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2010年5月18日 (火)

正しい三願転入

mixiでの三願転入のやりとりを通して、聖道門、19願、20願、18願の関係を説明してきました。親鸞会の邪義に染まった人でも、権仮方便ということがお判りになれば、正しい三願転入の意味が理解でき、親鸞会が言っているような「三願転入の教え」というものが如何に馬鹿げたものであるか気が付かれるのではないかと思います。

「用管窺天記」願海真仮で、私がこれまでに述べてきたことが巧く図示されていますので、そのまま引用させて頂きます。

  1. 18願での往生を願う人
  2. 20願での往生を願う人
  3. 19願での往生を願う人
  4. 聖道門で此土入聖を願う人
  5. 外道を信じている人

すべての人を大きく分けるとこの5種類になります。ところが親鸞会では18願で往生を願う人とは、信心獲得した人と考えて、信心獲得していない人は20願、19願の人とし、それどころか聖道門、外道を信じているとまでいい出していますから、18願で救われるためには、まず19願に入って、20願を通ってからしか18願に入ることができないという訳の判らない理論を押しつけます。

そんな無茶苦茶なことを親鸞聖人は教えられたのではありません。親鸞聖人の教えを聞いていた人に対して、18願での往生を願いなさい、これ1つを説かれているのです。

しかし、親鸞聖人の教えである18願での往生をとても信じられない人が多いのです。そんな人に対して、権仮方便により、18願での往生を願うよう調機誘引されるのです。

釈尊の説かれたことの99%が善の勧めであるのは何のためか、と親鸞会ではよくいいますが、それは外道を信じている人を聖道門に引き入れるためです。

阿弥陀仏が19願を建てられたのは何のためか? 聖道門の人を浄土門に誘引するためです。

阿弥陀仏が20願を建てられたのは何のためか? 19願での往生を願っている人を18願に転入させるためです。

18願での往生を願っている人のために、聖道門、19願、20願があるのではありません。

会員の皆さんは、平生業生の教えを昿劫多生の教えと変えた高森会長の詭弁に、いつまで騙され続けるつもりですか?

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コメント

とてもわかりやすいです。

>釈尊の説かれたことの99%が善の勧めであるのは何のためか、と親鸞会ではよくいいますが、それは外道を信じている人を聖道門に引き入れるためです。

ここでひっかている人が多いと思います。
「お釈迦様は阿弥陀仏の本願ひとつ説きにこられたと正信偈にある。お経の99%が善のすすめなんだから、18願の救いに遇うために、善をしないといけないんだ。」との考え。

外道を離れよとのお釈迦様の御恩ですね。

投稿: mary | 2010年5月19日 (水) 08時13分

mary 様

親鸞会の思想は、親鸞聖人の教えとは全く違うことだけははっきりしています。
聖道門の学僧達が法然上人を非難した時と同じ理論で話をしていて、恥ずかしくないのでしょうかね。

投稿: 飛雲 | 2010年5月19日 (水) 20時25分

僕は今、浄土真宗の大谷派系の学校に通っています。そこで日々学ばせてもらっている中で自分なりに、空いた時間をとって、聖道門と外道を行き来しているような人とコミュニケーションをとってそこでも学ばせてもらっています。より一層、親鸞聖人の教えに自信が持てるような気がしています。

そしてあなたのこのサイトのこの記事を何度も何度も繰り返して読んでいます。とてもこの図が気に入っているからです。

とてもワクワクするような図ですよね?

しかし平生業生の教えを昿劫多生の教えと変えた高森会長の詭弁というのも分からなくはないです。つまり永遠の菩薩道を言ってらっしゃるのでは
ないでしょうか?

僕はその外道と聖道門を行き来している人と密接につながっているので余計に、そのような親鸞会の思想のようなものに共感するのでしょうね。
しかしそれではだめなんだ、ということも素直に思わされています。あなたのサイトのこの記事を通して、素直に思っています。

こんな言葉なんてないのですが、自力即他力であると思ってみたことがあります。つまり自力と他力、即ちという言葉で結ばれると思ってみたことがあります。

それも外道と聖道門を行き来しているような人に悩んでいる時に救われたことが、その人への縁となりまして・・・。
まあとにかく、高森会長の考えというのは、僕が出会った外道と聖道門を行き来している人の考えに近い気がします。
でもその親鸞会というものによって気づかされた大谷派や他の生粋の浄土真宗門徒一同がおられるならば、ある意味乗り越える壁のような気がします。

御恩をその僕が出会ったその人に感じているのですが、その人がすべてであると思ったらだめであるように思います。つまり言い換えるなら高森会長がすべてである思ったら、ダメであるが、騙されるということも全部自分の未熟さ、分からなさ、甘えなのでしょうね。

あなたは生粋の浄土真宗の信者なのでしょうね。偉そうに言ってすみませんでした。しかし僕はそのように考えています。

ありがとうございました。

投稿: ノスタルジア | 2013年5月24日 (金) 15時38分

ノスタルジア 様

>高森会長の考えというのは、僕が出会った外道と聖道門を行き来している人の考えに近い気がします。

そうかもしれませんね。
高森会長に騙されるのは、未熟であるが故といってしまえばそれまでですが、
「本願寺を黙らせた、何百年に一度出られるかどうかの無二の善知識だ」との宣伝文句は、大抵の人が引っ掛かってしまうでしょう。

「本願寺を黙らせた」理由まで知ることは普通の人には難しかったのが現実です。

親鸞会と関係した事のない方のお役にもたてるなら、光栄です。

投稿: 飛雲 | 2013年5月24日 (金) 19時08分

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