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2010年8月26日 (木)

報の浄土に生ずるものはきはめて少なし。化の浄土のなかに生ずるものは少なからず。

高森会長は、誰も化土往生できないという邪説の証明を諦めたようですが、論破されても論破されても懲りずに断章取義とヘンテコ解釈を繰り返す人もいますので、もう少し化土往生について解説します。

源信僧都の師である良源は『極楽浄土九品往生義』の中で、阿弥陀仏の本願について述べています。19願と18願とを比較して、19願は菩提心を発して諸善を修した行者に対して臨終来迎が誓われているから、来迎のない凡夫往生を誓われた18願よりも勝れているとしているのです。この考え方は、概ね聖道門に共通したものです。

それに対して源信僧都が『往生要集』にて、良源の説に異義を唱えられたのです。それを親鸞聖人が『教行信証』化土巻の要門釈の最後に引かれています。

首楞厳院(源信)の『要集』に、感禅師(懐感)の釈(群疑論)を引きていはく、「問ふ。『菩薩処胎経』の第二に説かく、〈西方この閻浮提を去ること、十二億那由他に懈慢界あり。{乃至}意を発せる衆生、阿弥陀仏国に生ぜんと欲ふもの、みな深く懈慢国土に着して、前進んで阿弥陀仏国に生ずることあたはず。億千万の衆、時に一人ありて、よく阿弥陀仏国に生ず〉と、云々。この『経』をもつて准難するに、生ずることを得べしやと。

答ふ。『群疑論』に善導和尚の前の文を引きて、この難を釈して、またみづから助成していはく、〈この『経』の下の文にいはく、《なにをもつてのゆゑに、みな懈慢によりて執心牢固ならず》と。ここに知んぬ、雑修のものは執心不牢の人とす。ゆゑに懈慢国に生ず。もし雑修せずして、もつぱらこの業を行ぜば、これすなはち執心牢固にして、さだめて極楽国に生ぜん。{乃至}また報の浄土に生ずるものはきはめて少なし。化の浄土のなかに生ずるものは少なからず。ゆゑに『経』の別説、実に相違せざるなり〉」と。{以上略抄}

しかれば、それ楞厳の和尚(源信)の解義を案ずるに、念仏証拠門(往生要集)のなかに、第十八の願は別願のなかの別願なりと顕開したまへり。『観経』の定散の諸機は、極重悪人、ただ弥陀を称せよと勧励したまへるなり。濁世の道俗、よくみづからおのれが能を思量せよとなり、知るべし。

(現代語訳)

源信和尚の『往生要集』に慧観禅師の『群疑論』を引いて、次のようにいわれている。
「問うていう。『菩薩処胎経』の第二巻に、<この世界から西方へ十二億那由他のところに懈慢界がある。(中略)さとりを求める心をおこして阿弥陀仏の浄土に生れようと願う衆生は、ほとんどみな懈慢界に深く執着してとどまり、そこから進んで阿弥陀仏の浄土に生れることができない。億千万もの人々の中で、阿弥陀仏の浄土に生れることができるのは一人いるかどうかである>と説かれている。この経によって考えるなら、はたして阿弥陀仏の浄土に往生できるのであろうか。

答えていう。『群疑論』には、さきの善導大師の『往生礼讃』の文を引いてこれを解釈し、また自らの解釈を加えて次のようにいっている。<この『菩薩処胎経』の次の文に、≪なぜなら、みな怠惰で慢心しており、信心が堅固でないからである≫と説かれている。これによって知ることができた。さまざまな行を修めるものは信心が堅固でない人である。だから懈慢界に生れるのである。他の行をまじえないでひとすじに念仏すれば、これは信心が堅固であって、間違いなく極楽世界に生れるであろう。(中略)また浄土に生れるといっても真実報土に生れるものはきわめて少なく、化土に生れるものはきわめて多い。だから『菩薩処胎経』と『観無量寿経』とはまったく矛盾しないのである>」

以上のようなことから、源信和尚の解釈をうかがうと、『往生要集』の念仏証拠門の中に、第十八願について、四十八願の中の特別な願であるとあらわされている。また『観無量寿経』に説かれる定善・散善を修めるものについて、きわめて罪が重い悪人はただ念仏すべきであるとお勧めになっているのである。五濁の世のものは、出家のものも在家のものも、よく自分の能力を考えよということである。よく知るがよい。

と仰っています。
聖道門は、阿弥陀仏の本願は19願が最も重要と看做して、法然上人を激しく非難したのですが、18願こそが阿弥陀仏の本意であることを親鸞聖人は源信僧都の『往生要集』によって説明されたのです。諸行による自力信心では化土往生しかできず、専修念仏の他力信心によってのみ報土往生できるのです。そして自力信心の人が多いから化土往生の人は多く、他力信心の人が少ないから報土往生の人が少ないと仰った源信僧都のお言葉を引かれています。

