« 間違いを教えてくれたブログの内容3 | トップページ | 必堕無間について »

2010年1月21日 (木)

間違いを教えてくれたブログの内容4

様々なブログを読むことで、必堕無間の恐れと会長への畏敬の念が失せました。

 

そこで元講師の方や華光会や本願寺等で話を聞き求めたのですが、どうしても馴染めないところがありました。それが華光会です。なぜなら、せっかく必堕無間の呪縛から開放されたと思っていたところが、華光会では地獄を強調されるからです。法座では地獄の話はほとんどなくても、座談会では、「悪しかしていないんだから地獄しか行き場がないじゃないの」と華光会の人が口を揃えていわれるのです。親鸞聖人は地獄のことを教えておられなくとも、やっぱり地獄往きと思わなければ救われないのかとも考えたりしていました。

 

そんなとき「21世紀の浄土真宗を考える会」で二種深信について書かれてあるのを読んで、目から鱗が落ちるような感じがしました。以下に一部だけを紹介します。


機の深信についてのよくある間違いは、「自己の罪悪を掘り下げていき、徹し切ったところに、いわゆる機の深信が立ち、救いがある」といった類のものです。
簡単に言えば罪悪観と機の深信との混同です。
浄土真宗の異安心の歴史で言いますと、江戸時代、近江(滋賀県)の光常寺で起きた「地獄秘事」などはその典型です。

機の深信とは
煩悩具足・罪悪深重の私は、迷いの世界から出離するのに間に合うものは一つも持ってはおらず、過去も現在も未来も、生死流転から抜け出せる自分でない、と信知する。
となります。
機の深信とは極悪最下の者とすべての人が知らされることではありません。

「二つの正反対のことが一念同時に知らされる」という人がいますが、二種深信は二つの心ではなく一つの心であり、前後があるのでも、並んで起きるのでも、いずれか一方が他方の条件であるのでもありません。

二種深信は機法二種一具の深信であり、図示しますと
 機の深信=自力無功=捨自
 法の深信=他力全託=帰他

となります。
そして、初起の一念より臨終まで一貫します。

親鸞会でも華光会でも言われていることも同じでしたので、地獄一定と知らされることが機の深信と思い込んでおりましたが、それは罪悪観であり、機の深信とは違うことがこれを読んで判りました。

 

そんなこともあり、頭の中で華光会で言われている言葉を翻訳しながら聞いていたものですから、積極的に華光会の行事に参加する気持ちはそれほどありませんでした。

 

ただ、華光会でも罪悪観と機の深信の違いはしっかりと教えられているものの、教学を学ぶことを排斥する傾向にある同人には、この2つの区別がついていないのでしょう。

 

それは「真宗 と カウンセリング」というブログの二種深信 - 聞かない姿に書かれてある内容でも判ります。以下抜粋です。


今日は華光の京都支部法座。
増井悟朗師をお招きして、「二種深信」のお話をしていただいた。
このテーマは、3月にあった講習会で1泊2日で話されたテーマだったが、「最後のほうが時間が無かったのでぜひもう一度」という世話役さんの希望で実現した集まり。
世間の法座は良く知らないが、講師の先生にテーマを指定してお願いするって言うのは、そうそう無いんじゃないだろうか。
それが出来る華光のよさと、受けてくださる先生の深さが身に染みる。

 

「二種深信」の中身についてはここでは述べないが、その渦中で「二種深信」に対する異安心・邪義を話してくださった上で、もう一度そういう間違いを超えた領解を示してくださった気がする。

 

そのあとの質疑・座談で話す方の姿を通して、まさに今話していただいた「聞きそこね」ということを感じた。

 

「機の深信」をたずねいていく過程で、「まだ罪悪”感”がたりません、もっと深めないといけないのか」という人がよくいる。
自分で機を深めようとするのは、自力の所作で、「機法一具」ではない。
法に照らされるからこそ、自分で都合よく見つめる「罪悪」ではなく、本当に流転し続けている我が身の本当の姿がわかるというのに。

 

