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2010年6月 5日 (土)

「定散諸機」とは

未だに親鸞会では、19願に「十方衆生」と誓われているから、親鸞聖人の教えを聞いて信じている人でも19願を必ず通らなければならないと言っています。それしか主張の根拠がないのでしょう。
某ブログでは、少し趣向を懲らしていますが、根拠を出すことで自分の首を締めています。

「十方衆生」が相手の弥陀の第19願(要門)を、
お釈迦様が開かれて「善の勧め」の教えを説かれた。
 
そのお釈迦様の「善の勧め」の教えを受けて、
それを実行しようとする「聖道門の人」が現れたのである。
 
 
 釈迦は要門ひらきつつ
 定散諸機をこしらえて
 正雑二行方便し
 ひとえに専修をすすめしむ
         (高僧和讃)

ここで大事なことが抜けています。
釈尊が要門を開かれて「善の勧め」の教えを誰に説かれたのか。

その答えが、この御和讃で教えられています。

訳せば、

釈尊は要門を開いて、 定善・散善の人々を浄土門に誘い、 正行と雑行とを手立てとして、 ひとえにもっぱら念仏を修することを勧められた。

19願意から「定散諸機」に対して釈尊が要門を開かれたのです。ただし、ここでの「要門」とは、『観無量寿経疏 玄義分』の

その要門とはすなはちこの『観経』の定散二門これなり。

で、19願のことではありません。

こしらえて」は誘うということです。

『一念多念証文』

この要門・仮門より、もろもろの衆生をすすめこしらへて、本願一乗円融無碍真実功徳大宝海にをしへすすめ入れたまふがゆゑに、よろづの自力の善業をば、方便の門と申すなり。

『口伝鈔』

しかじ、「唯聞愁歎声」(定善義)の六道にわかれて、「入彼涅槃城」(同)の弥陀の浄土にまうでんにはと、こしらへおもむけば、闇冥の悲歎やうやくに晴れて、摂取の光益になどか帰せざらん。

も同じです。ですから、

定散諸機」≠すべての人

です。『正信偈』には、

矜哀定散与逆悪

と「定散」と「逆悪」と分けられています。
蓮如上人の『正信偈大意』では、

されば定散の機をも五逆の機をも、もらさずあはれみたまひけりといふこころなり。

と解説があります。

言葉の意味も知らないのに、下手に根拠を出すから、無知が晒されるのです。

同様に、親鸞会が善の勧めの根拠とする『浄土和讃』大経讃で、「十九の願のこころ、諸行往生なり」と頭註のある三首を見てみましょう。

至心・発願・欲生と 十方衆生を方便し
 衆善の仮門ひらきてぞ 現其人前と願じける

(現代語訳)

第十九願には、 自力をたよりに自分の心を真実にして、 往生を願い、 浄土に生まれたいと思えと、 十方衆生を方便誘引し、
どのような善を修めてでも浄土往生を願えと、 諸善万行によって往生を願う方便仮門を開き、 この人々の臨終にはその人の前に来迎すると誓われた。

 
臨終現前の願により 釈迦は諸善をことごとく
 『観経』一部にあらはして 定散諸機をすすめけり

(現代語訳)

阿弥陀如来の第十九願の意をうけて、 釈尊は聖道自力の人を誘引するため、 諸善万行はみな浄土往生に導く善根であるとして、
『観経』一部に定善の行、 散善の行を説き、 定善に縁のある人、 散善に縁のある人に、 それぞれに自力の行による往生をお勧めくださった。

諸善万行ことごとく 至心発願せるゆゑに
 往生浄土の方便の 善とならぬはなかりけり

(現代語訳)

諸善万行は、 本来、 聖道門の行である。 けれども、 この行によって浄土往生を願わせたいと、 阿弥陀如来が至心発願の誓いをお立てくださったので、
浄土往生のための方便の善とならないものはなかったのである。

第1首目は19願の直訳に近い解説、第2首目は19願から釈尊が『観無量寿経』を説かれて「定散諸機」を浄土門へ誘引されたことの解説、第3首目は欣慕浄土の善の解説です。

逆悪の機」に対して、定散二善を勧められたとは、どこにもありません。

先の高僧和讃1首とこの3首を通して読まれれば、

(19願の)「十方衆生」=「定散諸機

と釈尊が19願意を明らかにされ、それを親鸞聖人が教えておられることが判ります。

親鸞会では「定散諸機をすすめけり」と「定散二善をすすめけり」とを勘違いしているのでしょう。

定散諸機」とは定善・散善のできる善人のことです。それに対して「逆悪の機」とは定善・散善のできない悪人のことです。
『観無量寿経』には、「定散諸機」に対して定散二善を説かれ、「逆悪の機」には念仏を勧められているのです。韋提希に対しては、定散二善を勧められていません。『観無量寿経』を直に読んでみて下さい。

