« 「一切衆生必堕無間」の根拠は? | トップページ | カルト思考の愚かさ »

2010年2月26日 (金)

正常な思考とカルト思考

例の誡疑讃は、19願の自力修善を勧められたものでないことで、決着しました。コメントを頂きました皆様、有難うございました。もし、例の1会員さんが、「この件はまだ決着していない」と言われるのであれば、論点をずらさずに、このことのみのコメントをしましょう。誰がどう見ても、「答えられませんので、論点をずらしました」としか思えません。

さて、論点ずらしは親鸞会の常套手段ですが、その思考も正常ではなくカルト思考です。

正常思考では、

釈尊、七高僧の「一切衆生必堕無間」を否定された御心を最も顕かになされた御方が親鸞聖人、その親鸞聖人の「一切衆生必堕無間」を否定された御心を最も顕かになされた御方が蓮如上人であるから、親鸞聖人がすべての人の後生をどのように教えられたかを蓮如上人からお聞きしているだけです。

『御文章』を見てみますと、

これについてちかごろは、この方の念仏者の坊主達、仏法の次第もってのほか相違す。そのゆえは、門徒のかたよりものをとるをよき弟子といい、これを信心のひとといえり。これおおきなるあやまりなり。また弟子は、坊主にものをだにもおおくまいらせば、わがちからかなはずとも、坊主のちからにてたすかるべきようにおもえり。これもあやまりなり。かくのごとく坊主と門徒のあいだにおいて、さらに当流の信心のこころえの分はひとつもなし。まことにあさましや。師・弟子ともに、極楽には往生せずして、むなしく地獄におちんことはうたがいなし。(一帖目第十一通)

それ越前の国にひろまるところの秘事法門といえることは、さらに仏法にてはなし。あさましき外道の法なりこれを信ずるものは、ながく無間地獄にしずむべき業にて、いたずらごとなり。(二帖目第十四通)

とあります。釈尊、七高僧、親鸞聖人が仰った地獄に堕ちる人と同じことを教えておられます。さすがは蓮如上人です。

また一般論として

されば、死出の山路のすえ、三途の大河をば、ただひとりこそゆきなんずれ。(一帖目第十一通)

はやめにみえてあだなる人間界の老少不定のさかいとしりながら、ただいま三途八難にしずまん事をば、つゆちりほども心にかけずして、(二帖目第一通)

されば、五道六道といえる悪趣に、すでにおもむくべきみちを、弥陀如来の願力の不思議として、これをふさぎたまうなり。(二帖目第四通)

と仰っています。死後は六道輪廻か三悪道へ堕ちるということで、これも、釈尊、七高僧、親鸞聖人と同じで、さすがは蓮如上人とますます尊敬します。

ところで、

この信心を獲得せずば、極楽には往生せずして、無間地獄に堕在すべきものなり。(二帖目第二通)

は、釈尊、七高僧、親鸞聖人の教えられたこと、そして蓮如上人が他で仰ったことと矛盾するように思いますが、どういうことでしょうか。誰に対して書かれたお手紙か判りませんが、当時は異安心の人、邪義の人ばかりでありましたので、それらの人に対して仰ったと考えれば、何の矛盾もないですね。

全体のバランスがとれていて、総合的論理的な考察ができます。これが正常な思考の人です。
一方カルト思考の人は、

釈尊、七高僧の御心を最も顕かになされた御方が親鸞聖人、その親鸞聖人の御心を最も顕かになされた御方が蓮如上人であるから、親鸞聖人がすべての人の後生をどのように教えられたかを蓮如上人からお聞きしているだけです。

蓮如上人は、はっきりと、

この信心を獲得せずば、極楽には往生せずして、無間地獄に堕在すべきものなり。

と教えておられるから、必堕無間と主張しているのです。

釈尊、七高僧、親鸞聖人がどう教えられようが、蓮如上人がこのように書かれているのだからこれがすべて。蓮如上人の他のお言葉と矛盾しようが関係ない。蓮如上人のこのお言葉1つがすべての基準で、釈尊、七高僧、親鸞聖人、そして他の『御文章』の解釈もそれにあわせるのが当然ではないか。

