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2010年4月17日 (土)

聖道門とは

前回、親鸞聖人が聖道門についてどのように見られていたかを簡単に述べましたが、もう少し解説したいと思います。

『末灯鈔』に

聖道といふは、すでに仏に成りたまへる人の、われらがこころをすすめんがために、仏心宗・真言宗・法華宗・華厳宗・三論宗等の大乗至極の教なり。仏心宗といふは、この世にひろまる禅宗これなり。また法相宗・成実宗・倶舎宗等の権教、小乗等の教なり。これみな聖道門なり。権教といふは、すなはちすでに仏に成りたまへる仏・菩薩の、かりにさまざまの形をあらはしてすすめたまふがゆゑに権といふなり。

と親鸞聖人は仰っています。聖道門とは、仏になられた方が還相の菩薩となって、わたしたちを導こうとされているものと位置付けられています。具体的には、禅宗・真言宗・法華宗・華厳宗・三論宗・法相宗・成実宗・倶舎宗及び小乗と仰っています。一般的に言われている聖道仏教です。
仏智を持たれて従果降因された菩薩が、様々な姿となって、自力に執着している人を調育誘引していかれると親鸞聖人は見られているのです。聖道仏教とは、浄土仏教とは別のものではありますが、浄土仏教へ導くための教えと親鸞聖人は仰っているのです。

阿弥陀仏と諸仏方が、聖道門から要門へ、要門から弘願へと導かれるのです。これを権仮方便といい、『教行信証』化土巻では、

おほよそ一代の教について、この界のうちにして入聖得果するを聖道門と名づく、難行道といへり。この門のなかについて、大・小、漸・頓、一乗・二乗・三乗、権・実、顕・密、竪出・竪超あり。すなはちこれ自力、利他教化地、方便権門の道路なり。

とある中で最後に「方便権門の道路」と仰ったのです。18願をとても信じ切れない未熟の者達に対しての仮の教えです。それは機に応じてですので、皆が聖道門、要門を必ず通ると言うものではありません。

前回からここまでのところをよく理解されれば、権仮方便の意味がお判り頂けるのではないかと思います。

方便とは、阿弥陀仏、諸仏が私たちになされることであって、私が方便と思って何かをするのではないのです。私たちの機に応じて、聖道門を駆使されることもあるでしょうし、要門で調育されることもあるでしょう。それを、私たち自身が、要門にまだ入っていないから、要門に入るために善に励むなどというのは、自惚れも甚だしいことです。

高森会長は、自惚れているから善のできない自分と知らされるまで善をせよ、といいますが、それこそ仏にでもなったつもりなのでしょうか。

親鸞聖人は、聖道門から要門へ、要門から弘願へという「方便権門の道路」を示されましたが、親鸞会的な思考に従うならば、聖道門から始めなさいです。でも、俗人のトップから、聖道門から始めよとたとえ言われても、説得力は0ですねどね。

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