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2010年5月 9日 (日)

かるがゆゑにほかに功徳善根を求むべからず

蓮如上人が、「金を掘り出すような聖教」と絶賛された『安心決定鈔』に

一、自力・他力、日輪の事。

 自力にて往生せんとおもふは、闇夜にわがまなこのちからにてものをみんとおもはんがごとし、さらにかなふべからず。日輪のひかりをまなこにうけとりて所縁の境を照らしみる、これしかしながら日輪のちからなり。ただし、日の照らす因ありとも生盲のものはみるべからず、またまなこひらきたる縁ありとも闇夜にはみるべからず、日とまなこと因縁和合してものをみるがごとし。帰命の念に本願の功徳をうけとりて往生の大事をとぐべきものなり。帰命の心はまなこのごとし、摂取のひかりは日のごとし。南無はすなはち帰命、これまなこなり。阿弥陀仏はすなはち他力弘願の法体、これ日輪なり。よつて本願の功徳をうけとることは、宿善の機、南無と帰命して阿弥陀仏ととなふる六字のうちに、万行・万善、恒沙の功徳、ただ一声に成就するなり。かるがゆゑにほかに功徳善根を求むべからず。

とあります。
自力と他力を「闇夜」と「日輪」にとたえられています。難しい文章ではありませんが、簡単に説明しておきます。

自力については、

自力にて往生せんとおもふは、闇夜にわがまなこのちからにてものをみんとおもはんがごとし、さらにかなふべからず。

とあり、一方他力での救いを

日輪のひかりをまなこにうけとりて所縁の境を照らしみる、これしかしながら日輪のちからなり。ただし、日の照らす因ありとも生盲のものはみるべからず、またまなこひらきたる縁ありとも闇夜にはみるべからず、日とまなこと因縁和合してものをみるがごとし。

とたとえで教えられています。そのたとえの内容をこの後に説明されています。

帰命の念に本願の功徳をうけとりて往生の大事をとぐべきものなり。

日輪」は、「摂取のひかり」「他力弘願の法体
まなこ」は「南無」「帰命

のことです。
このことより、他力の救いとは

よつて本願の功徳をうけとることは、宿善の機、南無と帰命して阿弥陀仏ととなふる六字のうちに、万行・万善、恒沙の功徳、ただ一声に成就するなり。

と述べられています。
ここに「宿善の機」と書かれていますが、これは覚如上人のお言葉でいえば、「浄土教を信受する機」のことです。宿善を求めて宿善を厚くしていくというような意味ではありません。
その証拠が、最後の文です。

かるがゆゑにほかに功徳善根を求むべからず。

念仏の他に功徳善根を求めてはいけないと結んでいます。
功徳善根を求めることは、

闇夜にわがまなこのちからにてものをみんとおもはんがごとし。

の自力の往生です。
自力は、功徳善根を求めるのです。
他力の救いには、「功徳善根を求むべからず」です。宿善になるとか、そんな話とは反対です。

『安心決定鈔』の

よつて本願の功徳をうけとることは、宿善の機、南無と帰命して阿弥陀仏ととなふる六字のうちに、万行・万善、恒沙の功徳、ただ一声に成就するなり。功徳善根を求むべからず。

と教えられていることを、蓮如上人は『御文章』2帖目第9通で以下のように言い換えられています。

そもそも、阿弥陀如来をたのみたてまつるについて、自余の万善万行をば、すでに雑行となづけてきらへるそのこころはいかんぞなれば、それ弥陀仏の誓ひましますやうは、一心一向にわれをたのまん衆生をば、いかなる罪ふかき機なりとも、すくひたまはんといへる大願なり。
しかれば一心一向といふは、阿弥陀仏において、二仏をならべざるこころなり。このゆゑに人間においても、まづ主をばひとりならではたのまぬ道理なり。されば外典のことばにいはく、「忠臣は二君につかへず、貞女は二夫をならべず」(史記・意)といへり。阿弥陀如来は三世諸仏のためには本師師匠なれば、その師匠の仏をたのまんには、いかでか弟子の諸仏のこれをよろこびたまはざるべきや。このいはれをもつてよくよくこころうべし。
さて南無阿弥陀仏といへる行体には、一切の諸神・諸仏・菩薩も、そのほか万善万行も、ことごとくみなこもれるがゆゑに、なにの不足ありてか、諸行諸善にこころをとどむべきや。すでに南無阿弥陀仏といへる名号は、万善万行の総体なれば、いよいよたのもしきなり。

と書いておられます。

諸行諸善にこころをとどむべきや」と教えられたならば、素直に従えば良いのです。それをあれこれと屁理屈を捏ねる人に対して、「みづからが身をよしとおもふこころ」と親鸞聖人が仰っているのです。

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