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2010年2月20日 (土)

信罪福心は自力であり、19願の勧めではない

以下のコメントを頂きました。

如来の諸智を疑惑して
信ぜずながらなをもまた
罪福ふかく信ぜしめ
善本修習すぐれたり(正像末和讃)

この「罪福ふかく信ぜしめ」が19願を勧められた御言葉です。それは次の「善本修習」(20願)へ導くためです。

この御和讃が19願を勧められた親鸞聖人のお言葉といわれるのですが、どうしてそのような解釈になるのか不思議です。

ちなみに、この御和讃は『正像末和讃』の中の誡疑讃と呼ばれる23首のうちの1首です。この誡疑讃の最後に

以上二十三首、仏不思議の弥陀の御ちかひをうたがふつみとがをしらせんとあらはせなり。

と親鸞聖人は書いておられます。仏智疑惑の罪の重いことを教えられるための御和讃ということです。仏智疑惑があるうちは、化土にしか往けないと厳しく厳しく誡められたものです。一切衆生必堕無間と脅されている親鸞会会員からすれば、化土へ往けるのなら本望ではないかと思われるかもしれませんが、親鸞聖人にはそのようなお考えは全くないのです。

前後の御和讃を紹介すれば、

自力諸善のひとはみな
 仏智の不思議をうたがへば
 自業自得の道理にて
 七宝の獄にぞいりにける

仏智不思議をうたがひて
 善本・徳本たのむひと
 辺地懈慢にうまるれば
 大慈大悲はえざりけり

本願疑惑の行者には
 含花未出のひともあり
 或生辺地ときらひつつ
 或堕宮胎とすてらるる

如来の諸智を疑惑して
 信ぜずながらなほもまた
 罪福ふかく信ぜしめ
 善本修習すぐれたり

仏智を疑惑するゆゑに
 胎生のものは智慧もなし
 胎宮にかならずうまるるを
 牢獄にいるとたとへたり

七宝の宮殿にうまれては
 五百歳のとしをへて
 三宝を見聞せざるゆゑ
 有情利益はさらになし

辺地七宝の宮殿に
 五百歳までいでずして
 みづから過咎をなさしめて
 もろもろの厄をうくるなり

罪福ふかく信じつつ
 善本修習するひとは
 疑心の善人なるゆゑに
 方便化土にとまるなり

と19願自力修善と20願自力念仏を厳しく誡めておられるのがお判り頂けると思います。
信罪福心とは、因果の道理を信じる心であり、因果の道理から善を修したり念仏を称える心、つまり自力心です。
『教行信証』化土巻真門釈に

定散之専心者、罪福を信ずる心を以て本願力を願求す、是を自力の専心と名くる也。

とあります。信罪福心は自力の心であるから捨てよと仰っているのです。因果の道理を強調する親鸞会とは全く反対です。

『浄土三経往生文類』にも

此の諸智に於いて疑惑して信ぜず。然るに猶ほ罪福を信じて善本を修習して其の国に生んと願ぜむ、此の諸の衆生彼の宮殿に生まれて寿五百歳ならむに、常に仏を見たてまつらず(中略)之を胎生と謂ふ。

とあります。すべて20願自力念仏の誡めです。

コメントで出された御和讃も20願自力念仏を誡められたものであるのですが、断章取義して20願自力念仏を勧められたと理解させようとの意図でしょうか。
いずれにしても、それがどうして19願を勧められた根拠になるのか、その思考がさっぱり理解できません。

高森会長は、親鸞聖人が捨てよと仰るものを会員に必死に拾わせようとしています。

親鸞聖人の教えをネジ曲げて平然としている念仏誹謗の有情はかわいそうです。

もしこのコメントを書かれた方が、皆さんのいわれるようにM野支部長であるとすれば、極めて残念なことです。

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コメント

親鸞会講師は、人集め・金集め・ビデオのスイッチ押し・会長の話の暗記等々の合間に布教(らしきもの)をしているだけの人ですから、難しい話はわかんないでしょうね。
しかも親鸞会講師になる条件に、説法が出来るはありませんもんね(笑)

投稿: 喜劇 | 2010年2月20日 (土) 21時26分

かつてあの御和讃は顕正新聞に取り上げられ、親鸞聖人の真意と正反対の意味で説明されていました。

最後の「善本修習すぐれたり」の「すぐれたり」に着目して、「仏智を疑惑してまだ救われてはいないが、因果の道理を知らされて光に向かう人は素晴らしい」というような内容だったと記憶しています。

しかしそれは前後を読めばデタラメ。あの御和讃も自力心である信罪福心にとらわれ、化土へ止まることを誡められたものであることは明白です。

管理人さんが繰り返し書いているように、親鸞会教義は高森会長が説くのに都合のよい部分を、前後の意味を考えずに断章して貼り合わせた、何の整合性もないドグマです。

真仮廃立ということを会員はよく知るべきでしょう。

投稿: 淳心房 | 2010年2月21日 (日) 00時17分

はじめまして
いつもお教えいただきありがとうございます。

今回は、出典が書き間違いのようなのでおたずねのコメントです。
「此の諸智に於いて疑惑して信ぜず。然るに猶ほ罪福を信じて善本を修習して其の国に生んと願ぜむ、此の諸の衆生彼の宮殿に生まれて寿五百歳ならむに、常に仏を見たてまつらず(中略)之を胎生と謂ふ。」は
「浄土三経往生文類」ではなく、「教行信証の化身土」ではないかと思うのですが・・・

私はS会歴1年未満の現会員ですが、皆様方のブログでお教え頂き、すでに心は退会しています。
今後とも、よろしくお教え下さいませ。 南無阿弥陀仏


投稿: syakukeikou | 2010年2月21日 (日) 00時53分

syakukeikou 様

御指摘の件ですが、『浄土三経往生文類』と『教行信証』の両方にあります。もともとは、『大無量寿経』の胎化段です。出典を多くした方がいいかと思っていましたが、『教行信証』で統一しておいた方が判りやすかったかもしれませんね。

おかしなところに留まっていても意味はありませんよ。

また気が付かれることがあれば、コメントをください。
よろしくお願いいたします。

投稿: 飛雲 | 2010年2月21日 (日) 07時57分

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O講師は、釈尊が韋提希に諸善を勧められていないことを認めざるをえず、今度は後生の一大事に論点をずらして、以下のことを自信満々に書いてきました。では化土往生ができる人が一人でもあれば教えて頂きたいものだ。親鸞会の講師部員は、皆同じで、議論に負けると、関係のないことに論点をずらす。こうもレベルが低いのです。当ブログでは過去に、M野講師を誉め讃える1会員を名乗る人物が、同じことをして、恥の上塗りをしました。... [続きを読む]

受信: 2013年5月13日 (月) 20時10分

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