独善的でバランスを欠いた論理であり、基本的にカルト思考は断章取義になります。これでは議論もできないし、救いようがないですね。

カルト思考の人は、この件でのコメントは不要です。誡疑讃の件のみコメントして下さいね。

こう書けば、また自信がない、とか、恐れている、と書いてくるのでしょう。やっぱりカルト思考です。

|

« 「一切衆生必堕無間」の根拠は? | トップページ | カルト思考の愚かさ »

コメント

自分はカルト思考を押しつけられて、それを無理やり信じ込まされていたことがよくわかりました。

M野さんは、自分がカルト思考をしているという自覚はないでしょうから厄介です。

保身の為には、なんでもするし、どんな屁理屈でもつけるのがM野さんです。

相手にするだけ無駄です。

ちなみに、自分も例の和讃に関するコメントを保存しておきました。誤魔化しを平然とするM野さんは、今後自分のブログに捏造コメントを掲載して、自分の勝利を捏造するつもりですので、それを許さないようにします。

投稿: 元カルト信者 | 2010年2月26日 (金) 21時46分

前回、

蓮如上人のお手紙は、これにより、1人でも多くの人達に親鸞聖人の御教えをお伝えする手段として使われたのであるから、当然、不特定多数の人が読まれることを前提として書かれたはず

とコメントしたのだが、ここは非常に都合が悪いのか、これに関しては一切、触れていないね。そして私をM野支部長と決めつけカルト思考扱いにする。歪曲が実に上手いねえ。

投稿: | 2010年2月26日 (金) 22時52分

やはり誡疑讃については、一言も無しですね、カルト思考の信者さん。

長時間閲覧の上、ようやくひねり出されたコメントがこの程度ですか。

あなたの主張はいつも断章取義。御文章全体で判断するという思考は全くない。

バランス感覚を欠いたカルト思考では、今回のエントリーは理解できない内容でしたね。

投稿: 飛雲 | 2010年2月26日 (金) 22時55分

これで先の誡疑讃は、19願のことを仰ったものでもなければ、もちろん19願の諸善を勧められたものでもないことで、完全決着しました。

M野支部長、ひがごとの数々、御苦労様でした。

今後は、全く相手にする必要はありませんので、飛雲さんは彼からのコメントを禁止にして下さい。単なる目障りです。

なお、これまでのコメント等でのやりとりはすべて保存してありますので、必要とあれば、新たにブログを作ってそこにすべて掲載してもいいですよ。

投稿: 幹部会員歴数十年 | 2010年2月26日 (金) 23時19分

発言そっくりそのまま文言を入れ替えてお返しできちゃうのが大爆笑


「前回どころか、その前の回からもずっと、

 件の和讃(如来の諸智を…)が「19願(諸善)」を「勧めたもの」という文証を、
 この和算と関連する形で提示せよ、論点をずらすな。

 と何度も何度もコメントしたのだが、ここは非常に都合が悪いのか、これに関しては一切、触れていないね。
 そして自分の始めた議論を答えないまま放置して、別の議論にすり替えてくる。(論点の)歪曲が実に上手いねえ。」


必堕無間の話でしばらく騒ぎ立てて、無視したらしたで勝手に勝利宣言始めるんだろうなあ…
パターンもバレバレだねえ。次にどう動くかも予想通りすぎて滑稽なんですが、管理人さんも暇じゃないでしょうからね。

投稿: | 2010年2月27日 (土) 00時11分

負け惜しみみたいな逃げのコメントする位なら書き込まなきゃいいのに…恥の上塗りですよ。

投稿: るぅでる | 2010年2月27日 (土) 02時16分

親鸞会の法論のやり方がよくわかりますね。

・都合が悪いことには答えずに論点をスライドし、話題をずらす。(今までの流れだと御和讃から必堕無間へ)
・話を戻して下さいとの要求には応えず、新たな話題でこちらが答えないと高圧的に出てくる。

会員には、自分が答えられないことは言わず、相手が自分の質問に答えないと都合のよいように話しているのかも知れません。

管理人さんには非常に迷惑で相手にする気も失せるでしょうが、大変参考になります。

投稿: 淳心房 | 2010年2月27日 (土) 11時30分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 正常な思考とカルト思考:

« 「一切衆生必堕無間」の根拠は? | トップページ | カルト思考の愚かさ »