を解き、根拠を無視する姿勢を疑問視する前置きがあります。実に親鸞会らしい態度ですが、それで仏弟子を名乗るのですから、呆れたものです。

さて本題に入りますが、M講師の文章を伏せたままで説明するのはやりにくいので、一番判りやすい逆謗について今回は紹介しておきます。
M講師の主張は、『末灯鈔』

善知識をおろかにおもい、師をそしるものをば、謗法のものともうすなり。親をそしるものをば、五逆のものともうすなり。

を出してきて、謗法、五逆の者でない人を示せ、という内容でした。これは当ブログの読者の方ならば、簡単に論破できることだと思います。

一応、それに対しての返答は以下の通りでした。



法然上人の『往生大要鈔』では

われら罪業重しと云へども、いまだ五逆をばつくらず。

と仰り、また『浄土宗大意』には、

五逆をもつくらさるわれらを、弥陀の名号を称念せむに往生うたかうへからず。

ともあります。
聖覚法印の『唯信鈔』には、

五逆の罪人すら、なほ十念のゆゑにふかく刹那のあひだに往生をとぐ。いはんや罪五逆にいたらず、功十念にすぎたらんをや。

とか、

われら、罪業おもしというとも、五逆をばつくらず。

と仰っていますが、これらも嘘ということですか。
親鸞聖人は『唯信鈔』を何度も御自身で写されて、関東の同行に読むようにと送っておられますが、嘘の書いてある書物を読むように勧められたことになります。

さてM講師の質問に答えますと、『末灯鈔』には

善知識をおろかにおもい、師をそしるものをば、謗法のものともうすなり。親をそしるものをば、五逆のものともうすなり。同座をせざれとそうろうなり。されば、きたのこうりにそうらいし善証坊は、親をのり、善信をようようにそしりそうらいしかば、ちかづきむつまじくおもいそうらわで、ちかづけずそうらいき。明法の御坊の往生のことをききながら、そのあとをおろかにもせんひとびとは、その同朋にあらずそうろうべし。

とあります。後の部分もしっかり読んで下さい。
訳してみますと、

善知識をおろそかに思い、師を謗る人を、謗法の者というのです。親を謗る人を五逆の者というのです。このような人とは同席をしてはいけないといわれています。ですから、北の郡にいた善証房は、親を罵り、親鸞を様々に謗っていましたので、親しく接しようとは思わずに、近づけないようにしていました。明法房の往生のことを聞きながら、その遺志をおろそかにする人々は、同朋ではありません。

このようになります。
謗法罪の人、五逆罪の人とは親しくしてはいけないと教えられていますから、謗法罪、五逆罪を犯していた善証房を遠ざけていました、と親鸞聖人は仰っているのです。ここで謗法罪、五逆罪の者とは、善証房のことを指しています。
このお言葉に近い内容として、同じく『末灯鈔』

この御なかのひとびとも、少々はあしきさまなることもきこえそうろうめり。師をそしり、善知識をかろしめ、同行をもあなずりなんどしあわせたまうよしきこえそうろう。あさましくそうろう。すでに、謗法のひとなり、五逆のひとなり。なれむつぶべからず。『浄土論』(論註)ともうすふみには、「かようのひとは、仏法信ずるこころのなきより、このこころはおこるなり」とそうろうめり。また、至誠心のなかには、「かように悪をこのまんひとには、つつしみてとおざかれ、ちかづくことなかれ」とこそ、おしえおかれてそうらえ。善知識・同行にはしたしみちかづけとこそ、ときおかれそうらえ。

とあります。このお言葉も、関東の同行に宛てたお手紙の一部です。訳してみますと、

皆さんの中にも、少々悪い噂が聞こえてきます。師を謗り、善知識を軽んじ、同行を貶めあっていると聞いています。浅ましいことです。こんな人は、すでに謗法の人であり、五逆の人です。親しく接してはいけません。『浄土論註』という書には、「このような人は、仏法を信ずる心がないから、この心が起こるのだ」と書かれています。また、『観無量寿経疏』の「至誠心釈」の中に、「このように悪を好む人には、慎んで遠ざかれ、近付いてはならない」と教えられています。善知識・同行には親しみ近づきなさいと説かれているのです。

となります。
これらのお言葉から、かつて親鸞聖人から直接話を聞いていた関東の同行の中に、謗法罪、五逆罪の者がいるから、彼らに近付くな、と仰っていることがわかりますし、このような恐ろしい悪を慎むように誡めておられます。もちろん謗法罪、五逆罪を犯していない同行がいる前提で仰っていることは明らかです。
ですから当然のごとく全ての人が謗法罪、五逆罪を犯しているという意味合いで、親鸞聖人は仰っていません。
前後を読めば、謗法罪、五逆罪の人とは、一部の人という意味にしか解釈できませんが、違いますか。


断章取義による典型的な邪義でした。

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