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2010年5月30日 (日)

[mixi]三願転入議論の解説4

親鸞会教義の最後の牙城である「浄土の方便の善」についてもう少し解説しましょう。

『観無量寿経』で、三福の後に、

この三種の業は、過去・未来・現在、三世の諸仏の浄業の正因なり

と説かれています。
(現代語訳)

この三種の行いは、過去・現在・未来のすべての仏がたがなさる清らかな行いであり、さとりを得る正しい因なのである

『観無量寿経』に説かれている三福は、もともと「三世の諸仏の浄業の正因」である聖道門の行ということを教えられているのです。聖道門と『観無量寿経』の定善・散善とは、此土入聖と彼土得証の違いはあっても、行は同じなのです。ですから、聖道の「八万四千の法門」で説かれている善は、『観無量寿経』に収まるのです。

それを、

おほよそ八万四千の法門は、みなこれ浄土の方便の善なり。

と仰り、更には

これを要門といふ。これを仮門となづけたり。

と聖道門を要門に収められているのです。

このことを『教行信証』化土巻・隠顕釈には、

釈家(善導)の意によりて『無量寿仏観経』を案ずれば、顕彰隠密の義あり。顕といふは、すなはち定散諸善を顕し、三輩・三心を開く。しかるに二善・三福は報土の真因にあらず。諸機の三心は自利各別にして、利他の一心にあらず。如来の異の方便、欣慕浄土の善根なり。これはこの経の意なり。

とあります。
(現代語訳)

善導大師の解釈された意向にしたがって 観無量寿経をうかがうと、 顕彰隠密の義がある。その顕とは、 定善・散善のさまざまな善を顕わすものであり、 往生するものについて上・中・下の三輩を区別し、 至誠心・深信・回向発願心の三心を示している。 しかし、 定善・散善の二善、 世福・戒福・行福の三福は、 報土に生れるまことの因ではない。 三輩のそれぞれがおこす三心は、 それぞれの能力に応じておこす自力の心であって、 他力の一心ではない。 これは釈尊が弘願とは異なる方便の法として説かれたものであり、 浄土往生を願わせるために示された善である。 これが観無量寿経の表に説かれている意味であり、 すなわち顕の義である。

です。これは、善導大師の『散善義』深信釈を指して仰ったものです。

また決定して深く、釈迦仏、この『観経』の三福・九品・定散二善を説きて、かの仏の依正二報を証讃して、人をして欣慕せしめたまふと信ず。

(現代語訳)

また釈迦仏がこの《観経》に、阿弥陀仏の依正二報を讃嘆せられて、三福・九品・定散二善の行を説かれてあるのは、衆生を誘引したもう方便の善である、と決定して深く信ずる。

『観無量寿経』に説かれている善は、「欣慕浄土の善根」、浄土往生を願わせるために示された善なのです。

以上のことがよく理解できれば、親鸞聖人の教えを信じて、18願での往生を願っている人にとって、必ず19願を通らなければならないという考えは、邪義とお判りになられるのではないでしょうか。

ついでに、こうへい氏のへんてこな質問に答えておきますと、「捨自帰他」したならば、

また決定して深く、釈迦仏、この『観経』の三福・九品・定散二善を説きて、かの仏の依正二報を証讃して、人をして欣慕せしめたまふと信ず。

となります。つまり、善知識方の教えと明らかに異なるこうへい氏の考えが邪義であったと知らされるのです。それを親鸞聖人は『唯信鈔文意』で、

自力のこころをすつといふは、(中略)みづからが身をよしとおもふこころをすて

と仰っているのです。

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