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2010年6月 7日 (月)

二十の願のこころ

親鸞会では、三願転入の教えとは言いながらも、18願と19願について話をするだけで20願についての説明は殆どありません。親鸞会の会員は、19願の入口にも立っていないのですから、20願は遥かかなたの”夢物語”なのでしょう。
当ブログでも、親鸞会が強調する19願について述べてきましたが、”夢物語”の20願については説明してきませんでした。しかし、20願についても誤解している人がありますので、簡潔に説明しておきます。

これまで『大無量寿経』の異訳本である『平等覚経』『大阿弥陀経』との比較により、『大無量寿経』における18願、19願の「十方衆生」の違いについて見てきましたが、20願も加えて列記しておきます。

『平等覚経』17願(前半が『大経』17願、後半が18願)

我作佛時。令我名聞八方上下無數佛國。
諸佛各於弟子衆中。歎我功徳國土之善。
【諸天人民蠕動之類】聞我名字。皆悉踊躍。
來生我國。不爾者我不作佛

『平等覚経』18願(『大経』19願)

我作佛時。【諸佛國人民有作菩薩道者。】
常念我淨潔心。壽終時我與不可計比丘衆。
飛行迎之共在前立。即還生我國作阿惟越。
不爾者我不作佛

『平等覚経』19願(『大経』20願)

我作佛時。【他方佛國人民。前世爲惡。】
聞我名字及正爲道。欲來生我國。壽終皆令
不復更三惡道。則生我國在心所願不爾者
我不作佛

『大阿弥陀経』4願(前半が『大経』17願、後半が18願)

使某作佛時。令我名字。皆聞八方
上下無央數佛國。皆令諸佛。各於比丘僧大
坐中。説我功徳國土之善。
【諸天人民。蜎飛蠕動之類】聞我名字。
莫不慈心歡喜踊躍者。皆令來生我國。
得是願乃作佛。不得是願終不作佛

『大阿弥陀経』7願(『大経』19願)

使某作佛時。令【八方上下。無央數佛國。
諸天人民。若善男子善女人。有作菩薩道。】
奉行六波羅蜜經。若作沙門不毀經戒。
斷愛欲齋戒清淨。一心念欲生我國。
晝夜不斷絶。若其人壽欲終時。
我即與諸菩薩阿羅漢。共飛行迎之。
即來生我國。則作阿惟越致菩薩。智慧勇猛。
得是願乃作佛。不得是願終不作佛

『大阿弥陀経』5願(『大経』20願)

使某作佛時。令【八方上下。諸無央數天人民。
及蜎飛蠕動之類。若前世作惡。】聞我名字。
欲來生我國者。即便反政自悔過。爲道作善。
便持經戒。願欲生我國不斷絶。
壽終皆令不復泥犁禽獸薜荔。即生我國。
在心所願。得是願乃作佛。不得是願終不作佛

『平等覚経』『大阿弥陀経』共に、『大無量寿経』の「十方衆生」は、19願だけが大きく異なり、18願と20願は近い意味になっています。

また前回『浄土和讃』大経讃の「十九の願のこころ、諸行往生なり」と頭註のある三首を紹介しましたが、「二十の願のこころなり、自力の念仏を願じたまへり」の三首も紹介しておきます。

至心・回向・欲生と 十方衆生を方便し
 名号の真門ひらきてぞ 不果遂者と願じける

果遂の願によりてこそ 釈迦は善本・徳本を
 『弥陀経』にあらはして 一乗の機をすすめける

定散自力の称名は 果遂のちかひに帰してこそ
 をしへざれども自然に 真如の門に転入する

19願のように「定散諸機」という言葉はありません。

18願と20願との違いは他力念仏と自力念仏の違いであり、阿弥陀仏の方から衆生へ回向して下されるか、衆生の方から阿弥陀仏に回向するかの違いです。

歴代の善知識方は、18願1つを勧められたのであって、20願を勧められた七高僧方はありません。

法然上人は、『西方指南抄』の中で20願について「繋念定生の願」と仰っているくらいです。

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