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2010年1月25日 (月)

韋提希と阿闍世

「親鸞会教義の誤り」一切衆生は必堕無間なのか4の中で、阿闍世の回心について解説されています。

空の思想が混じっていたりして、非常に難解な部分ですが、釈尊は五逆罪を犯した阿闍世に対して「地獄に堕ちる罪ではない」と仰っています。親鸞会とは正反対の説き方をされていることに驚きます。

親鸞会では、どんな些細なことであっても、それは謗法罪、五逆罪といって、無理やり「必堕無間」という結論を押しつけます。いわゆる”因縁をつけられた”ようなものです。

釈尊の阿闍世へのお言葉には、そのようなところは全くありません。必堕無間に脅えているから、敢て励まされたという見方もできます。

では韋提希に対してはどうでしたでしょうか。罪の意識のない韋提希に、「お前は罪悪深重で、必堕無間だぞ」とは仰っていません。反対に、阿弥陀仏の浄土を見せられて、韋提希に阿弥陀仏の浄土に往きたいという願いをおこさせています。

釈尊は機責めをされていません。以前に紹介した法然上人も、過剰な罪悪で苦しむ人々に対して、

五逆十悪の重き罪造りたる悪人なお十声一声の念仏によりて往生しそうらわんに、
まして罪造らせおわします御事は何事かそうろうべき。
たといそうろうべきにても幾程の事かはそうろうべき。
この『経』に説かれてそうろう罪人にはいい比ぶべくやはそうろう。

と仰っています。経典に説かれれているような罪人と比べたならば、大した罪を造っていないではないかと励ましておられます。

親鸞聖人も同様です。

「親鸞会教義の誤り」一切衆生は必堕無間なのか1に書かれてあるとおり、

この信心を獲得せずは、極楽には往生せずして、無間地獄に堕在すべきものなり。(二帖目第二通)

も邪義、異安心の人に対するお言葉と解釈すれば、蓮如上人も、同行に対して過大な罪悪観を押しつけられている箇所はありません。

浄土仏教とは、浄土を欣い慕わせることから始まるといえるのではないでしょうか。

本当の善知識とは、そのような説き方をされる方と思っております。

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