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2010年3月 2日 (火)

文沙汰して、さかさかしきひとのまゐりたるをば、「往生はいかがあらんずらん」

『末灯鈔』の中にこんなお言葉があります。

故法然聖人は、「浄土宗の人は愚者になりて往生す」と候ひしことを、たしかにうけたまはり候ひしうへに、ものもおぼえぬあさましきひとびとのまゐりたるを御覧じては、「往生必定すべし」とて、笑ませたまひしをみまゐらせ候ひき。文沙汰して、さかさかしきひとのまゐりたるをば、「往生はいかがあらんずらん」と、たしかにうけたまはりき。いまにいたるまでおもひあはせられ候ふなり。ひとびとにすかされさせたまはで、御信心たぢろかせたまはずして、おのおの御往生候ふべきなり。ただし、ひとにすかされさせたまひ候はずとも、信心の定まらぬ人は正定聚に住したま はずして、うかれたまひたる人なり。

浄土真宗では有名なお言葉ですが、親鸞会では聞いたことがない人も多いでしょう。
法然上人は、

ものもおぼえぬあさましきひとびとのまゐりたるを御覧じては、「往生必定すべし」

と、法然上人の話を聞きにきている中で、いわゆる無知な人は間違いなく往生するであろうと仰ったのに対して、

文沙汰して、さかさかしきひとのまゐりたるをば、「往生はいかがあらんずらん」

と、いかにも賢そうな振る舞いをしている人は、往生はどうであろうかと法然上人が疑問に思われたと親鸞聖人は書いておられます。
もちろん、無学になれといわれているのではありません。学者ぶっている人は、お聖教に書かれてある字面だけでなく真意まで判っている、と他人を見下しているので、教えが素直に受けとれないのです。

他宗で”文底秘沈”といっているところがありますが、親鸞会はそこを徹底的に馬鹿にしています。ところが、親鸞会の主張は”文底秘沈”そのものです。
親鸞聖人、蓮如上人はそのように書かれてあるかもしれないが、その真意は高森会長しか判らないのだから、お前らも高森会長に従えばいいのだ、という論法です。
高森理論の上で、議論をすれば、親鸞会は正しいでしょう。しかし、親鸞聖人、蓮如上人の理論の上で議論をすれば、親鸞会の主張は支離滅裂になります。

これまでの親鸞会の法論はすべて、高森理論を押しつけていますから、最初から法論にならないのです。

高森会長はもともと親鸞聖人の御著書を読んでいませんから、親鸞聖人のお言葉で法論などできないのです。それでいて自分は無二の善知識と周りに言わせて、高森会長の言葉が、親鸞聖人の真意であるとしている、「文沙汰して、さかさかしき」親鸞会会員は、「往生はいかがあらんずらん」です。

高森会長のデタラメな教えではなく、親鸞聖人のお言葉をそのまま受けとる姿勢が無ければ、親鸞聖人の教えが判る訳がありません。

親鸞会の会員は、『末灯鈔』のこのお言葉を素直に理解して、「愚者になりて往生す」身になって欲しいものです。

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コメント

知りませんでした〜。今度読んでみます。

確かに高森理論で法論してもあきまへんわ・・・
親鸞聖人や善知識方の教えに立って議論しないといけませんね。

そういえば、会長が『歎異鈔をひらく』を書く時に『教行信証』を勉強し直したという美談を幹部講師から聞いたのを思い出しました。二種深信や正定ということについて間違っていますし、もっときちんと勉強してもらいたいです。

投稿: 淳心房 | 2010年3月 2日 (火) 22時35分

淳心房 様

例の1会員さんとの法論を見てもわかりますが、高森理論でしか言ってこないのです。

私も、長年、高森理論に洗脳されてきましたので、親鸞会の手口はよく判ります。

会長は『教行信証』を、昔も今も読んでいませんよ。あの人は口先だけです。

投稿: 飛雲 | 2010年3月 3日 (水) 07時11分

飛雲様、皆様

昨日に引き続き、失礼致します。
今日は、三願転入についての素朴な疑問といいますか、
教えて頂ければありがたいです。

質問:
親鸞聖人は、三願転入のご文で、
「親鸞は、19願の教えを離れ、20願に入り、18願に救われた」と書かれているように思うのですが、このような、「19願→20願→18願」の道のりは、阿弥陀仏に救われるには、どんな人も通る道のりなのでしょうか…?

人によっては、「19願は通らずに、20願→18願」とか、「18願だけ」ということもあると理解したほうがいいのでしょうか…?

…ど素人の質問ですみません。。。

投稿: 雨男 | 2010年3月 3日 (水) 21時49分

雨男 様

先ほど新たなエントリーを書きましたので、参考にしてみて下さい。

投稿: 飛雲 | 2010年3月 3日 (水) 22時00分

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