« 弥陀一仏を念じたてまつるほかに二つをならぶることなかれ | トップページ | 論なし証拠なし »

2010年2月13日 (土)

知識の仕分けと会員の一揆

2月号『顕真』の「巻頭言」がUPされていました。

● 人間の仕分けと逆謗の一機

阿弥陀仏が五劫思惟の徹底調査の末、
全人類(十方衆生)は助かる縁なき逆謗の一機と診断なされ、
その逆謗を助ける十八願を建てられたのだが、
自惚れ強い人類は自分が助かる縁なき極悪人とはユメにも思っていないのだ。

そんな我々を見抜いた弥陀が、自惚れ心を打ち砕き真実の機を知らせるために
建てられたのが十九願である、と親鸞聖人は教えられる。
その弥陀の十九の願意を開顕するために、
全人類(十方衆生)をはじめは八十一種類(八十一品)に分けられた釈迦が
『観無量寿経』では、「定善の一機」と「散善の九機」(上品上生、上品中生、
上品下生、中品上生、中品中生、中品下生、下品上生、下品中生、下品下生)
の十種類に要約されている。
『大無量寿経』にはそれをまた、上輩者・中輩者・下輩者の三種類にまとめ、
遂には弥陀が見抜いた逆謗の一機を知らせるために
種々に方便なされているのが一切経である。

自惚れ強い人類に頭から「お前たちは、みな助かる縁なき逆謗だよ」と
どれだけ教えても聞く耳全く持たないから、
全人類を八十一種類に分類したり九種類になされたり三種類に分けたりされたのは、 十方衆生は逆謗の一機である真実を知らせるための、
釈迦弥陀の善巧方便の人間の仕分けであったのである。

親鸞会の説く珍しき教え、善のすすめという邪義についての非難に対する内部向けの反論です。相変わらずの御粗末さです。

以前に書きました我々の実機を参照して下さい。

十方衆生は逆謗の一機である真実

の大嘘がお判り頂けると思います。

『教学聖典(2)』の問24をよく見なさいよ。


 我々の実機を七高僧は何と言われているか示せ。

 龍樹菩薩──寧(にんべんをつける)弱怯劣
 天親菩薩──普共諸衆生
 曇鸞大師──造罪の人
 道綽禅師──若し悪を造ることを論ずれば
          何ぞ暴風駛雨に異ならん
 善導大師──機の深信
 源信僧都──予が如き頑魯の者
 法然上人──愚痴の法然房・十悪の法然

高森会長が考えた問答でしょうが。七高僧が逆謗とどこに仰っていますか?
法然上人は、『往生大要鈔』に、

われら罪業重しと云へども、いまだ五逆をばつくらず。

と仰っていますし、聖覚法印も『唯信鈔』に

われら、罪業おもしというとも、五逆をばつくらず。

と仰っているでしょう。

「親鸞会教義の誤り」
一切衆生は必堕無間なのか5
一切衆生は必堕無間なのか8
一切衆生は必堕無間なのか9

には、五逆罪と謗法罪について詳しい説明をされています。
親鸞聖人も、我々の実機を逆謗とはどこにも仰っていません。
大体、龍樹菩薩も逆謗ですか?

それに

そんな我々を見抜いた弥陀が、自惚れ心を打ち砕き真実の機を知らせるために
建てられたのが十九願である、と親鸞聖人は教えられる。

これもワンパターンですが、どこにそんなことを教えられているというのでしょうか?根拠を示しなさいよ。

「親鸞会教義の誤り」
親鸞会は諸行往生10
親鸞会は諸行往生11
親鸞会は諸行往生12
親鸞会は諸行往生13

を読めば、明々白々な邪義です。

いつもいつも根拠のない新しき法を創作する、無知無恥の善知識様よ、と言いたい。
適当なことを言ってもすぐに騙されるからとどこまでも会員を馬鹿にしているのです。

会員も怒って、知識を仕分けして一揆を起こしてもいいでしょう。

|

« 弥陀一仏を念じたてまつるほかに二つをならぶることなかれ | トップページ | 論なし証拠なし »

コメント

>十方衆生は逆謗の一機である真実

サイト「大沼法竜師に学ぶ」には「48 生花信心」(魂のささやき)まで載っていますが、
その次の章に以下のような記述があります。

49 あんな六ケ敷(むつかし)い事を言うと人が迷う

……
この機、この心、この魂、誰が何と言っても動かない、(略)
夢の中にでも仏様が其儘ぞと仰有って下さったら安心出来ように、
せめてお光明だけでもおがめば安心出来ように、この苦悩の心を導く
知識は無いか、唯の唯が判らんと仏様に迄不足を言う心はないか。
それが誹謗正法の大罪人で、必堕無間の根性ではないか、
泣くに涙なく言うに声のない絶対の悪人の自覚こそ、
絶対不思議の世界に入れる唯一つの相手である。
これからが本当に蓮如上人様のお言葉の、あら心得易の安心や、
行き易の浄土やが、自分の上に生きて来るのである。
右の様な心が一切の衆生の上に悉く有るのに、自分を知らずに
法の知れる筈がない自分に無い物を出せと云うのではなく、
……

高森会長がここを根拠にしている可能性もあるかもしれません。

「大沼法竜師に学ぶ」
http://blog.goo.ne.jp/onuma_horyu

投稿: ZhengQing | 2010年2月14日 (日) 20時57分

失礼しました。

>十方衆生は逆謗の一機である真実

というより

>一切衆生は必堕無間

の根拠にしている可能性もあるかもしれない、ということでした。

投稿: ZhengQing | 2010年2月14日 (日) 21時00分

度々改めさせて頂いてすみません。

>この機、この心、この魂、誰が何と言っても動かない、(略)

の前の方に(この章はかなり長いです)

……
十悪五逆の罪人は他には居まい。
今迄は参る機で居たこの者が。
必堕無間の正客ではないか。
……

とありますので、

>十方衆生は逆謗の一機である真実
>一切衆生は必堕無間

の根拠にしている可能性もあるかもしれない、でお願いします。

投稿: ZhengQing | 2010年2月14日 (日) 21時09分

大沼師の『随想録』に

第十八願の真意は「十方の衆生よ自惚てはならないぞ、お前の腹底は逆謗の屍で往生の望みの絶えた機を若し生れささずんば正覚を取らない」と、「若」の一字は逆謗の屍に正覚を堵者にして誓われた念力であって、「生」の文字は成就の文では即得往生、聞信の一念から言えば心命終の平生業成、臨終捨命の夕から言えば身命終の即得往生、若の一字で往生と正覚が同時に成就した時、己を忘れた三信十念噴き出ずには居られないのだ。

とありますので、ここからのパクリでしょうかね。

投稿: 飛雲 | 2010年2月14日 (日) 21時12分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1323088/33365499

この記事へのトラックバック一覧です: 知識の仕分けと会員の一揆:

« 弥陀一仏を念じたてまつるほかに二つをならぶることなかれ | トップページ | 論なし証拠なし »