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2010年1月30日 (土)

三重廃立

古い会員さんならご存知でしょうが、以前の高森会長の説法では、

『教行信証』に何が書かれてあるのかといえば、三重廃立である。

とよく聞かされたものです。

内外廃立、聖浄廃立、真仮廃立の3つですが、これが宗学でいわれているかどうかは別にして、内容は正しいものでした。ところが、35周年記念大会を境に、三重廃立がいつの間にか三願転入にすり替わりました。

『教行信証』に何が書かれてあるのかといえば、三願転入である。

私はこの変化に違和感を覚えたものです。

『顕正』という本があります。昭和33年に出版されたもので、東本願寺の柏原氏の非難に対する反論本です。この内容の一部は、「親鸞会教義の誤り」「真偽検証」でも紹介されています。

 然るに、わが浄土真宗は、このような十九、二十の本願に当る浄土宗とは違って十八願の願意である、信心正因、称名報恩の仏意を弘通する教えであるから、信前の人にも信後の人にも、始終一貫して信心正因、称名報恩の教えを勧めなければならない。
 勿論、機には未熟の者もあるから、いくら信心正因、称名報恩、信心が往生の正因であり称える念仏は報謝だから、早く信心決定して報謝の念仏称える身になって下さいと勧めても、直にその通りになれない人もあろうけれども、それは機の過失であって法門は常に信因称報の仏意を説き示さなければならない。
 喩えば、虎の手本をみて虎を描こうと思っても、どうしても最初の間は虎ではなく猫の絵になってしまうが、たゆまず屈せずアキラメず虎の手本を見て描いているうちに本当の虎の絵がかけるようになるように、手本は如何に信心正因、称名報恩でも機執によって、そのようになれず、或は定散自力の称名となり、称名正因となるものもあろうが、たゆまずアキラメず信心正因、称名報恩の教えを勧めていれば、やがてその真意を諦得出来るようになるのである。
 或る画家が弟子に虎を描かす為に虎の手本を渡した。ところが弟子のかいたものは、どうみても虎ではなく、猫の絵であった。画家は再三描かせてみたが、やはり猫しか書けなかった。そこで師匠は虎をかゝせることをあきらめて猫の手本をわたした。その弟子は一生猫より描くことが出来なくなったという。
 未熟な人に合せて信心正因、称名報恩の教え以外の法門を説いて信心を得る方法には称名せよなどと教えればあたかも猫の手本を与えて虎をかく方法とするようなものである。故に教家は常に虎の説法をしなければならないのである。

このことを覚えていましたので、三重廃立と三願転入とは矛盾するのではないかと思ったものです。ただ、自分で『教行信証』を拝読することをしなかったために、高森会長のいうことを信じるより仕方がありませんでした。

何を聞くのか? それは18願意である筈が、いつの間にか19願意を聞くことに変わっていたのです。

あれから15年後、自分で『教行信証』を拝読しました。また『末灯鈔』を含む『御消息集』も拝読しました。どこをどう読んでも、19願を勧められた箇所はありませんでした。19願は化土にしか往けないから、18願の報土往生を願いなさい、とし書かれてありません。

「親鸞会教義の誤り」親鸞会は諸行往生の項目のところには、そのことが詳しく説明されていますので、読まれればお判りになると思います。

『末灯鈔』には、

 また正念といふにつきて二つあり。一つには定心の行人の正念、二つには散心の行人の正念あるべし。この二つの正念は他力のなかの自力の正念なり。定散の善は諸行往生のことばにをさまるなり。この善は他力のなかの自力の善なり。この自力の行人は、来迎をまたずしては、辺地・胎生・懈慢界までも生るべからず。このゆゑに第十九の誓願に、「もろもろの善をして浄土に回向して往生せんとねがふ人の臨終には、われ現じて迎へん」と誓ひたまへり。臨終まつことと来迎往生といふことは、この定心・散心の行者のいふことなり。

 選択本願は有念にあらず、無念にあらず。有念はすなはち色形をおもふにつきていふことなり。無念といふは、形をこころにかけず、色をこころにおもはずして、念もなきをいふなり。これみな聖道のをしへなり。聖道といふは、すでに仏に成りたまへる人の、われらがこころをすすめんがために、仏心宗・真言宗・法華宗・華厳宗・三論宗等の大乗至極の教なり。仏心宗といふは、この世にひろまる禅宗これなり。また法相宗・成実宗・倶舎宗等の権教、小乗等の教なり。これみな聖道門なり。権教といふは、すなはちすでに仏に成りたまへる仏・菩薩の、かりにさまざまの形をあらはしてすすめたまふがゆゑに権といふなり。

 浄土宗にまた有念あり、無念あり。有念は散善の義、無念は定善の義なり。

浄土の無念は聖道の無念には似ず、またこの聖道の無念のなかにまた有念あり、よくよくとふべし。

 浄土宗のなかに真あり、仮あり。真といふは選択本願なり、仮といふは定散二善なり。選択本願は浄土真宗なり、定散二善は方便仮門なり。浄土真宗は大乗のなかの至極なり。方便仮門のなかにまた大小・権実の教あり。

このようにも書かれてあります。真仮廃立が徹底されていれば、19願に迷うことはなかったのです。

最近、高森会長の邪義が明らかにされましたが、それに対してだんまりを決め込んでいるようです。

『顕正』のはしがきには、

ただ悲しむべきことは、このような書面が世間に流布せられ、現に多くの道俗が雷同しているのに私個人の満足のみで黙殺すれば、何も知らない人達は、「高森は、こんなことを布教しているのか。異安心と言われるのは当然だ」と思うだろうし、御縁の浅い同行は危惧動揺するであろう。それでは如来聖人に対して申し訳がない。破邪せずしては顕正は出来ない。この際、私は、非難攻撃に答えると同時に私の真意を鮮明にすべき責任がある。生死の問題は戯事ではない。

と書いていますが、今は全くの腑抜けといいましょうか、敵前逃亡です。多くの会員が雷同していても、反論しようとしない。いや反論できないのです。私も教義上の疑問を上司にぶつけても無視されて退会したのです。

所詮はその程度の教えでしかなかったのです。邪教と罵ってきた宗教を信じている人と同じであったと猛省しております。

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