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2010年5月11日 (火)

(会長の独り言)儂は『安心決定鈔』など見たこともない

親鸞会が宿善を厚くするように教えている最大の根拠が、『蓮如上人御一代記聞書』です。
「親鸞会教義の誤り」宿善とは3に、『安心決定鈔』と『御一代記聞書』との関連について書かれています。

以下に引用します。

『御一代記聞書』の中に、宿善について記された以下の箇所があります。

一 他宗には法にあひたるを宿縁といふ。当流には信をとることを宿善といふ。信心をうること肝要なり。(234)

ここでは、「宿善」を「信心をうる」という意味で使われています。

宿善」は、親鸞聖人が御著書の中で使われたことのない言葉ですから、その時々の文章によって宿善の意味が異なることがあるようです。一般的には、宿世の善根という意味で使われますが、浄土真宗ではほとんどが、阿弥陀仏のお育てと理解され、自力的意味を排除されます。

(中略)

一 陽気・陰気とてあり。されば陽気をうる花ははやく開くなり、陰気とて日陰の花は遅く咲くなり。かやうに宿善も遅速あり。されば已今当の往生あり。弥陀の光明にあひて、はやく開くる人もあり、遅く開くる人もあり。とにかくに、信不信ともに仏法を心に入れて聴聞申すべきなりと[云々]。已今当のこと、前々住上人(蓮如)仰せられ候ふと[云々]。昨日あらはす人もあり、今日あらはす人もありと仰せられしと[云々]。(307)

このお言葉は蓮如上人が「金を掘り出すような聖教」とまで絶賛されました『安心決定鈔』にあるお言葉を言い換えられたものです。『御一代記聞書』には、『安心決定鈔』からの引用が多数あります。
ここの関連部分を、説明の都合上前後も含めて紹介します。

『安心決定鈔』本

かるがゆゑに仏の正覚のほかは凡夫の往生はなきなり。十方衆生の往生の成就せしとき、仏も正覚を成るゆゑに、仏の正覚成りしとわれらが往生の成就せしとは同時なり。仏の方よりは往生を成ぜしかども、衆生がこのことわりをしること不同なれば、すでに往生するひともあり、いま往生するひともあり、当に往生すべきひともあり。機によりて三世は不同なれども、弥陀のかはりて成就せし正覚の一念のほかは、さらに機よりいささかも添ふることはなきなり。
(中略)
かくこころうれば、われらは今日今時往生すとも、わがこころのかしこくて念仏をも申し、他力をも信ずるこころの功にあらず。勇猛専精にはげみたまひし仏の功徳、十劫正覚の刹那にわれらにおいて成じたまひたりけるが、あらはれもてゆくなり。覚体の功徳は同時に十方衆生のうへに成ぜしかども、昨日あらはすひともあり、今日あらはすひともあり。已・今・当の三世の往生は不同なれども、弘願正因のあらはれもてゆくゆゑに、仏の願行のほかには、別に機に信心ひとつも行ひとつもくはふることはなきなり。

『安心決定鈔』のこれらの部分は、阿弥陀仏が十劫の昔に、本願を成就されているのに、人によって往生の時期に前後ができるのはなぜかということについて書かれたものです。『御一代記聞書』のこの部分は『安心決定鈔』を受けられて記されたのは間違いないでしょう。内容は同じです。

『御一代記聞書』の「已今当の往生あり」のところが、『安心決定鈔』では

すでに往生するひともあり、いま往生するひともあり、当に往生すべきひともあり

已・今・当の三世の往生は不同なれども

ですので、
『御一代記聞書』の「宿善も遅速あり」は、『安心決定鈔』の

仏の方よりは往生を成ぜしかども、衆生がこのことわりをしること不同なれば

覚体の功徳は同時に十方衆生のうへに成ぜしかども、昨日あらはすひともあり、今日あらはすひともあり

に当ります。「ことわりをしる」「あらわす」とありますし、『御一代記聞書』の最後に

昨日あらはす人もあり、今日あらはす人もあり

とありますので、「宿善」とは、信心のことを指していることがお分かり頂けると思います。冒頭の『御一代記聞書』の「宿善」と共通するものです。

つまり『御一代記聞書』では、信心をうることに遅速があるから、已今当の往生がある、と理解できます。

『安心決定鈔』の「ことわりをしる」「あらわす」ことは、自分のやった善とは全く関係ないのです。『安心決定鈔』の、

弥陀のかはりて成就せし正覚の一念のほかは、さらに機よりいささかも添ふることはなきなり

仏の願行のほかには、別に機に信心ひとつも行ひとつもくはふることはなきなり

に、そのことが明確に解説されています。ですから、『御一代記聞書』の「宿善」には、自力的な意味の善は含まれていないのです。

親鸞会で教えているように宿善の厚薄について教えられたものではありませんし、ましてや宿善を厚くするようにという意味はどこにもありません。


『安心決定鈔』は、親鸞会の間違いを的確に指摘しています。『安心決定鈔』は、平易な葉で書かれていますので読みやすく、読み間違いも少ないと思います。

親鸞会の教義が、悉くおかしいのは、聖教を断片的にしか読んだことがない無知からくるものと、故意に教えをねじ曲げたことからくるものがあります。しかし、そのおかしさを指摘すれば、名聞・利養・勝他のために、手段を選ばないのも親鸞会です。

mixiでのこうへい氏は、議論で徹底的に負かされたために、管理人が議論の相手を強制退会させました。実に親鸞会らしい行為で、特別驚くことでもありませんが、議論を読んでいて判るのは、親鸞会は教義だけでなく、人間性も曲がっていることです。

教義の曲がり様についてはこれまで散々述べてきましたので、読者の皆さんはある程度は御理解頂いていると思います。『安心決定鈔』は、真宗では重要視される聖教ですので、是非皆さんも読んで、更に理解を深めて下さい。

何回も読まれたならば高森会長の独り言が聞こえてくる筈です。

儂は『安心決定鈔』など見たこともない

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