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2010年9月 6日 (月)

法論の決着は?

O講師のブログの
七大経⑫-35(四つの角目を聞け、東本願寺僧侶の悲鳴)
という9月4日投稿の記事に、

URさんの真宗大谷派の教義と
浄土真宗親鸞会の親鸞聖人の教義と
どちらが正しいのか。
1対1で法論できる
絶好の機会がきた。

とあったために、UR氏が9月4日に法論を申し込みました。
このエントリーを書いている時点では、完全無視です。このまま無視することが予想されます。

勝手なことをするな

と高森会長が激怒しているのではないのでしょうか。

当ブログではこれまで、親鸞会の講師部員及び陰の高森会長との法論に何回か絡んできましたが、すべて親鸞会側が逃亡しています。
今回のUR氏とO講師とのここまでの経緯は、もともと「Kさん」のコメントから始まったものでした。

「さよなら親鸞会」
助けてと悲鳴の聞こえそうなメールを公開します。

にその「Kさん」がコメントを書いています。

O講師のブログにコメントをした「Kさん」と呼ばれている者です。
機の深信に関する話は、化土往生についての以下のコメントが発端です。

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善知識方が化土往生は誰もできない、と教えられた根拠は示せないから、いつもの屁理屈を並べています。

親鸞会で教えられてきた邪義が邪義と理解できないから、自己矛盾も分からないのです。
Oさんが出してきた根拠にだけ答えておきましょう。

>「『自身は、現にこれ罪悪生死の凡夫、
>  昿劫より已来常に没し常に流転して、
>  出離の縁有る事無し』
> と、深信す。
>   (機の深信)

自分の力では出離することができない、ということです。

>「一切凡小一切時の中に、
> 貪愛の心常に能く善心を汚し、
> 瞋憎の心常に能く法財を焼く。
> 急作・急修して頭燃を灸うが
> 如くすれども、
> 衆て「雑毒・雑修の善」と名け、
> また「虚仮・諂偽の行」と名く。
> 「真実の業」と名けざるなり。
> この虚仮・雑毒の善を以て、
> 無量光明土に生ぜんと欲す、
> これ必ず不可なり
> (教行信証信巻)

虚仮・雑毒の善しかできないから、報土には往生できない、ということです。

どこに矛盾があるのでしょうか?
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これに対してO講師が

体験至上の異安心の機の深信とは、この程度

と暴言を放ったので、私が機の深信について、『往生礼讃』のお言葉を挙げて、高森会長が教えている機の深信の解釈こそが間違いと指摘したのです。

ところがその後、その指摘を無視し続けて、答えられないなら高森会長は異安心決定ですよ、と何度も念を押しても無視し、挙げ句の果てに東本願寺学者による機の深信の解釈を出してきて、「東本願寺は間違っているだろう」と言って来たのです。全く本末転倒です。

体験至上の異安心の機の深信とは、この程度

とまで言いきったのですから、高森会長の機の深信の解釈が間違いだという私の指摘について、まず答えるべきでしょう。

論点をずらすのは親鸞会の常套手段ですが、今回は法論の相手まですり替えてしまっています。
O講師のブログを「Kさん」との法論が始まった頃から読んでいくと、主張さえも「Kさん」に擦り寄っていることが判ります。

UR氏に法論を挑む前に「Kさん」との法論に決着を付けて下さいよ、O講師。

決着はすでに付いていると皆思っていますけどね。

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コメント

> 勝手なことをするな
>
> と高森会長が激怒しているのではないのでしょうか。


こんなことを一介の講師部員が書けるものなのだろうか?
少なくとも弘宣部、または会長自らが書いた文章のようにも思えるが。

投稿: ぱぱ | 2010年9月 6日 (月) 23時43分

ぱぱ 様

会長と弘宣部は、すでに撤収していると思われます。誤字も多いですし、ブログはO講師の手に戻ってきたのでしょう。
法論を避ける方針の中で、あんなことが書けるのは、調子にのった一介の講師部員だと思います。

あくまで想像です。

投稿: 飛雲 | 2010年9月 7日 (火) 06時21分

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