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2010年7月30日 (金)

「薬あり、毒を好め」を実践する高森会長

親鸞会の善悪の基準は、高森会長の言動です。高森会長がしていること、せよということが善であり、高森会長がしていないこと、するなということが悪になっています。しかし、高森会長の言動自体が無茶苦茶ですから、基準になる筈がありません。

昔、『末灯鈔』の「薬あり、毒を好めと候ふらんことは、あるべくも候はずとぞおぼえ候ふ」について高森会長から話を聞いたことがありましたが、これは高森会長自身のことを親鸞聖人が仰ったのだと、後で判りました。

 まづおのおのの、むかしは弥陀のちかひをもしらず、阿弥陀仏をも申さずおはしまし候ひしが、釈迦・弥陀の御方便にもよほされて、いま弥陀のちかひをもききはじめておはします身にて候ふなり。もとは無明の酒に酔ひて、貪欲・瞋恚・愚痴の三毒をのみ好みめしあうて候ひつるに、仏のちかひをききはじめしより、無明の酔ひもやうやうすこしづつさめ、三毒をもすこしづつ好まずして、阿弥陀仏の薬をつねに好みめす身となりておはしましあうて候ふぞかし。

 しかるになほ酔ひもさめやらぬに、かさねて酔ひをすすめ、毒も消えやらぬになほ毒をすすめられ候ふらんこそ、あさましく候へ。煩悩具足の身なればとて、こころにまかせて、身にもすまじきことをもゆるし、口にもいふまじきことをもゆるし、こころにもおもふまじきことをもゆるして、いかにもこころのままにてあるべしと申しあうて候ふらんこそ、かへすがへす不便におぼえ候へ。酔ひもさめぬさきになほ酒をすすめ、毒も消えやらぬに、いよいよ毒をすすめんがごとし。薬あり、毒を好めと候ふらんことは、あるべくも候はずとぞおぼえ候ふ。

(現代語訳)
 そもそもみなさんは、かつては阿弥陀仏の本願も知らず、その名号を称えることもありませんでしたが、釈尊と阿弥陀仏の巧みな手だてに導かれて、今は阿弥陀仏の本願を聞き始めるようになられたのです。以前は無明の酒によって、貪欲・瞋恚・愚痴の三毒ばかりを好んでおられましたが、阿弥陀仏の本願を聞き始めてから、無明の酔いも次第に醒め、少しずつ三毒も好まないようになり、阿弥陀仏の薬を常に好むようになっておられるのです。

 ところが、まだ酔いも醒めていないのに重ねて酒を勧め、毒も消えていないのにさらに毒を勧めるようなことは、実に嘆かわしいことです。煩悩をそなえた身であるからといって、心にまかせて、してはならないことをし、いってはならないことをいい、思ってはならないことを思い、どのようにでも心のままにすればよいといいあっているようですが、それは何とも心の痛むことです。酔いも醒めないうちにさらに酒を勧め、毒も消えないうちにますます毒を勧めるようなものです。毒があるから好きこのんで毒を飲みなさいというようなことはあってはならないと思います。

親鸞聖人は、このように教えておられます。
高森会長は、他人の著作を盗作しておきながら、それを堂々と販売したり、会員・非会員を職員に引き抜いてきても、都合が悪くなると、放り出して路頭に迷わせたり、何より、自己の欲望を満たすために親鸞聖人の教えと真逆のことを説いて平気な人物です。十悪・五逆・謗法を犯すことに対して、懺悔の気持ちどころか、好んで犯している始末です。

もっとも、このたとえ通りのことを高森会長がしていることをある方が教えて下さいました。

「さよなら親鸞会」投稿:高森顕徹会長の食生活

高森顕徹会長の食生活について、内部事情に詳しい人から投稿がありました。
私たちが伝えられている高森会長の姿と、真実の姿には実は相当な隔たりがあります。そのことをこのエントリを通じて知っていただければと思います。

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 布教に命を掛けているので、健康に誰よりも気を遣っていると宣伝されている会長でありますが、実は極めて不健康な食生活をしていることは余り知られていません。
 「君たちは味蕾(舌の味を感じとる部分)が破壊されている」と周りの者に会長自身のグルメぶりを自慢していたのは有名でありますが、実は味蕾が敏感ではなく、その逆であったのです。

 会長は懇親会が好きです。懇親会に使われる旅館は、以前は頻繁に変わっていました。その理由が、食事でありました。ところが何年もお気に入りの旅館があります。その旅館は、会長が食事にこだわりがあることを聞きつけて、会長好みの味を尋ね回ったと言います。塩辛い、濃い味が好みであることを料理長が知って、そこの旅館での懇親会では、会長の好みに合わせた塩辛い、濃い味の食事が出されるようになりました。もちろん会長が利用するときだけでありますが。そのことで会長の信頼を得て長年同じ旅館で懇親会が催されているのです。
 またレストラン祇園は、高森会長の親戚であるY山氏が料理長として始まりました。しかし、Y山氏は職人肌の人で、人間関係をうまくこなすことができず、経営的なこともあってY山氏に変わる別の人を探すことになりました。そこで、高森会長は会員でないお気に入りのある料理人を引っ張ってきて、祇園の板長としました。そして新たな体制で祇園が再スタートした訳です。会長が連れてきた板長でありましたが、味について会長と板長とが衝突することが度々ありました。会長は自分のいうことはすべて絶対であると思っていますので、自分に合わせない板長が疎ましくなっていきました。一般受けする味は会長には薄味としか思えず、結局板長以下職員をすべてを解雇したのです。この後暫く祇園は閉鎖となり、M本講師が女将として会長の許可が出るまで使うことができなかったのは、少し古い会員さんならご存知でしょう。
 現在では、祇園、法輪閣、サンキューに長年料理人として腕を振るってきた会員の新たな料理人が入ってきていますが、これらの人も会長の塩辛い、濃い味への厳しい"御指導"により、泣く泣く長年の味を変えざるを得なかったといいます。
 会館滞在時の食事は、会長専属の料理人が何人もいて、食事を用意していますが、当然塩辛く、甘く、脂っこく、濃い味の料理が作られています。
 自身の不健康は自因自果としても、会員や関係者にまで不健康を押しつけながら、「会長先生は、学徒の皆さんの健康まで気遣って下されている」といわせているのが会長であるのです。

言行不一致も、ここまでくると尊敬に値するかも知れません。

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