« [mixi]三願転入議論の解説2 | トップページ | [mixi]三願転入議論の解説4 »

2010年5月29日 (土)

[mixi]三願転入議論の解説3

こうへい氏が一週間ぶりにmixiに登場しました。しかし、相変わらず虚勢を張っているだけで、何も答えません。親鸞会講師部員の特徴ですね。

さて、こうへい氏は『教行信証』化土巻・要門釈

しかるに濁世の群萌、穢悪の含識、いまし九十五種の邪道を出でて、半満・権実の法門に入るといへども、真なるものははなはだもつて難く、実なるものははなはだもつて希なり。
偽なるものははなはだもつて多く、虚なるものははなはだもつて滋し。ここをもつて釈迦牟尼仏、福徳蔵を顕説して群生海を誘引し、阿弥陀如来、本誓願を発してあまねく諸有海を化したまふ。

のお言葉を珍しい解釈をして、浄土門の人も19願を必ず通らなければならないと教えていますが、とんでもないことです。

浄土門の人にも19願が必要であるという根拠としてこうへい氏が出したのが、『一念多念証文』の

おほよそ八万四千の法門は、みなこれ浄土の方便の善なり。これを要門といふ。これを仮門となづけたり。
この要門・仮門といふは、すなはち『無量寿仏観経』一部に説きたまへる定善・散善これなり。定善は十三観なり、散善は三福九品の諸善なり。これみな浄土方便の要門なり、これを仮門ともいふ。この要門・仮門より、もろもろの衆生をすすめこしらへて、本願一乗円融無碍真実功徳大宝海にをしへすすめ入れたまふがゆゑに、よろづの自力の善業をば、方便の門と申すなり。

です。『顕真』3月号には、上記のお言葉を挙げて、

 これら仏教で教えられる諸善万行は、『観無量寿経』に説かれる定散二善に集約される。
『観経』は、「弥陀の浄土に往生したい」と弥陀の救いを求める韋提希夫人と未来の人々(私たち)のために、釈尊が説かれたものだ。言うまでもなくそれは、善を実行させるためである。

 要ず通らねばならぬ門

 弥陀の本願一つを説くことを出世の本懐とされた釈尊が、なぜ廃悪修善をかくも勧められるのか。
 この修善の勧めが、弥陀の救いと無関係であるはずがない。
 親鸞聖人はズバリ、
「みなこれ浄土の方便の善なり」
「これみな浄土方便の要門なり」
と断定されている。
 すべては弥陀の本願(十八願)に相応させ、浄土往生を果たさせるためのご方便であったのだ。
 それは、釈迦の独断ではない。阿弥陀如来が、十方衆生を真実の十八願の救済に導かんがために、方便の十九願で「修諸功徳」と勧められているからである。

と解釈していますが、ピントがずれています。
『一念多念証文』の現代語訳は

総じて八万四千といわれる釈尊の教えは、みな浄土の教えに導く方便としての善なのである。これを要門といい、これを仮門と名づけるのである。この要門・仮門というのは、すなわち『観無量寿経』にお説きになっている定善・散善の教えである。定善とは、心を一つに定めて修める十三の観察の行であり、散善とは、散漫な心のまま修める三福の行であり、九品のものの修めるさまざまな善である。これらはみな浄土の教えに導く方便としての要門であり、これを仮門ともいうのである。この要門・仮門により、さまざまな衆生を導き育んで、阿弥陀仏の本願すなわち一乗円融無礙の真実功徳の大宝海に導き入れてくださるのであるから、すべての自力の善は、これを方便の教えというのである。

です。
権仮方便ということが少しでも判れば、何も難しい御文ではありません。釈尊がそれぞれの機に応じて説かれた教えを「八万四千の法門」といいます。その「八万四千の法門」で説かれた善は、浄土門へ導くための「方便の善」であるということです。聖道門の人を浄土門へ、そして18願へという流れを仰ったものであって、浄土門の人を要門に導くという意味になる筈がありません。読解力が少しでもあれば判ることです。
つまり、上記の要門釈と同じことを親鸞聖人は教えられているだけのことです。

浄土の方便の善」が、18願に入るために必ず要る善ではなく、その前の、聖道門の人が浄土門に入るための「方便の善」ということです。

親鸞会では、まず善をさせるという結論があって、そこに向けて無理やり解釈をしますので、判る文章が判らない文章になってしまうだけのことです。
こうへい氏は、「浄土の方便の善」=宿善と解釈しましたが、これまた珍説です。

浄土の方便の善」は、『教行信証』化土巻には、善導大師の釈を承けて、「如来の異の方便、欣慕浄土の善根」と仰っています。阿弥陀仏の18願とは異なる方便、浄土を欣い慕わせる善根ということです。

浄土の方便の善」とは、聖道門から浄土門へ導く善

親鸞聖人の教えは、一貫してこのことを仰っています。

親鸞会では、最初に善をしなければならない、と言う結論があって、そのように解釈できそうな根拠を探し出して主張しているだけですので、他の根拠と比較してみれば矛盾だらけです。

聖教を読んでから結論を出す、常識的な考え方のできない思考では、議論以前の問題でしょう。実際に、矛盾を突かれると、反論が何もできません。実に愚かです。

|

« [mixi]三願転入議論の解説2 | トップページ | [mixi]三願転入議論の解説4 »

コメント

このご文で親鸞聖人は必ず「要門・仮門」という言い方をされているのに、S会はわざわざ「要門」という言い方しかしていないのもトリックですね。
どこまで善導大師、親鸞聖人の御心を踏みにじれば気が済むのでしょうか。

投稿: Rudel | 2010年5月29日 (土) 21時40分

「高森会長が絶対正しい」も大前提ですね。
その場その場で珍説が出るたび、それが正しい解釈になるのですからお笑いです。会員は外部の情報から自分を閉ざし、いつまで助からない教えに従うのか、つい心配してしまいます。

投稿: 淳心房 | 2010年5月29日 (土) 23時23分

諸善万行が「定散二善に集約される」って言ってるのに、言ってる本人たちが定善も散善もやらない。
自分たちがそう言ってんだからちゃんと定善も散善(行・戒・世の三福)も実行しなさいよ、みたいな反論をすると
「自力とか、十九願というと、捨家棄欲、自力修行としか考えられぬ、半身不随的理解」と言いだす。
普通に聞いたら単なる矛盾ですが、無条件服従させてる会員を相手にしてるうちに、これで大丈夫と思ってしまうんでしょうかね。

投稿: | 2010年5月30日 (日) 01時03分

Rudel 様
淳心房 様
名無し 様

コメント有難うございました。
皆さん、仰る通りです。論理的には完全に矛盾しているのですが、高森会長の言うことに間違いがあろう筈がない、と思い込んでいますので、矛盾が矛盾とならず、何事も高森会長の言われる通り信順しなければならない、で終りです。

騙されていることに気が付いて欲しいものです。

投稿: 飛雲 | 2010年6月 2日 (水) 04時49分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1323088/34940274

この記事へのトラックバック一覧です: [mixi]三願転入議論の解説3:

» O講師が「勧学の説」と見做して理解できなかったコメント [親鸞会法論惨敗の記録2~飛雲より]
O講師は議論から完全に逃げました。反親鸞会の元講師に対する悪口がなくなり、話題を変えてブログを更新し続けています。 [続きを読む]

受信: 2013年5月13日 (月) 20時12分

« [mixi]三願転入議論の解説2 | トップページ | [mixi]三願転入議論の解説4 »