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2010年3月26日 (金)

謗法のひとなり、五逆のひとなり。なれむつぶべからず。

前回まで、五逆罪と謗法罪について『教行信証』にどのように書かれてあるかを述べてきました。
では実際に親鸞聖人が、五逆罪、謗法罪をどのような意味で使われていたのかを知る手掛かりは、お手紙にあります。
それが親鸞会でも有名な『末灯鈔』のお言葉です。

善知識をおろかにおもい、師をそしるものをば、謗法のものともうすなり。親をそしるものをば、五逆のものともうすなり。

親鸞会ではここだけを断章取義して読ませていますが、この後を読むと、親鸞会で教えていることとはまるで違う意味になります。

善知識をおろかにおもい、師をそしるものをば、謗法のものともうすなり。親をそしるものをば、五逆のものともうすなり。同座をせざれとそうろうなり。されば、きたのこうりにそうらいし善証坊は、親をのり、善信をようようにそしりそうらいしかば、ちかづきむつまじくおもいそうらわで、ちかづけずそうらいき。

明らかに善証坊のことをさして、五逆、謗法の者と仰っています。これは関東の同行に宛てられたお手紙ですので、手紙を読まれた方は、五逆、謗法の者ではない前提と判ります。

五逆、謗法罪を犯している善証坊を、親鸞は遠ざけていたので、皆さんも近付いてはいけませんよ

との仰せです。

『末灯鈔』の他のところでは、

この御中のひとびとも、少々はあしきさまなることのきこえ候ふめり。師をそしり、善知識をかろしめ、同行をもあなづりなんどしあはせたまふよしきき候ふこそ、あさましく候へ。すでに謗法のひとなり、五逆のひとなり。なれむつぶべからず。

ともあります。先ほどと同じ意味です。

また善鸞に宛てられたお手紙の中で、

まことに謗法のとが、また五逆の罪を好みて人を損じまどはさるること、かなしきことなり。

と書いておられます。

いずれも、特定の人物に対して五逆、謗法の者と仰っておられるのです。ですから、親鸞聖人は

「十方衆生」=「五逆誹謗正法」の者

という解釈はなされていないことは明らかです。

善知識をおろかにおもい、師をそしるものをば、謗法のものともうすなり。

このお言葉を拡大解釈して、すべての人は必堕無間だ、と不安を煽れば完全にカルトです。

ただし、「さるべき業縁のもよほさば、いかなるふるまひもすべし」なんだから、実際には罪を造っていなくても、縁が来たら五逆罪、謗法罪をも造る者だ、と懺悔をするのは大いに結構なことでしょう。

ところが、そういって殊勝そうに振る舞っている人物が、平気で仏法をねじ曲げて謗法罪を造り続けているのは、どうしたものでしょうか。
親鸞会を辞めていく人に対して、

あいつは結局仏法が判っていなかったんだ

と罵りますが、判っていないのは罵った会長、支部長、その他幹部です。そんな者とは同座せざれ、なかむつぶべからずです。一刻も早く、親鸞会を辞めるべきと親鸞聖人は教えられていますね。

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コメント

20年近く続けた親鸞会やめました。詐欺・横領をするような人間と同座できません。上から下まで本当に狂ってます。

投稿: エイリアン | 2010年3月27日 (土) 07時58分

エイリアン 様

御尤もです。私は20数年親鸞会で迷っていました。詐欺・横領も許せませんが、謗法の限りを尽くす会長は、絶対に許せません。

投稿: 飛雲 | 2010年3月27日 (土) 10時41分

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