これまでmixiでの議論を通して述べてきましたことが、すべて辻褄が合います。

・『平等覚経』『大阿弥陀経』『尊号真像銘文』より18願の「十方衆生」と19願の「十方衆生」の違い
・要門釈で、19願は聖道門の人を浄土門に誘引する願であると仰ったこと
・『往生要集』に「極重の悪人は他の方便なし」とあること
・そして、「定散諸機」も最後は18願に導かれなければ報土往生できないので、要門釈結勧の文で、
 「観経の定散の諸機は、極重悪人、ただ弥陀を称せよと勧励したまへるなり」と仰ったこと

どこにも矛盾はなく、釈尊、善導大師、源信僧都、親鸞聖人が一貫して同じことを教えられていることがはっきりします。
一方、親鸞会の理論では、矛盾しかありません。悪人正機が理解できないから、幼稚な理屈をいつまでも捏ねているのです。

19願に「十方衆生」とあるのだから、と今後も、何とかの1つ覚えしかいえないでしょうね。レベルが低過ぎます。

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コメント

で20願の十方衆生も定散諸機という限定された意味で書かれたものだが、
法然が勧めているからみんな唱えるの必須なってことですか?
わけわかんないですね
なんつーか論理的な一貫性が感じられないんすよね
ツッコミ入れるとそうじゃないと否定はするが
弁解になってないし
新しく作る判定基準の妥当性にも普遍性を感じない。
こっちで論駁のため援用した論拠を別の話題の自分には適応せず、そのかわり別の根拠で権威的に補足する、
というんじゃ、そのときそのときはごまかせても時間をおいて考えるとよくわからないってなるんですよね。
で、納得できないなら来ないで下さいと引きこもる。
前のところでも感じたんですが単なる文献解釈学に落ちいってるんですよね

ちなみに、真宗は19願20願を必ず通らなければならないとは言ってませんが
19願20願の方便の重要性をといてますよね


投稿: | 2010年6月 6日 (日) 07時59分

法然上人は、18願を勧められたのであって、20願を勧められた訳ではありません。
法然上人が20願について勧められた根拠がありませんので、あなたの言われていることがよく判りません。

私は方便の重要性を否定もしていません。19願20願を必ず通らなければならないということを問題視しただけですので、誤解されませぬようにお願いいたします。

投稿: 飛雲 | 2010年6月 6日 (日) 08時13分

親鸞会は、文献解釈で正統性を主張してきます。ならば、文献解釈学で反論するのが筋だと思います。

ちなみに、このブログは親鸞会の邪義に対して書かれたものですから、ここでは19願の善の勧めの話です。20願のことについては、法然上人は言及がほとんどなく、もちろん18願しか勧められていません。親鸞聖人が18願他力念仏と20願自力念仏とを峻別されましたので、ここで20願の話を持ち出すのはいかがなものでしょうか。

投稿: 幹部会員歴数十年 | 2010年6月 6日 (日) 09時15分

はいはい
あなたの親鸞会批判の姿勢に対する疑問はみな親鸞会員によるものですし
親鸞会ごときをまともに相手するのも時間の無駄ですよね
親鸞会教義が間違っているなんて自明ですから
込み入った疑問はお断りで十分ですよね

いやあ
もしかして、あなた元親鸞会員じゃないですか?

投稿: | 2010年6月 6日 (日) 12時45分

もちろん、元親鸞会会員です。私の文章を読まれれば、お分かりになられると思います。

結局、

>で20願の十方衆生も定散諸機という限定された意味で書か
>れたものだが、
>法然が勧めているからみんな唱えるの必須なってことですか?
>わけわかんないですね

これが訳わかんないのですが。

以前のエントリーで紹介された
「21世紀の浄土真宗を考える会」の
生因三願の「十方衆生」についての考察
http://kondoutomofumi.blog121.fc2.com/blog-entry-180.html

これを読まれることをお勧めします。


無量寿経(大無量寿経)の第18願、第19願、第20願の三願は生因の願と言われます。
これらの願の対機はいずれも「十方衆生」ですが、異訳本と比較すると、同じ「十方衆生」でも意味が異なることが分かります。

現在残っている完本は、サンスクリット本、漢訳5種、チベット訳の合計7種あります。
漢訳5種、チベット訳の6本の原本は失われています。
つまり、同じ原本から訳されたものではないですし、漢訳5種の原本は現存のサンスクリット本ではないということです。
『大阿弥陀経(仏説阿弥陀三耶三仏薩楼仏檀過度人道経)』と『仏説無量清浄平等覚経』は「初期無量寿経」と言われ、阿弥陀仏の本願が24です。
『無量寿経』『無量寿如来会』『仏説大乗無量寿荘厳経』および、サンスクリット本、チベット訳は「後期無量寿経」と言われます。本願の数は『無量寿経』『無量寿如来会』が48、『仏説大乗無量寿荘厳経』が36、サンスクリット本が47、チベット訳が49です。

