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2010年5月27日 (木)

[mixi]三願転入議論の解説1

あれだけ騒いでいたこうへい氏は、mixiに現われなくなりました。誤りを認めての逃亡であるなら、良いこととは思いますが、忘れた頃に、突如現われるかも知れませんので、注意が必要です。

これまでのmixiでの議論を、当ブログでも取り上げてきましたが、親鸞会関係の人にとりましては馴染みのない根拠ばかりでしたので、内容がよく理解できないという御意見も頂きました。

そこで、少しずつ詳しく解説をしていきたいと思います。

まず、こうへい氏との議論の発端となった19願の「十方衆生」についてです。以下のエントリーでも説明してあります。

このふたつの罪のおもきことをしめして、十方一切の衆生みなもれず往生すべしとしらせんとなり
18願の「十方衆生」と19願の「十方衆生」
先哲にどんな解釈をされた方があったかは問題外です

『大無量寿経』には異訳本がいくつかありますが、阿弥陀仏の本願についての表現がそれぞれ違っています。『大無量寿経』での18願と19願の対機は、共に「十方衆生」と表現されていますが、『平等覚経』『大阿弥陀経』では、救いの対象、対機が明らかに異なっています。

『大無量寿経』18願の「十方衆生
=『平等覚経』17願の「諸天人民蠕動之類者
=『大阿弥陀経』4願の「諸天人民蜎飛蠕動之類
諸々の神々や人々や虫の類

『大無量寿経』19願の「十方衆生
=『平等覚経』18願の「諸佛國人民有作菩薩道者
=『大阿弥陀経』7願の「八方上下無央數佛國諸天人民若善男子善女人有作菩薩道
諸々の仏国土の菩薩の行を行う者

つまり、『大無量寿経』18願は、すべての生物です。漏れているものはいません。一方、『大無量寿経』19願は、菩薩の行を行える人と限定されています。虫も入っていませんし、人間でも菩薩の行を行えない悪人は入りません。ですから同じ「十方衆生」でも『大無量寿経』の18願と19願とでは対機が大きく異なるのです。

では、『大無量寿経』上では18願と19願とで対機の違いがないのかと言えば、違いが表現されています。それが「唯除五逆誹謗正法」です。

『尊号真像銘文』には、

「唯除五逆誹謗正法」といふは、「唯除」といふはただ除くといふことばなり、五逆のつみびとをきらひ、誹謗のおもきとがをしらせんとなり。このふたつの罪のおもきことをしめして、十方一切の衆生みなもれず往生すべしとしらせんとなり。

とありますように、「唯除五逆誹謗正法」のある18願は、漏れるものがないが、「唯除五逆誹謗正法」のない19願では、漏れているものがあると親鸞聖人は仰っています。また「唯除五逆誹謗正法」に相当するお言葉は、『平等覚経』『大阿弥陀経』にはありません。つまり18願の「十方衆生」と「唯除五逆誹謗正法」はセットになっているのです。ただし、親鸞会で言っているような「十方衆生」=「唯除五逆誹謗正法」ということではありません。「十方衆生」の中に「唯除五逆誹謗正法」のものも含まれるということです。

経典は、訳者や原本によっても表現は変わっていますが、意味は同じです。『大無量寿経』の18願と19願の中で、「十方衆生」のところだけを取り出して同じと考えるのは、断章取義です。「十方衆生」に込められた御心を他のお言葉から読み取れなければ、正しく理解できません。

親鸞会では、19願に「十方衆生」とあるから、自分達こそが19願の対機だと思っていますが、とんでもない自惚れです。「唯除五逆誹謗正法」のものと言いながら、19願の対機だと公言することは、論理的な矛盾を感じないか、ただの無知か、いずれにしても非常に恥ずかしいことです。

阿弥陀仏の御心の基礎の基礎さえ判らないのに、間違った理解を他人に押しつける人物のことを、悪知識というのです。

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コメント

要望に早々と対応していただきまして、ありがとうございます。

S会では、善知識方のお言葉を断章して、独特の解釈で、繰り返し教え込まれています。
よって、いざお聖教を直接読もうとしても、(全体を素直に読めばいいものを)知っている言葉に今まで聞いてきた解釈をあてはめて、全体を理解しようとしてしまい、文章の理解が難しいです。

また、理屈でおかしいとわかっても、染み込んだものは、何度でも何度でも繰り返しおかしいところを確認していかないと、無意識に元のおかしい発想(理解)がひょいと出てきます。
(そういう意味でも間違った教えを聞き続けるこわさを感じます。)

かみくだいて書いて下さると、本当に助かります。
お忙しいとは思いますが、今後ともよろしくお願いします。

本当の親鸞聖人の教えを聞けるようになったありがたさを、お聖教のお言葉を通してしみじみ感じさせてもらうご縁となります。

投稿: mary | 2010年5月28日 (金) 07時37分

mary 様

できる限り御要望にお応えしたいと思います。

投稿: 飛雲 | 2010年5月28日 (金) 20時46分

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O講師は議論から完全に逃げました。反親鸞会の元講師に対する悪口がなくなり、話題を変えてブログを更新し続けています。 [続きを読む]

受信: 2013年5月13日 (月) 20時12分

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