« ひとすぢに愚かなるものをこころえやすからんとてしるせるなり | トップページ | 大沼は三願転入を根基として布教している居るのだ »

2010年4月 1日 (木)

半満・権実の法門?

ある会員の方から、質問を頂きました。

18願へ入るためには19願を絶対に通らねばならないのでしょうか。

この答えを親鸞聖人は『教行信証』化土巻の要門釈で仰っています。

しかるに濁世の群萌、穢悪の含識、いまし九十五種の邪道を出でて、半満・権実の法門に入るといへども、真なるものははなはだもつて難く、実なるものははなはだもつて希なり。偽なるものははなはだもつて多く、虚なるものははなはだもつて滋し。
ここをもつて釈迦牟尼仏、福徳蔵を顕説して群生海を誘引し、阿弥陀如来、本誓願を発してあまねく諸有海を化したまふ。

ここに書かれてあることは、外道から聖道門に入った人を浄土門へと導くために釈尊は『観無量寿経』を説かれ、阿弥陀仏は19願を建てられた、ということです。

ところが、親鸞会ではこの御文を全く違う意味で理解しています。
『教学聖典(9)』の問23に

内外廃立の中々できないことを嘆かれたお言葉を、『教行信証化土巻』で示せ。

とあり、その答えが上記の御文になっています。
これでは19願の御心など判る筈がありません。

参考までに、親鸞会で教学的にはほぼ完璧とまで絶賛されていました『教行信証講義』(山邊習学・赤沼智善著)の解釈では

然るに五濁の世に汚された群萌、即ち煩悩悪業の含識は、今や諸仏の大悲に育てられて、漸く九十五種の邪道の網を脱れ出でて、仏教に教える所の半字教、満字教、又は権教、実教等の法門を信受し修道するようになっても、真に其の教へに入る者は甚だ得難く、如実の修道者は甚だ稀である。之に反して仏徒といふは名ばかりにて其の実は偽者が非常に多く、内心空虚の者が甚だ多い。
釈迦牟尼仏之を憐み給ひて、真実に福徳功徳を修むる法門、即ち福徳蔵を説きあらわして修道者のとるべき心霊の方向を指示し下され、そして広く一切衆生を真実門に入らしめんと誘引うて下された。然るに釈尊の此の権化の本を繹れば阿弥陀如来の第十九願である。如来は此の本願を発して普く迷ひに沈める一切衆生を化導して下された。

とあります。

半満・権実の法門」とは、半字教(小乗仏教)、満字教(大乗仏教)、権教(四車家の立場から聖道門内の声縁乗・縁覚乗・権大乗)、実教(聖道門内の実大乗)のこと、つまりは聖道仏教のことです。

ですから、19願の対象は聖道門の人であると親鸞聖人は見られたのです。
聖道門の学僧達が法然門下を非難した内容の1つが、19願の軽視です。

『興福寺奏状』「七、念仏を誤る失」には、

ここに専修、此のごときの難を蒙らんの時、万事を顧みず、ただ一言に答へん、「是れ弥陀の本願に四十八あり、念仏往生は第十八の願なり」と。何ぞ爾許の大願を隠して、ただ一種を以て本願と号せんや。

とありますし、明恵高弁の『摧邪輪』には

解して曰く、発菩提心は、是れ仏道の正因、是れ体声なり。専念弥陀は、是れ往生の別行、是れ業声なり。汝が体を捨てて業を取るは、火を離れて煙を求むるがごとし。咲ふべし、咲ふべし。まさに知るべし。これらの解釈の文は、皆菩提心においては、置いてこれを論ぜず、ただ所起の諸行についてこれを判ず。しかるに本願の中にさらに菩提心等の余行なしと言うは、何が故ぞ。第十九の願に云く、「発菩提心、修諸功徳」等と云々。是れ本願にあらずや。

と「第十九の願」と明記されています。
これらの非難に対して親鸞聖人が著されたのが『教行信証』ですから、19願の位置付けを聖道門の人を浄土門へ導き入れる為の法門とされたのです。それを御自身の体験を通して仰ったのが三願転入の御文です。

一方で浄土門の人にとっての19願は、化土にしか往けないから、報土往生の18願を願求しなさいと仰っていることは、これまで何度も述べてきた通りです。

ですからただの1箇所も、19願を勧められた親鸞聖人のお言葉がないのです。

浄土門の人にとって19願は、廃捨すべきものであって、19願から始めるなどという「曠劫多生の目的」にしてはならないのです。

親鸞会は浄土門の外にあるのですが、「半満・権実の法門」になるのでしょうか? ここにも入りませんね。

|

« ひとすぢに愚かなるものをこころえやすからんとてしるせるなり | トップページ | 大沼は三願転入を根基として布教している居るのだ »

コメント

なるほど。
S会は真仮廃立以前の問題、聖浄廃立すらまともにできていないことが、よく理解できました。
聖道仏教なら、三大阿僧祇劫のあいだ如実に学問修行すれば成仏できますが、
聖道仏教にも浄土仏教にもなっていない外道の教えは、
「今晩聞いて今晩助かるご法義」どころか、
三大阿僧祇劫きいても助かりませんね。

投稿: Rudel | 2010年4月 2日 (金) 01時32分

なるほど!
19願の対象が聖道門の人であるとは親鸞会では一度も教えられませんでした。
とにかく善をさせるためになら、なんでもかんでも都合の良いように利用しているのですね。

投稿: alex | 2010年4月 5日 (月) 15時52分

Rude 様
alex 様

私利私欲のための教義ですから、何でもありです。どこかのカルト教団のように、そのうちシバ神も出てくるかも知れませんよ。

投稿: 飛雲 | 2010年4月 6日 (火) 21時31分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1323088/34035580

この記事へのトラックバック一覧です: 半満・権実の法門?:

« ひとすぢに愚かなるものをこころえやすからんとてしるせるなり | トップページ | 大沼は三願転入を根基として布教している居るのだ »