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2010年2月 4日 (木)

善恵房証空上人の主張

親鸞会ではすっかり悪役にされている善恵房証空上人ですが、顕正新聞に書かれてあるように、”善をすれば助かる”という主張を善恵房証空上人が本当にしていたのでしょうか。

証空上人の著書をみてみましょう。

『定善義他筆抄』

此世とは、即便往生を云ひ、後生とは、当得往生を云う也。

これは現当二益をいわれたものです。親鸞会で聞かされた、死んでからの救いのみを教えられたのが証空上人であるということが全くのデタラメであることがこの一文ではっきりします。

『女院御書』

他力本願をたのみて、過去の罪をも、今生の罪をも懺悔して、仏かならず迎給へと思ひて念仏せば、かならず本願にも相叶ひて臨終には仏の来迎にもあづかるべきものなり。

前の現当二益の主張の一方で、臨終来迎についても言及されたものです。

阿弥陀仏の本願について直接書かれたものは、

『観念法門観門義』

第十八の願のちからにて凡夫往生の大事成じぬれば、一切善根ことごとく往生の業となるいはれあるをあらはして第十九の願に発菩提心、修諸功徳といふなり。別してこの願にその業をいだすにあらず。この願の本意は来迎引接を詮とするゆへなり。

十九願は諸行往生を誓われたものではなく、本意は来迎引接であるとしています。

また
『往生礼讃観門義』

一一の願みな念仏往生の願と文意を取りて釈するなり。「玄義分」に一一願言若我成仏十方衆生、称我名号願生我国、下至十念、若不生者、不取正覚と釈するが、これ則ち無三悪趣等の四十七の願は十方衆生の欣求のためなり。すでに欣求の心発れば、皆悉く第十八の念仏往生の願に帰すべき故に、一一の願の底を意得れば唯念仏往生の願といはるなり。

18願以外は欣慕の願であり、念仏往生の18願意に帰するものであると述べられています。

善をすれば助かるという主張はどこにもありません。

覚如上人が『口伝鈔』に仰った体失不体失往生の諍論とは、証空上人が臨終来迎を説いていたことを指しているのではなかろうかと想像しています。

親鸞会は2ch等で散々叩かれているように、捏造、改竄、断章取義もなんでもありですから、皆さんもこの程度のことでは驚くことはないかもしれませんね。

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