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2010年9月22日 (水)

因果の道理を撥ねつける外道の信者

こうへい氏(H講師)は議論から逃亡しただけでなくmixiからも撤退し、本願寺の布教師を名乗るM講師は偽聖教を出して、珍珍説を連発して、沈黙したままです。O講師も「Kさん」との法論を完全に放棄し、相手をUR氏にすり替えるも、UR氏から法論を挑まれると尻尾を捲いて退散するという腑甲斐なさです。もちろん、講師部員の陰に隠れた会長がこれらを指示していることは言うまでもないことです。

しかし、どうも腹の虫がおさまらないO講師は、『会報』を写したり、自分で考えた断章取義による珍説をブログに書きまくっています。内容は超低レベルですので、当ブログで私が述べてきたことを理解して頂ければ、O講師の主張は漫才のネタ程度にしか思えないでしょう。

五逆罪、謗法罪については、半年前にも、『教行信証』信巻『浄土論註』『散善義』を引用して、連続で詳しく述べてきました。

五逆のつみびとをきらひ、誹謗のおもきとがをしらせんとなり
惑染・逆悪斉しくみな生じ、謗法・闡提回すればみな往く
『浄土論註』を読んだことがある訳ない
未造業はいないというワシの解釈が正しいから理屈抜きで信じよ

三乗の五逆罪
謗法のひとなり、五逆のひとなり。なれむつぶべからず。
味わいと教義は異なります

大沼師が味わいとして書いたものを親鸞聖人の教えと勘違いした不勉強の会長は、『教行信証』信巻も、もちろん『浄土論註』『散善義』もまともに読んだことがないのは、間違いありません。その上、故意に断章取義して、善知識方の意図と反対のことを平気で書くO講師は、間違いなく謗法罪を犯しています。会長もO講師も、因果の道理を信じていない証拠です。

外道を相手にすることは馬鹿気ていますが、自信満々のO講師に誰でもできる反論を紹介しておきましょう。

しかし、親鸞聖人のみ教えを
聞いている人の中に、
それどころか
自分は阿弥陀如来に救われたと
言っている者の中に
私は五逆罪も謗法罪も犯してはいないと
言い張るものがいるのだから驚きだ。

と書いていますが、法然上人の『往生大要鈔』では

われら罪業重しと云へども、いまだ五逆をばつくらず。

と仰り、また『浄土宗大意』には、

五逆をもつくらさるわれらを、弥陀の名号を称念せむに往生うたかうへからず。

ともあります。

また聖覚法印の『唯信鈔』には、

五逆の罪人すら、なほ十念のゆゑにふかく刹那のあひだに往生をとぐ。いはんや罪五逆にいたらず、功十念にすぎたらんをや。

とか、

われら、罪業おもしというとも、五逆をばつくらず。

とあります。
自分は阿弥陀如来に救われたと仰っている法然上人、聖覚法印のお言葉に大いに驚いてもらいたいものです。

なお、善導大師が間違いを正された相手の一人である智顗は、臨終に「吾れ衆を領せずんば必ず六根を清めん。他のために己を損す。位はただ五品の位のみ。」と言っています。つまりは、「われ信外の軽毛なり」と仰った善導大師とほぼ同じ位まで至ったということです。「下品下生」について『観無量寿経』には

下品下生といふは、あるいは衆生ありて不善業たる五逆・十悪を作り、もろもろの不善を具せん。

とあります。全人類が「下品下生」「逆謗の機」であるならば、善をしようともしませんので、因果の道理に従って、全人類は最下位である初信までも至ることができないと普通の人なら理解するでしょう。ところが因果の道理を無視する外道の信者は、無善でも十信、十住、そして龍樹菩薩のように自力で初地に至ることができると考えているようです。

因果の道理を撥ねつける外道の人には何を言っても無駄でしょうけど。

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