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2010年7月20日 (火)

漸教と放言する親鸞会

今回の講師試験に、こんな問題が出題されていたそうです。

「30年聞いても助からなかった、50年求めても獲られなかったものが此処にきて求まった」と放言する者がいるが、これらの者と次元の異なる親鸞聖人の流転の告白とその根拠を書け。

これは、親鸞会では30年聞いても、50年求めても救われないということを言っているのですが、結局は今生では救われない、平生業成の教えではありません、と放言しているのです。これを親鸞聖人の二双四重判に当て填めれば、よく判ります。二双四重判については、
「親鸞会教義の誤り」
親鸞会は諸行往生8
親鸞会は諸行往生9

に詳しい解説があります。
『愚禿鈔』には

大乗教について、二教あり。
 一には頓教、        二には漸教なり。
頓教について、また二教・二超あり。
 二教とは、
  一には難行聖道の実教なり。いはゆる仏心・真言・法華・華厳等の教なり。
  二には易行浄土本願真実の教、『大無量寿経』等なり。
 二超とは、
  一には竪超  即身是仏・即身成仏等の証果なり。
  二には横超  選択本願・真実報土・即得往生なり。
漸教について、また二教・二出あり。
 二教とは、
  一には難行道 聖道権教、法相等、歴劫修行の教なり。
  二には易行道 浄土の要門、『無量寿仏観経』の意、定散・三福・九品の教なり。
 二出とは、
  一には竪出  聖道、歴劫修行の証なり。
  二には横出  浄土、胎宮・辺地・懈慢の往生なり。

とありますので、親鸞会は「漸教」の「横出」に当てはまるでしょう。言うまでもなく親鸞聖人の教えは「頓教」の「横超」です。

『教行信証』信巻の横超釈にも

横超断四流といふは、横超とは、横は竪超・竪出に対す、超は迂に対し回に対するの言なり。竪超とは大乗真実の教なり。竪出とは大乗権方便の教、二乗・三乗迂回の教なり。横超とはすなはち願成就一実円満の真教、真宗これなり。また横出あり、すなはち三輩・九品、定散の教、化土・懈慢、迂回の善なり。大願清浄の報土には品位階次をいはず。一念須臾のあひだに、すみやかに疾く無上正真道を超証す。ゆゑに横超といふなり。

と教えられています。親鸞会の好きな

横超とはすなはち願成就一実円満の真教、真宗これなり。

の御言葉も、意味が判っていないのです。これは他の問題の回答にもなっているのですが、恥ずかしくないのでしょうかね。
親鸞会は

また横出あり、すなはち三輩・九品、定散の教、化土・懈慢、迂回の善なり。

こちらです。「迂回の善」そのままです。親鸞会のいう一念の救いとは、平生の一念ではなく、多生の間の一念です。笑えないギャグですね。

またこれまで度々紹介していますが、『唯信鈔文意』

雑行雑修して定機・散機の人、他力の信心かけたるゆゑに、多生曠劫をへて他力の一心をえてのちに真実報土に生るべきゆゑに、すなはち生れずといふなり。もし胎生辺地に生れても五百歳をへ、あるいは億千万衆のなかに、ときにまれに一人、真の報土にはすすむとみえたり。

これが親鸞会です。

親鸞聖人の御文を挙げなくても、この問いが愚問であることは少し考えてみれば判ることです。
親鸞聖人は比叡山で御修行中、法然上人のことは当然御存知でしたが、比叡山で教えられてきたことは、この問いと同じであり、親鸞聖人もそのように固く信じられていたことでしょう。ところが比叡山を下りられて法然上人の元に行かれてからは、

比叡山で20年聞いても助からなかった、20年求めても獲られなかったものが法然上人の元で直ちに求まった

と告白しておられます。その法然上人も

比叡山で20数年聞いても助からなかった、20数年求めても獲られなかったものが善導大師の教えの元で直ちに求まった

と告白しておられます。
当時の聖道門は、法然上人、親鸞聖人の教えを聞いて信心獲得した人を

「30年聞いても助からなかった、50年求めても獲られなかったものが此処にきて求まった」と放言する者がいる

と罵っていました。

難信の法」ですから、自分が聞いている教えが正しいに決まっている、簡単に救われる教えなど信じられるか、と考えるのは当たり前です。法然上人も親鸞聖人も、阿弥陀仏の18願については比叡山時代から御存知でしたが、信じられなかったので、18願での救いを求められなかったのです。知っていても信じられないから「難信の法」なのです。

親鸞会の余りにも低レベルの試験問題に呆れ果てました。

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コメント

顕正新聞4月15日号では、『次元の異なる流転の告白』と題し、
親鸞聖人の「噫、弘誓の強縁は~」のお言葉を出してから、

「多生にも助からなかった、億劫にも獲られなかった」と感泣なされる親鸞聖人。
「30年聞いたが助からなかった、50年求めたが獲られなかったが、此処へ来て助かった」
と放言する者。
次元の異なる流転の告白に驚かない者は、また真仮を弁えぬ同レベルと知らねばならぬ。

と、高森会長は書いています。

これは、
「○○年、聞いていますが、信心決定できないので、あきらめようと思います」
と言う人に対して、親鸞会が用意している言葉なのでしょうが、
この内容、教義的にはどうなんでしょうか。

また、このようなことを言う人に対して、親鸞会以外の人なら、なんと答えるんでしょうね。

投稿: | 2010年7月21日 (水) 00時11分

>↑名無しさん
http://sinyuika.blog63.fc2.com/blog-entry-476.html
に加茂仰順和上様の言葉が紹介されています。

親鸞会では『自力いっぱい頑張った人が信心決定という栄光をつかむ』というような
理解を促していますから、間違いです。

投稿: YGM | 2010年7月21日 (水) 08時53分

名無し 様

エントリーに書きましたが、如何でしょうか。

投稿: 飛雲 | 2010年7月21日 (水) 20時03分

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