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2010年2月23日 (火)

浄土にてかならずかならずまちまゐらせ候ふべし

諸善(金集め、人集め)をさせたいとの思惑から、19願を必ず通らなければならないという結論から、後付けで理屈を組立てますので、根拠も解釈も創作にならざるをえません。
M野支部長のような立派でない一会員を名乗る人物が、コメント欄でしつこく下らないことを未だに書いていますが、私よりも優秀な方々が、遊んで下さっていますので、お任せしたいと思います。

興味のある方は、前回エントリーのコメント欄を御覧下さい。論点ずらしと詭弁の手口を勉強するには良い教材です。

さて、仏智疑惑と念仏、そして往生との関係について『大無量寿経』胎化段、『往生要集』、『教行信証』化土巻、『正像末和讃』誡疑讃、『浄土三経往生文類』の御文を紹介してきましたので、御理解頂けたとは思いますが、簡潔に分かりやすく書かれたものが『末灯鈔』にあります。

尋ね仰せられ候ふ念仏の不審の事。念仏往生と信ずる人は、辺地の往生とてきらはれ候ふらんこと、おほかたこころえがたく候ふ。そのゆゑは、弥陀の本願と申すは、名号をとなへんものをば極楽へ迎へんと誓はせたまひたるを、ふかく信じてとなふるがめでたきことにて候ふなり。信心ありとも、名号をとなへざらんは詮なく候ふ。また一向名号をとなふとも、信心あさくは往生しがたく候ふ。されば、念仏往生とふかく信じて、しかも名号をとなへんずるは、疑なき報土の往生にてあるべく候ふなり。詮ずるところ、名号をとなふといふとも、他力本願を信ぜざらんは辺地に生るべし。本願他力をふかく信ぜんともがらは、なにごとにかは辺地の往生にて候ふべき。このやうをよくよく御こころえ候うて御念仏候ふべし。

 この身は、いまは、としきはまりて候へば、さだめてさきだちて往生し候はんずれば、浄土にてかならずかならずまちまゐらせ候ふべし。あなかしこ、あなかしこ。

念仏往生とふかく信じて、しかも名号をとなへんずる」人は、報土往生は間違いない。
名号をとなふといふとも、他力本願を信ぜざらん」人は、化土往生する。

と仰っています。親鸞聖人の御著書は、同じことしか書かれていません。

一言でいえば、、他力念仏の人は報土往生、自力念仏の人は化土往生ということです。自力念仏の人は必堕無間などとは書かれていません。
ならば、念仏さえ称えていれば、地獄に堕ちないのだからそれでいい、と思ってしまいますので、繰り返し繰り返し化土往生を誡めておられるのです。

以前にも書きましたが、必堕無間から逃れようと思って浄土仏教を聞くことは、最初から向きが違っているのです。常に報土往生を願って聴聞するのが、正しいといえるでしょう。

この『末灯鈔』でも最後に、

さきだちて往生し候はんずれば、浄土にてかならずかならずまちまゐらせ候ふべし。

と書かれて、浄土(報土)にて必ず必ず待っているぞ、化土に往くなよと念を押しておられるのです。

報土往生の他力念仏のみを勧められて、化土往生の自力念仏を誡められています。まして言わんや自力修善を勧められたなどとは、論外です。

親鸞聖人は私たちに今も

浄土にてかならずかならずにてかならずかならずまちまゐらせ候ふべし

と仰っています。他力念仏ただ1つです。

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コメント

例の1会員だが、飛雲氏は必堕無間を認めていないのですね。これじゃあ三願転入せねば絶対に救われないことは理解出来るはずはないわ。
親鸞聖人は、歎異抄に、

いづれの行も及び難き身なれば、とても地獄は一定すみかぞかし。

と告白されておられるが、今の時代に親鸞聖人よりも立派で、獲信せずとも地獄を逃れ化土や(地獄以外の)六道輪廻で済む人などいようか。

皆さん、後生は一大事(必堕無間)ですよ!
臨終になり、今死ぬとなると明らかに知らされますが、そうなってからでは手遅れですよ!

