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2010年6月19日 (土)

みづから迷ひて往生の大益を廃失すべからざれ

親鸞会の会員と話をすると、最後に言われることは皆同じです。

解釈が間違っているところがあったとして、では誰から話を聞けばいいのか?

高森会長の教えていることが親鸞聖人の教義と違うことを認めざるを得なくなると、高森会長の信心だけは間違いないし、他に真実信心の人はいないと固く信じ切っているのです。

しかし、そのことにも根拠がないことに気が付くべきでしょう。救われている方はたくさんおられますし、布教されている方も何人もあります。

信心については、他人が判断できるものではありませんが、救われて知らされることの内容を聞けば、高森会長の説明には疑問符が幾つも付きます。

異安心は誰か?
でも述べてきた通りです。

少なくとも高森会長の教えていることは、親鸞聖人の教義とは正反対のところが多く、逆に正しいところはどこだろうかと探さなければならない程です。

高森会長の教義も信心も親鸞聖人と異なっていたならば、親鸞会はただの”新興宗教”です。

七深信の六番目

また一切の行者、ただよくこの『経』(観経)によりて行を深信するは、かならず衆生を誤らざるなり。なにをもつてのゆゑに、仏はこれ満足大悲の人なるがゆゑに、実語なるがゆゑに。仏を除きて以還は、智行いまだ満たず。それ学地にありて、正習の二障ありていまだ除こらざるによつて、果願いまだ円かならず。これらの凡聖は、たとひ諸仏の教意を測量すれども、いまだ決了することあたはず。平章することありといへども、かならずすべからく仏証を請うて定とすべきなり。もし仏意に称へば、すなはち印可して〈如是如是〉とのたまふ。もし仏意に可はざれば、すなはち〈なんだちが所説この義不如是〉とのたまふ。印せざるはすなはち無記・無利・無益の語に同じ。仏の印可したまふは、すなはち仏の正教に随順す。もし仏の所有の言説は、すなはちこれ正教・正義・正行・正解・正業・正智なり。もしは多もしは少、すべて菩薩・人・天等を問はず、その是非を定めんや。もし仏の所説は、すなはちこれ了教なり。菩薩等の説は、ことごとく不了教と名づくるなり、知るべし。このゆゑに今の時、仰いで一切有縁の往生人等を勧む。ただ仏語を深信して専注奉行すべし。菩薩等の不相応の教を信用して、もつて疑碍をなし、惑ひを抱いて、みづから迷ひて往生の大益を廃失すべからざれと。

(現代語訳)

また、すべての行者たちが、ただよくこの《観経》によって念仏を深く信ずれば、決して人々を誤らせない。なぜかといえば、仏はこれ大悲を円満せられたお方だからであり、その説かれたお言葉がまことだからである。仏を除いて以下の者は、智慧も行もまだ十分でなく、なお、それを学ぶ地位にあり、煩悩およびその余習がいまだ除かれず、願う仏果がまだ円満しない。したがって、これらの人たちは、たとい仏の教意をおしはかっても、まだ決了することはできぬ。仏意を正しく解釈したとしても、かならず仏の証明を請うて定むべきである。もし、仏の思召しにかなえば、仏はこれを認められて「正しい」と仰せられる。もし、仏の思召しにかなわなければ、「そなたたちのいう義は正しくない」と仰せられるのである。仏の認められない説は、無意味な利益のないことばにひとしい。仏の認められた説は、仏の正しい教えにかなうものである。仏のすべてのお言葉は、正しい教、正しい義理、正しい行、正しい解釈、正しい業、正しい智慧である。多くても少なくても、菩薩・人・天などを問わず、その説のよしあしを仏説によらずに定めることはできぬ。もし仏の説かれた教であれば、決了の教であり、菩薩などの説であれば、ことごとく義理の決了でない教と名づける。よく知るべきである。こういうわけであるから、いまのとき、往生を願うすべての有縁の人たちに仰いで勧める。ただ深く仏のお言葉を信じて、専心に行ずべきである。菩薩などの仏意にかなわない教を信じて、疑いをおこし、惑いをいだいて、みずから迷い、往生の大利益を失ってはならない。

高森会長はもちろん仏でありませんし、菩薩でもありません。高森会長の教えは釈尊の教えとも、七高僧の教え、親鸞聖人、蓮如上人の教えとも明らかに違いますから、完全に「ことごとく不了教」です。

善導大師、親鸞聖人は「高森会長の不相応の教を信用して、もつて疑碍をなし、惑ひを抱いて、みづから迷ひて往生の大益を廃失すべからざれ」と仰っています。

親鸞会の会員の皆さんは、報土往生を目指しているつもりならば、誰の教えに従うべきかよくよく考えるべきでしょう。

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