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2010年1月24日 (日)

化土往生

「親鸞会教義の誤り」には、化土往生について書かれています。

『大無量寿経』や『三経浄土往生文類』を引用されて、化土往生する人のことを解説されています。

このことから人間死んだらどうなるかを大まかにまとめたものが某巨大掲示板に書かれてありました。

浄土仏教で教えられる次生を大まかにまとめると、

他力念仏───報土往生
自力念仏───化土往生
自力修善───化土往生
       └─六道輪廻
一般の人───六道輪廻
念仏誹謗───必堕無間地獄

ということですかね。
親鸞会の人は自力修善ですから、六道輪廻で、化土往生の人もある。

ですから、一切衆生必堕無間という方向性で考えると、化土往生でいいやという思いになってしまいます。親鸞聖人は同行に対して地獄に堕ちるということを仰ったところもありません。そして化土往生については繰り返し繰り返し戒められ、報土往生を願いなさいと仰っています。蓮如上人が、化土往生について言及されていないのは、化土往生で満足してしまう人が出てくることを懸念されてのことではないかと、個人的には思っております。

ここで思い出されるのは、龍樹菩薩の『菩提資糧論』にあるお言葉です。

もし声聞地、および辟支仏地に堕するは、これを菩薩の死と名づく。すなはち一切の利を失す。 もし地獄に堕するも、かくのごとき畏れを生ぜず。 もし二乗地に堕すれば、すなはち大怖畏となす。地獄のなかに堕するも、仏に至ることを得。 もし二乗地に堕すれば、畢竟じて仏道を遮す。

これは小乗のさとりに満足するようなら、地獄に堕ちる方がましだ、地獄に堕ちてもやがては仏になることはできるが、小乗のさとりに満足したのでは仏になる望みを断たれてしまう、ということです。

もちろん龍樹菩薩の仰っていることは化土往生のことではありませんが、私には同じように感じられるのです。親鸞聖人の教えを求めるものは、報土往生以外を考えるべきではないので、必堕無間と殊更に不安を煽ることは、後ろを向かせたまま西に進ませようとしているのではないかと思うのですが、如何なものでしょうか。

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