だから要門釈の結論として、19願に心を掛けている定散の諸機も、極重の悪人も18願の念仏せよと親鸞聖人は勧められたのです。報土往生できるような能力がない自分をよくよく考えて、化土往生の諸行ではなく、報土往生の他力念仏をしなさい、ということです。

以上のことが御理解頂ければ、誰も化土往生ができないという意味で『往生要集』を引かれたのではなく、阿弥陀仏の本意が判らずに自力に執心して化土往生している人が多いことを嘆かれたお言葉であると御理解頂けると思います。

いろいろと屁理屈を考える人もありますが、筋の通らないことをいつまでも言い続けるのは、実に見苦しいです。

なお、先日の二千畳座談会で発表された同朋の里第3期工事の説明が以下で聞けます。

ダムでも何でも造ってチョーダイ1
ダムでも何でも造ってチョーダイ2
ダムでも何でも造ってチョーダイ3

その場凌ぎの解釈を繰り返している高森会長ですが、19願だの宿善だのといって善を勧める目的は、これではっきりしています。

会員のためにダムが必要ですか?
たとえお金が余っていたとしても会員の方にダムを造る理由は皆無です。

親鸞会は今、お金に困っているんだから、お金を集める名目を君達考えなさい。そうだダムにしよう。ダムなら多額の御報謝を集められるだろう。

高森会長の深い御心が想像できます。

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コメント

管理人様

 あなたは「化土往生している人が沢山いる」と繰り返し主張していますが、どうも論点がかみ合っていないようです。
 「修因感果の道理」という言葉があるのは、あなたならとっくにご存知でしょう。「原因たる行に応じて結果を得る」。仏教の基本中の基本ですが、あなたは結果のことばかりを論じていて、どういう行を修めたら化土往生という結果を得るのか、については殆ど語っていません。

 私が前のコメントで問題にしたのは、この修因のことであり、Oさんのブログも一貫してそのことを問題にされているのです。あなたはそれを知ってか知らずか、結果のことばかりに論点を固定して議論は平行線のままです。それを「自爆した」「論破された」と勝手に決めつけているだけに過ぎません。

 善知識方は、まず修因について明示されてから、化土往生について説いておられるではないですか(「要門釈」「真門釈」を拝読すれば明らかです)。

 化土往生するには、
  どういう行を修めねばならないのか?
  どういう心で行じねばならないのか?
  どういう人ができる行なのか?
これらのことを抜きにして、ただ善知識方が「化土往生している人が沢山いる」と仰っていると、結果ばかりを強調しては誤解を生むばかりです。自身の真実の相を、本当に知らされていない人が殆どなので、多くの人が「報土往生は難中の難と言われるから、せめて化土往生なら何とかなるだろう」と思ってしまいます。

 あなたが、いくら「化土往生を勧めるつもりはない」「それを誡めてきた」と言っても、これでは結果的に、化土往生を願う心(自力)に固執させることになる、と気がつかないのでしょうか?

>自力信心の人が多いから化土往生の人は多く、他力信心の人が少ないから報土往生の人が少ないと仰った源信僧都のお言葉を引かれています。
 このような説明のしかたでは、信前の人はみな化土往生できることになります。獲信した信後の人以外は、みな自力信心の人ですから。

>「報の浄土に生ずるものはきはめて少なし。化の浄土のなかに生ずるものは少なからず。」
 このお言葉は、他力の信心を獲得する人が如何に少ないのか、自力の信心に迷っている人が如何に多いのかを教えられたものです。そこまではいいとしても、あくまでも他力の信心を獲得することが、如何に難しいのかを示唆されたのであり、自力信心の人が容易に化土往生できるのだとか、そういう行をできる善人が沢山いると仰ったのではありません。

 蓮如上人は『御文章・二‐二』に、
「無善造悪のわれらがやうなるあさましき凡夫」「この信心を獲得せずは極楽には往生せずして、無間地獄に堕在すべきものなり。」
と、すべての人の真実の相を明示されています。
 十九願・二十願の教えによって、これが自身の真実の相であり「とても自力では六道を出離できる者ではなかった」と知らされたら、上記の源信僧都のお言葉は、ここまで導かれるまでの方便であった、と分かります。方便だからこそ「要門釈」で引証されているのです。

投稿: 名無し | 2010年8月31日 (火) 01時35分

M野氏へ

「夢幻界裡の覚醒」と近い時間にコメントする、管理人さんがM野氏について触れた途端に、反応する。人物を特定するのに実にわかりやすい。

さて修因について、管理人さんは散々述べられている。19願のことについてほとんど触れられていないのに、19願のことばかりをいうのが、M野氏の汚いところだ。20願自力念仏についてこれだけ説明されていても理解する気がないのか、理解できない知能しかないのか。

誤魔化しの大家M野氏は、真面目に勉強したまえ。

投稿: カルト教義反対 | 2010年8月31日 (火) 06時30分

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