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2010年8月30日 (月)

好めばおのずから発心すと申す事もあれば、漸漸に増進して必ず往生すべし

M講師が過去2chでボコボコにされたのに、断章取義、捏造、改竄して、如何にも勝ったように偽装して、自分のブログに書いて喜んでいます。読む価値がありませんので、読まれる必要は無いです。
かつて当ブログのコメント欄でも、また夢幻なんとかというブログでもボコボコニされた腹いせに2chに嘘を書き込んでいますが、十悪も謗法罪も平気で造り続けられる外道の会長と講師部員、これが親鸞会の実態です。
参考までに実際の議論は

【浄土真宗】同朋の里へ行こう【親鸞会】226~393

で読めます。論点ずらし、質問に答えないで、相手の主張をねじ曲げるいつもの卑怯な手ですので、全部を読むのも大変でしょうから、時間のない方は最後の方だけ読まれればM講師の愚かさ、卑怯さ、腰抜けが十分に理解できるでしょう。387以降がM講師の負けを決定付ける結論です。

ちなみに、M講師は少し前に2chで、「諸善より念仏は間違い」というトンデモ発言を繰り返していましたが、念仏諸善比挍対論を提示されて、黙ってしまいました。どこまでも御粗末です。

2chにまた書いてくるでしょうが、構って欲しいだけですから、暇な方は、適当に相手をしてさし上げれば喜ぶでしょう。

またO講師のブログでも

励めば善ができ、
念仏ぐらいは称え切れると
思っている人だから、
「自力作善」の善人と
聖人はおっしゃる。

〝諸善も念仏も、
いずれの行もおよばぬ悪人〟
と見極められて建てられた、
弥陀の本願を疑っている人だから、
「疑心の善人」とも言われている。

と未だに、諸善と念仏とを同列に扱って喜んでいます。何度も何度も、善知識方の根拠を挙げて、念仏について説明をしたのですが、理解しようとしないで、念仏を軽んじた念仏誹謗を続けています。救い難いです。

親鸞会では、会長の思いつきの考えを実現させるために、善の勧めを強調するのですが、信前の人に何を勧めるのが善知識かが判る法然上人を紹介しておきます。
『十二箇条問答』

問いていわく、往生を願わぬにはあらず、願うというともその心勇猛ならず。また念仏を卑しと思うにはあらず、行じながら疎かにして明かし暮らしそうらえば、かかる身なればいかにもこの三心具したりと申すべきもなく。さればこの度の往生をば思い絶えそうろうべきにや。

答えていわく、浄土を欣えどもはげしからず、念仏すれども心のゆるなることを嘆くは往生のこころざしのなきにはあらず。こころざしのなき者はゆるなるを嘆かずはげしからぬをも悲しまず。急ぐ道には足の遅きを嘆く、急がざる道にはこれを嘆かざるがごとし。また好めばおのずから発心すと申す事もあれば、漸漸に増進して必ず往生すべし。日ごろ十悪五逆を造れる者も臨終に初めて善知識に遇いて往生する事あり。いわんや往生を願い念仏を申して我が心はげしからぬことを嘆かん人をば仏も哀れみ菩薩も護りて、障を除き知識に遇いて往生を得べきなり。

と仰っています。

往生を願う心が弱く、信心決定していないことを嘆くのは、信心決定したいという志があるからこそであって、嘆くことはない。急がないときは、足の遅いことを嘆かないようなものである。十悪五逆の者でも臨終に初めて善知識に遇って往生することがあるのだから、日頃から往生を願って念仏に励むならば、必ず往生できるのだ、と仰っています。

信心決定していない人に、日頃から善をしていきなさい、など教えられていません。当たり前の事です。法然上人が信前の人に勧められていることは念仏1つです。

一方で信心決定のために、二千畳のダムを造って、財施を勧めるのが善知識かどうか、説明する必要はないでしょう。

会員は、本気で信心決定する気があるのでしょうか?
信心決定する気がなければ、ダム建設に全財産を投げ出したら宜しいかと思います。

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