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2010年7月 3日 (土)

すべからく勢利を抛ちてただちに出離を悕ふべし

私の周りでは会員歴20年以上の人が、時間を掛けて少しずつ辞めていき、去年、今年だけで、結構な人数になります。一方で、未だに親鸞会にしがみついているベテラン会員も相当数います。
親鸞会を辞める人としがみついている人との違いについて考えてみると、救われたいという思いの差です。
親鸞会に残っている人は、後生の一大事の解決のため、と口では言いながら、後生の一大事を解決しようという気は殆どありません。

  • 親鸞会にいれば、死んでも悪いところへは行かんだろう
  • 正しい教えを聞いている私は、世間の人よりも幸せ
  • 昿劫多生の目的だから、遠生の結縁になればいい

この程度の考えです。
これは聖道門の人の考え方に近いでしょう。
親鸞聖人が比叡山で20年間御修行をなされましたが、当時の比叡山では親鸞会の会員のような考え方の人が大半であったと思います。そんな人達の中で親鸞聖人は、比叡山を下りられました。親鸞聖人は

一切善のできない、地獄一定の者

と知らされて比叡山を下りられたのではありません。

天台宗の教えでは助からない、自分が救われる教えが他にあるのではないか

と思われたから20年間おられた比叡山を捨てられたのです。
親鸞会を辞めた会員もそうです。

親鸞会の教えでは助からない、自分が救われる教えが他にあるのではないか

と真剣に考えたのです。親鸞会に残っている会員は、辞めた会員よりも不真面目です。親鸞聖人の正しい教えが他にあると聞いても、それを確かめようともしないのは、教えの正しさなどどうでもよいのです。つまりは、親鸞会にこのままいて助かるかどうかなど一々考える気も起こらないのです。

最近の親鸞会では、親鸞聖人の比叡山での御修行のことばかり強調されていますが、大事なのは、親鸞聖人が比叡山を下りられて、法然上人の元に行かれるまでのお気持ちです。

『嘆徳文』には

ここにつらつら出要を窺ひて、この思惟をなさく、「定水を凝らすといへども識浪しきりに動き、心月を観ずといへども妄雲なほ覆ふ。しかるに一息追がざれば千載に長く往く、なんぞ浮生の交衆を貪りて、いたづらに仮名の修学に疲れん。すべからく勢利を抛ちてただちに出離を悕ふべし」と。しかれども機教相応、凡慮明らめがたく、すなはち近くは根本中堂の本尊に対し、遠くは枝末諸方の霊崛に詣でて、解脱の径路を祈り、真実の知識を求む。

と親鸞聖人のお気持ちを表現されていますが、「なんぞ浮生の交衆を貪りて、いたづらに仮名の修学に疲れん」とは親鸞会内のことです。このように思える人は親鸞会を辞め、思えない人は親鸞会という悲惨なサークル活動で満足しているのでしょう。長年親鸞会にいながら、未だに「すべからく勢利を抛ちてただちに出離を悕ふ」ことのない人は、無宿善なのかもしれません。

簡単に救われないからといって、焦って変なものを掴むことのないように

と、親鸞会を辞めないように会員を騙すことしかできないのが親鸞会の現状です。
『教行信証』信巻に

法の難を説くなかに、まことにこの法をもつて凡を転じて聖となすこと、なほし掌を反すがごとくなるをや。大きにこれ易かるべきがゆゑに、おほよそ浅き衆生は多く疑惑を生ぜん。すなはち『大本』に〈易往而無人〉といへり。ゆゑに知んぬ、難信なり。

と教えられていますように、阿弥陀仏の救いは極めて簡単なのです。簡単過ぎるから思慮の浅い親鸞会会員は疑うのです。だから「易往而無人」なのです。「難信」と「難行」とを混乱してはいけません。

早く小杉の山を下りて、「真実の知識を求む」となって欲しいものです。

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コメント

「なんぞ浮生の交衆を貪りて、いたづらに仮名の修学に疲れん.」

すごくピッタリ来ます。
「善をしなければ信仰は進みません」「実際にやってみなければ観念の遊戯」などと言っている者たちは、自分たちのしていることは何なのか良く考えて欲しいですね。

投稿: mu-min | 2010年7月 3日 (土) 08時30分

mu-min 様

親鸞会にいた時から、好きなお言葉でしたが、これが親鸞会のことであったと気付くのに長い年月を要してしまいました。
かつての仲間も、早く気が付いて欲しいものです。

投稿: 飛雲 | 2010年7月 4日 (日) 06時28分

在籍時、弘宣部のY田さんと話す機会がありました。ちょうど名指しで見てはいけないネットのサイト名が伝わってきた頃だったので「Y田さんはそのサイト見られたことありますか?」と尋ねたら「ないです。それは誹謗中傷サイトです。」との返事。「私は見ましたが、真面目な感じのサイトでしたよ。」と言うと「そんなの見る暇が当たら、S会の公式サイトを見てください。T先生が誹謗中傷サイトだと言われているんですから誹謗サイトです。あなたが1回そのサイトにアクセスするたびに、そのサイトの表示順が上がってくるんです。悪に加担することになるんですよ。それは謗法罪であり、無間業ですよ。」と言われました。
自分が見てもいないのに決め付けるのにも驚きましたが、そのとき言われた「無間業」という言葉は結構ショックで、(自分は自ら助かる手がかりを失う行為をしているのではないか。もう永遠に助からなくなるかも。)と、なんともいえない恐怖を感じました。そういう感じは1ヶ月くらい続いたでしょうか・・。
S会の教義はおかしいのではないか?と気付いても、やはり「無間業」といわれると「必堕無間」の恐怖に縛られてうごけなくなるんですよね・・。恐怖で煽って、本願の名前だけ使って本願から遠ざける、とんでもないことですよね。
あの時の事を、記事を読んでいて思い出しました。

投稿: mary | 2010年7月 4日 (日) 22時11分

mary 様

何が正しくて、何が間違っているを判断することも放棄しているのに、脅しだけはしっかりするのです。
親鸞会でよく言っていた邪教の典型です。
情報を遮断しなければ守れない程、脆弱な教義なのです。

投稿: 飛雲 | 2010年7月 5日 (月) 06時01分

いい加減しんらん云々には嫌気がささんか

投稿: | 2015年6月11日 (木) 09時59分

私が(おそらく他の元会員の皆さんも)嫌気がさしているのは高森会長と講師部員達の不誠実ぶりですが…。

投稿: あずきあらい | 2015年6月11日 (木) 13時43分

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