投稿: | 2010年2月24日 (水) 02時24分

「一会員」さんのカキコミを読んでると、
「恣意的な読み方ほどお聖教を冒涜する行為はない」との、梯和上のお諭しを実感せずにはいられませんなぁ…

投稿: るぅでる | 2010年2月24日 (水) 06時11分

昨日の皆さんの反論に窮したため、今度は必堕無間と論点をすり替えて来ました。

  名号をとなふといふとも、他力本願を信ぜざらんは辺地に生るべし。

親鸞聖人のお言葉を否定するM野支部長(?)は、念仏誹謗の有情ですから必堕無間です。一般読者も自分と同じような低レベルの人間と決めつけないように。

投稿: 現役会員 | 2010年2月24日 (水) 07時05分

必堕無間に論点すりかえをしてきましたね。
前回の質問に答えられないということで決着ですか。

親鸞聖人のお言葉を否定する高森教は、必堕無間でしょうが、正しい浄土真宗を聞いている人のことではないわ。


某巨大掲示板より

351 名前:チビ丸、とうとう高森会長を誹謗!:2009/09/05(土) 13:21:14 ID:U7hbfY+J
>>347
> 生死流転というのは六道を回るから必ず阿鼻地獄にも行きます。
>「阿鼻地獄だけには行かない六道輪廻というのがある」という
> すうごいでたらめですね。

 チビ丸が、とうとう高森会長の間違いを指摘しました!!


●親鸞聖人や蓮如上人が不惜身命の覚悟で教示下された生死の一大事とは、どんなことかといゝますと、これは後生の一大事ともいわれていますように、
総ての人間はやがて死んでゆきますが、一息切れると同時に無間地獄へ堕ちて、八万劫年苦しみ続けねばならぬという大事件をいうのです。
(こんなこと知りたい1)


高森説 → 総ての人間は、死ぬと同時に無間地獄へ堕ちる。
チビ丸説→ 総ての人間は、流転輪廻の中で、無間地獄にも堕ちる。

高森vsチビ丸の法論の行く末は如何に?


357 名前:チビ丸、とうとう高森会長を誹謗!:2009/09/05(土) 13:34:12 ID:U7hbfY+J
>>353

一切衆生(いっさいしゅじょう)必堕無間(ひつだむけん)

一切衆生とは、人間だけでなく、すべての生命のこと。
必堕無間とは、「一息切れると同時に無間地獄へ堕ちる」こと。

畜生が死んで餓鬼道に生まれることもなく、餓鬼道で死んで人天に生まれることも無いという考え方。

これに反論したチビ丸の根拠は以下の通り。

阿鼻地獄のなかに死して余の軽繋地獄に生ず。軽繋地獄のなかに死して畜生のなかに生ず。
畜生のなかに死して餓鬼道のなかに生ず。餓鬼道のなかに死してあるいは人天のなかに生ず。
かくのごとく六道に輪廻して苦楽の二報を受け、生死窮まりなし。胎生すでにしかなり。
余の三生もまたかくのごとし」と。(安楽集)

358 名前:チビ丸、とうとう高森会長を誹謗!:2009/09/05(土) 13:40:36 ID:U7hbfY+J

>「人中にありて、あるいは張家に死して王家に生じ、王家に死して李家に生ず。
> かくのごとく閻浮提の界を尽して、あるいはかさねて生じ、あるいは異家に生ず。
(安楽集)

人中にありて、あるいは張家に死して無間地獄に生じ、王家に死して無間地獄に生ず。
(高森集)

どちらが正しいのでしょうか?

359 名前:チビ丸、とうとう高森会長を誹謗!:2009/09/05(土) 13:42:50 ID:U7hbfY+J
人間が死んだら、次の生で必ず無間地獄へ堕ちるという高森会長の説は、
チビ丸の提示した安楽集の根拠で論破されました。

投稿: 幹部会員歴数十年 | 2010年2月24日 (水) 07時43分

アレだけ釘刺しておいたのにいきなりすり替えてきたから大爆笑
これが「別の話題や質問で論点をすり替えてくる親鸞会の常套手段」、また同じ手法できましたか。
一会員と主張するが、「そういう訓練を受けてきた専門の人(講師部員、支部長クラス)ではないかと推測」できるね。

もう一度いっておこうかな

>如来の諸智を疑惑して 信ぜずながらなをもまた
>罪福ふかく信ぜしめ 善本修習すぐれたり(正像末和讃)
>この「罪福ふかく信ぜしめ」が19願を勧められた御言葉です。それは次の「善本修習」(20願)へ導くためです。

という主張をしたが、それにことごとく反論をしてきたわけだから、
もう一度以下の論点からずれずに反論を行なってください。

1.この和讃が「19願のものである」という文証 
  
2.この和讃が19願自力諸善を「勧めたもの」であるという文証
  親鸞聖人のお言葉の中で"19願自力の善をせよ"という言葉を、"この和讃と関連する形で" 提示。

投稿: | 2010年2月24日 (水) 08時21分

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