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2010年9月28日 (火)

宿善とは、遇法の善因縁

さよなら親鸞会」に教義論争から逃げた高森会長のことが書かれてありました。別に驚くことでもありません。会長が法論をしても、勝てる見込みがありませんので、無視するのが最善の策でしょう。
当ブログでも、H講師、O講師との法論に関わってきましたが、会長のことをよく知っている人ならば、途中で会長が直々に法論に加わったことに気が付かれたと思います。mixiでのH講師の方は、

1.「親鸞聖人の三願転入の教え」という親鸞聖人のお言葉については、

『教行信証』全体

(中略)

4.『一念多念証文』にある「浄土の方便の善」が「宿善」という根拠

これは、確かに申し上げました。
根拠は、

「いずれの経釈によるとも、すでに宿善に限れりと見えたり」(御文章)

の一言で充分でありましょう。

のところです。
O講師のブログの方は、二種深信のところです。

ちなみに、偽僧侶のM講師は、単独で書いているのでしょう。難しい立場のようです。

どれもボコボコにされて、逃亡しています。会長が絶対的な自信をもって書いた部分が、間違っている、と指摘されるとは会長も講師も夢にも思っていなかったことでしょう。しかし、親鸞聖人の教えられたことに照らし合わせてみれば、明らかな間違いです。尤も親鸞聖人の教えを知らなくても、高校生並みの読解力があれば、会長の間違いを指摘できるでしょうが。

さて、ここ最近ずっと書いていることは、『観無量寿経』の下品下生に関することばかりです。聖道門の解釈と浄土門での解釈は、大きく異なっているのです。それで、善知識方が聖道門の解釈を論破なされてきたので、それを説明してきましたが、親鸞会の解釈は、論破された聖道門の解釈に近いものが多くあります。故意なのか無知なのか判りませんが、親鸞会の解釈が浄土門の解釈と乖離していることは確かです。

宿善もそうです。往生と諸善とは、宿善という言葉で繋がっていると考えているのが、親鸞会です。その間違いを、前々回、前回で述べてきましたが、『口伝鈔』

十方衆生のなかに、浄土教を信受する機あり、信受せざる機あり。いかんとならば、『大経』のなかに説くがごとく、過去の宿善あつきものは今生にこの教にあうてまさに信楽す。宿福なきものはこの教にあふといへども念持せざればまたあはざるがごとし。「欲知過去因」の文のごとく、今生のありさまにて宿善の有無あきらかにしりぬべし。

も宿善の意味を理解する上で、判りやすいお言葉です。

宿善あつきもの浄土教を信受する機
宿福なきもの信受せざる機

です。聖道門を信じている人は、我々よりも遥かに宿世の善根は厚い人ですが、「浄土教を信受する」ことができない「信受せざる機」、「宿福なきもの」です。宿世の善根のない下品下生の逆謗の機でも、善知識に遇って「浄土教を信受する」人は、「宿善あつきもの」になります。宿善を諸善で説明する親鸞会ではとても理解できないでしょう。
つまり宿善とは

浄土教(18願)を信受する善因縁
遇法の善因縁

ということです。これを、

獲信の善因縁
往生の善因縁

と勘違いしているのが親鸞会です。このことが判れば、善知識方が往生のため、獲信のために諸善を勧められていないのも、難なく理解できるのです。
ある退会者が現役の幹部会員に、善知識方が獲信のための諸善を勧められていないことを指摘したところ、その幹部会員は『教学聖典』の


 「後生の一大事を知らされるほど、善根功徳を修め
 ずにおれなくなる」と教えられた蓮如上人のお言葉
 と、その根拠を書け。


 これにつけても、人間は老少不定と聞く時は、急ぎ
 いかなる功徳・善根をも修しいかなる菩提・涅槃
 をも願うべき事なり。
                         (御文章)

を持ち出してきて、蓮如上人も獲信のために善を勧めておられると反論してきたそうです。このことについては、

私は『教行信証』を読んだことがありません、と告白

で解説しましたが、断章取義です。蓮如上人が聖道門のことを説明された部分であるのに、それが獲信のために善を勧められた根拠と説明する幹部会員の知能を疑います。一流大学に入るだけの受験テクニックは十分だったのでしょうが、知能は御粗末です。
現役の会員に言いたいことは、仏教の勉強の前に、文章を読みこなす読解力をまず身につけましょう。そうすれば、会長の詭弁など、簡単に見破れます。詭弁のネタが判れば、会長のレベルが知れるでしょう。

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コメント

現役の会員は断章取義という言葉も知らず、会長の著書以外は目を通さず、そのまま計らわずに従うのが信心決定の近道と思っているのでしょう。

投稿: 雑草 | 2010年9月28日 (火) 23時48分

不完全な凡夫を信じてはいけないと教えられています。
ましてや、悪意をもった人物を信じると悲劇です。
そのまま計らわずに従う相手を間違えているのです。
これでは信心決定はできません。

投稿: 飛雲 | 2010年10月 1日 (金) 06時08分

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