さて、『大無量寿経』の生因三願がそれぞれどのように対応しているかということですが、
大阿弥陀経の第5願ー平等覚経の第19願ー大無量寿経の第20願
大阿弥陀経の第7願ー平等覚経の第18願ー大無量寿経の第19願
大阿弥陀経の第4願ー平等覚経の第17願ー大無量寿経の第17願と第18願
の関係にあります。

そして大阿弥陀経と平等覚経の対機・往生の機根は

大阿弥陀経の第5願 大阿弥陀経三輩段中の下輩生 前世作悪者
大阿弥陀経の第7願 大阿弥陀経三輩段中の上輩生 出家の善男子善女人
大阿弥陀経の第4願 前半(大無量寿経の第17願に相当)は諸仏、後半(同第18願)が前世作悪者

平等覚経の第19願 他方仏国の人民(下輩生・前世作悪者)
平等覚経の第18願 諸仏国の人民(上輩生・出家者)
平等覚経の第17願 大阿弥陀経の第4願と同じ

となっています。

大阿弥陀経においては、第4願と第5願は関係が深いのですが、
平等覚経においては、第17願と第18願の関係は薄くなっています。
大無量寿経になると、第17願・第18願と第19願の関係はさらに希薄になります。

ちょっとややこしいですが、簡単に言うと、
・もともと、大無量寿経の第19願・第20願にあたる願文の対機は異なるものであった。
・大無量寿経の第18願は、第19願・第20願にあたる願文とは独立していた。大無量寿経で言えば第17願と密接な関係にあった。
・大無量寿経の対機が「十方衆生」と訳されるに伴い、第19願・第20願の対機も「十方衆生」と訳された。
・したがって、言葉は「十方衆生」と同じでも、意味は全く異なる。
・第19願・第20願では十方衆生が○○すると往生できると言われているのに対して、第18願では阿弥陀仏が十方衆生に向かって与えて往生させると言われている。
・親鸞聖人はこれらの点などを見られて、第18願を真実願、第19願・第20願を方便願とされた。
となります。

投稿: 幹部会員歴数十年 | 2010年6月 7日 (月) 06時44分

この記事に対する反論が書かれています。
http://mugenkairi.cocolog-nifty.com/blog/2010/06/post-924a.html

飛雲様はどう思われますか?

投稿: ぺんぺん草 | 2010年6月10日 (木) 09時54分

ぺんぺん草様
 親鸞聖人は「化土往生する人は少なくない」と言われているので、19願通りにできた人が化土往生されているのではないでしょうか?

投稿: mary | 2010年6月10日 (木) 12時34分

管理人様、シンパ(講師部員?)が以下のように述べています。
何か反論ありますか?

正しい真宗教義の伝承のために
~間違った「要門釈」の解釈
http://ikiruimiwositte.blog83.fc2.com/blog-entry-13.html

飛雲 http://hiun.cocolog-nifty.com/blog/2010/06/post-9e53.html
   「要門釈で、19願は聖道門の人を浄土門に誘引する願であると仰ったこと」

間違い どの御文を解釈して「聖道門」と言っているのか不明ですが。
    化土巻の後の御文には 
   「これによりて方便の願(第十九願)を案ずるに、仮あり真あり、また行
    あり信あり。乃至。この願の行信によりて、浄土の要門、方便権仮を顕開す。
    この要門より正・助・雑の三行を出せり。」

 「おほよそ一代の教について、乃至。安養浄刹にして
  入聖証果するを浄土門と名づく、易行道といへり。
  この門のなかについて、
  横出・横超、仮・真、漸・頓、助正・雑行、雑修・専修あるなり。
  正とは五種の正行なり。」

  正行雑行の分別、助正の分別は十九願から出るんです。
  それが「聖道門」なんていうことは素人の間違いとしても
  許されることではないでしょう。

 みなさんもっとちゃんと御本典を拝読してほしいと思います。

投稿: | 2010年10月 5日 (火) 21時46分

よくもこんなデタラメを平気で書けるものだと驚いています。
これまで何度も述べてきたことですから、関連のエントリーを読んで頂ければ結構です。

元は、mixiでこうへい氏とのやりとりでるぅでる様氏、sutybi氏が解説されています。

要門釈を読めば明らかなことです。当ブログはエントリー数も多いので、「親鸞会の邪義を正す」でまとめたものを読まれれば、お判りいただけるでしょう。

私からもいいましょう、

 みなさんもっとちゃんと御本典を拝読してほしいと思います。

投稿: 飛雲 | 2010年10月 5日 (火) 22時11分

M野さんは、嘘をつくことが善いことだと思っているんじゃないでしょうか。
どの解説書を読んでも、十九願は聖道門の人を浄土門に誘引する願と書かれています。
あの、こうへいさんでも、このことは認めています。こうへいさんの場合は、聖道門の人だけではなく、浄土門の人も入るとは言っていましたけれども。

投稿: 不良学徒 | 2010年10月 6日 (水) 11時02分

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