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2010年7月22日 (木)

恒沙塵数の如来は 万行の少善きらひつつ 名号不思議の信心を ひとしくひとへにすすめしむ

講師試験の問題で、特におかしいものがもう1つあります。

釈迦はじめ十方諸仏が廃悪修善を説かれたのはなぜか、簡潔に答えよ。

聖道諸宗の試験問題なら判りますが、真宗ではあり得ない程的外れな問題です。
前回このおかしさについて概ね答えておりますが、もし真宗の試験問題であれば、

釈迦はじめ十方諸仏が念仏を証誠護念されたのはなぜか、簡潔に答えよ。

でしょう。親鸞会は発想が根本的に狂っています。『阿弥陀経』に何が説かれてあるのか知らないのでしょうか。

『浄土和讃』弥陀経讃には、

恒沙塵数の如来は 万行の少善きらひつつ
 名号不思議の信心を ひとしくひとへにすすめしむ

(現代語訳)
恒沙、 塵数にも譬えられる無数の諸仏方は、 念仏以外の自力の行、 すなわち諸善万行を、少善で価値の低い行であり、 この行によっては往生成仏することができないと貶し、名号不思議の信心こそ往生成仏の道であると、 諸仏皆一緒になって、 ただ念仏一つをお勧めくださっている。

十方恒沙の諸仏は 極難信ののりをとき
 五濁悪世のためにとて 証誠護念せしめたり

(現代語訳)
十方世界のガンジス河の砂の数ほどたくさんおいでになる諸仏方は、 名号のお謂れを聞信する一つで凡夫が仏になるという常識では極めて信じ難い教えを説き、 五濁悪世の衆生のために、 誠心誠意を持って間違いないと証明し、 信心を失わないようにお護りくださいます。

諸仏の護念証誠は 悲願成就のゆゑなれば
 金剛心をえんひとは 弥陀の大恩報ずべし

(現代語訳)
諸仏が護念証誠されるのは、 その本をたずねると、 阿弥陀如来が十方諸仏方に名号を讃嘆させ、 それを衆生に伝えたいと誓われたからである。 私たちが本願名号に遇うことができるのも、 諸仏の一人である釈尊が弥陀の願いに動かされて、 本願名号のすばらしさを誠心誠意証明し、 この道を行けとお勧めくださるからである。 金剛のような、 何ものにも破壊されない他力の信心を得た人は、 諸仏の護念証誠もその本をたずねると、 弥陀の悲願より出ているので、 如来のご恩に感謝しなければならない。

五濁悪時悪世界 濁悪邪見の衆生には
 弥陀の名号あたへてぞ 恒沙の諸仏すすめたる

(現代語訳)
五濁悪時といわれる悪い時代の、 濁りきった悪世界に住んでいる邪見の衆生のためには、諸善万行を修行してさとりを開くという仏法では、 とてもさとりに至ることはできない。濁悪邪見の衆生のために、 弥陀の名号のいわれを信じさせ、 称えさせて、 さとりを得させたいと、 恒沙の諸仏がお勧めになった。

と親鸞聖人も教えられています。この中でも特に最初の御和讃、

恒沙塵数の如来は 万行の少善きらひつつ
 名号不思議の信心を ひとしくひとへにすすめしむ

親鸞会の会員は、この御和讃が読めますか? 意味が判りますか?

講師試験の問題が、真宗界から出題されたものでないことは、これで御判りでしょう。

仏教は、対機説法です。修行に堪えられるエリートには、聖道門が説かれて、諸善万行を勧められています。聖道門の修行を断念した人に、要門を説かれました。しかし、落ちこぼれの凡夫には、釈尊も十方諸仏も、諸善ではなく念仏1つを勧められているのです。それが『往生要集』

極重の悪人は、他の方便なし。ただ仏を称念して、極楽に生ずることを得

です。
こんな基本中の基本さえ判らずして、真宗を名乗るな、親鸞聖人の御名前を騙るな、といいたいです。

古代インドにはバラモン教がありました。親鸞会で教えている内容と同じ宿命論的な因果の道理を説き、絶対的な幸福になるために廃悪修善を勧めていました。差別思想による階級制度は有名です。釈尊は、これらを否定されて仏教を説かれました。
親鸞会は、バラモン教に非常に近いと思うのは、私だけでしょうか。

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