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2010年8月17日 (火)

極悪最下の人のために極善最上の法を説くところなり

以前の親鸞会であれば、高森会長を異安心呼ばわりすれば、血相を変えて、反論したものです。それが今や、「異安心決定でいいですね」、と何度も念を押しても、反論の素振りさえみせません。
ブログの更新を心待ちにしていても、書いてくるのは、相変わらずの断章取義をした根拠と捏造創作教義だけ。

最近は高森会長が陣頭指揮をとって、ブログを書くと、すぐに逃亡です。mixiの時もそうでした。自信満々で出した根拠が全く違う意味と指摘されて、驚くのでしょうね。

過去の法論も、形勢不利になると、決まって一念の信心について述べ始めて、信心の無いものには判らん世界だと言い放っていましたが、その手はもう通用しません。高森会長の言う一念の信心がおかしいと根拠を挙げて指摘すると、親鸞会の主張はあっけなく崩壊します。脆いものです。

さて、十方衆生は五逆謗法の者といういつもの珍しき教えを書いていますが、読解力に大いに問題があるのか、判っていて騙す意図があるのか、これ以外に言うことはできないのでしょう。

『御文章』を根拠にしていますが、「十悪五逆の罪人」とは『観無量寿経』にある下品下生の者のことを指していることが判ります。「十悪五逆の罪人」「五逆誹謗正法」の者でも救うと誓われたのが阿弥陀仏の本願であるということです。
何度も挙げていますが、『尊号真像銘文』には、

「唯除五逆誹謗正法」といふは、「唯除」といふはただ除くといふことばなり、五逆のつみびとをきらひ、誹謗のおもきとがをしらせんとなり。このふたつの罪のおもきことをしめして、十方一切の衆生みなもれず往生すべしとしらせんとなり。

とありますように、

十方衆生=五逆謗法

ではありません。このことについては、当ブログでも何度も述べてきました。

五逆のつみびとをきらひ、誹謗のおもきとがをしらせんとなり
惑染・逆悪斉しくみな生じ、謗法・闡提回すればみな往く
『浄土論註』を読んだことがある訳ない
未造業はいないというワシの解釈が正しいから理屈抜きで信じよ

三乗の五逆罪
謗法のひとなり、五逆のひとなり。なれむつぶべからず。
味わいと教義は異なります

「親鸞会の邪義を正す」十方衆生≠極重の悪人でも書いてあります。

また「親鸞会教義の誤り」にも詳しく解説されています。「Kさん」は、「親鸞会教義の誤り」の該当部分をコメントとして書いたそうですが、やはり無視です。

以前にも書きましたが、下品下生の「十悪五逆の罪人」に対して釈尊が説かれていることは、念仏だけです。間違いではありますが、もし

十方衆生=五逆謗法

と教えるならば、

十方衆生に念仏1つを勧められていて、善は勧められていませんよ

といえば辻褄があいます。『観無量寿経』には、定散の機と上品上生から中品下生までしか善は勧められていませんが、親鸞会では五逆謗法である十方衆生に善を勧められていると主張し続けていて無茶苦茶な解釈です。異安心の善知識には矛盾ではないのかもしれません。なぜなら『観無量寿経』も『観無量寿経疏』も読んだことがないから無知なだけです。

法然上人は、下品下生に対して念仏が説かれて勧められている理由を『選択本願念仏集』

問ひていはく、すでに念仏をもつて上上と名づけば、なんがゆゑぞ、上上品のなかに説かずして下下品に至りて念仏を説くや。

答へていはく、あに前にいはずや。念仏の行は広く九品に亘ると。すなはち前に引くところの『往生要集』に、「その勝劣に随ひて九品を分つべし」といふこれなり。しかのみならず下品下生はこれ五逆重罪の人なり。しかるによく逆罪を除滅すること、余行の堪へざるところなり。ただ念仏の力のみありて、よく重罪を滅するに堪へたり。ゆゑに極悪最下の人のために極善最上の法を説くところなり。例するに、かの無明淵源の病は、中道腑臓の薬にあらずはすなはち治することあたはざるがごとし。いまこの五逆は重病の淵源なり。またこの念仏は霊薬の腑臓なり。この薬にあらずは、なんぞこの病を治せん。
 

(中略)

このなか、五無間罪はこれ五逆罪なり。すなはち醍醐の妙薬にあらずは、五無間の病はなはだ療しがたしとなす。念仏もまたしかなり。往生の教のなかに念仏三昧はこれ総持のごとく、また醍醐のごとし。もし念仏三昧の醍醐の薬にあらずは、五逆深重の病ははなはだ治しがたしとなす、知るべし。

(現代語訳)

問うていう。すでに念仏をもって上上というならば、どういうわけで上上品の中に説かないで、下下品に至って念仏を説くのであるか。

答えていう。前に念仏の行はひろく九品にわたるといったではないか。すなわち前に引いた《往生要集》の中に「その勝劣に随って九品を分けるべきである」というのがこれである。それに加えて、下品下生は五逆の重罪を犯した悪人である。しかるによく逆罪を滅ぼすことは、諸行のできないところであって、ただ念仏の力のみが、よくその重罪を滅ぼすことができる。それ故、極悪最下の人のために極善最上の法を説かれるのである。例えば、かの迷いの源である無明の病は、仏法の肝要である中道を観ずる薬でなかったならば、治すことができないようなものである。いまこの五逆は重病の源であり、またこの念仏は霊薬の肝要である。この薬でなかったならば、どうしてこの病を治すことができきょうか。 

(中略)

この中で五無間罪というのは、五逆罪のことである。すなわち醍醐の妙薬でなかったならば、五無間の病は甚だ治しがたい。念仏もまたその通りである。往生教の中で念仏三昧は総持のごとく、また醍醐のようである。もし念仏三昧の醍醐の薬でなかったならば、五逆の深重の病は甚だ治しがたいのである。よく知るべきである。

と、重病と妙薬のたとえをもって、教えて下さっています。

よく逆罪を除滅すること、余行の堪へざるところなり。ただ念仏の力のみありて、よく重罪を滅するに堪へたり。
極悪最下の人のために極善最上の法を説くところなり。

法然上人は、十方衆生が極悪最下とは仰っていません。以前にも述べた通りです。

高森会長と講師部員に、「十悪五逆の罪人」「五逆誹謗正法」の者という自覚がもしカケラでもあるのなら、今さら善をしようとは思わないし、他人にも勧めないでしょう。結局は、会員からお金を出させる口実を作っているだけです。
知りもしない他人の罪悪を自分と同じと論じている暇があれば、念仏誹謗の高森会長と講師部員は自分の後生を案じるべきでしょう。

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