また、「地獄行きだという事がわかりました」とそれで一丁上がりだと喜ぶ人もよくいる。
確かに、罪悪観を突きつけられても「自分のこととは思えない」という人よりは一歩進んでいるようにも思える。
しかし、そんな軽い地獄行きで知ったつもりになっているのは、「なんのために、これほどまでの願を立てられたのか」というところも軽くしてしまい、「救うとおっしゃってるんだから、任せとけば大丈夫ですわ、わっはっは」と、阿弥陀様を尻にいしいて高上がりしている姿でしかない。

地獄一定という罪悪観を持たれている方なら、華光会の座談会に出られてもよいでしょうが、私のようにそこまでの罪悪観も懺悔もない人には、「あなたの後生は地獄しか行き場がないでしょう」といわれると、「それは親鸞聖人の教えと違う」という反発心が出てくると思いますので、座談会は出られない方がよいように思います。

|

« 間違いを教えてくれたブログの内容3 | トップページ | 必堕無間について »

心と体」カテゴリの記事

コメント

今日華光会の東京支部の法座に行ってきましたが、プリントを輪読して座談会だけでした。昨日説法があり、罪悪ノートについて話があったようです。

私としては阿弥陀仏の法徳を讃嘆したかったんですが、どうも話が通じなかったです。

「教科書通りだね」とか、「話が響いてこない」とか「阿弥陀仏のご苦労が水泡になるというのは、人に向かって言うべき事ではないんじゃないか」などと言われました。

そして周りは、自分の罪悪を見つめ、堕ちきったところに救いがあるような感じの話をしましたね。

増井悟朗先生の話は素晴らしいと思いますし、華光で初めて仏法聞く人にはよいかも知れませんが、長年親鸞会会員で求めてきた人には特に座談会は合わないかも知れません。機ばかり問題にしてきたのにまた機について徹底的に論議されますからね。

如来が見抜かれた私が救われるわけですから法に向かえばいいんですけど、座談会はほとんど機についての話だけで終わってしまい、残念でした。

投稿: 淳心房 | 2010年1月31日 (日) 21時26分

淳心房 様

私も5回ほど座談会に参加しましたが、言われることは、地獄のことばかりで、私は地獄を六道、自力無功と変換して聞いてきました。
しかし、我慢の限界を越えたので、言い返したところ関係が悪くなってしまいました。

私としては親鸞会を辞めた人の最大の受け皿と期待していたのですが、これでは親鸞会を見限って華光会にいっても、失望して、真宗自体を謗ることになる人も多いと懸念するばかりです。

実際、親鸞会をやめても華光会で長年聞いている人は極めて少ないのが現状です。

投稿: 飛雲 | 2010年2月 1日 (月) 06時59分

「機の深信とは
煩悩具足・罪悪深重の私は、迷いの世界から出離するのに間に合うものは一つも持ってはおらず、過去も現在も未来も、生死流転から抜け出せる自分でない、と信知する。
となります。
機の深信とは極悪最下の者とすべての人が知らされることではありません。」と言われているが、大きな矛盾があることに気が付きませんか。罪悪深重と極悪最下は言葉は違いますが、意味は同じですよ。

投稿: 月光仮面 | 2023年7月14日 (金) 00時47分

極悪最下とは、下品下生の五逆の者を意味します。
「われら罪業おもしといふとも五逆をばつくらず」
法然上人、聖覚法印、そして親鸞聖人のお言葉です。

ここを読んでみましょう。
https://sinrankaix.exblog.jp/16112561/

投稿: 飛雲 | 2023年7月14日 (金) 05時22分

いろいろ教えていただきありがとうございます。
「善導大師の『法事讃』を引用されて「謗法・闡提、回心すればみな往く」(教行信証信巻)と教えられました。謗法と闡提の者は、心を改めて、仏法を信じるようになったならば救われる、ということです。謗法と闡提のまま救われるのではありません。
ここからも、謗法の者と謗法でない者がいるというのが浄土仏教の常識と判ります。」と書いていますが、あなたは私以上に自惚れの強い方だとわかりました。この和讃の意味を謗法、闡提でなくなればではなく、そういう者であると知らされればです。なぜなら、あなたのような解釈をすると願に相応しなくなります。解釈が単純すぎます。

投稿: 月光仮面 | 2023年7月14日 (金) 14時27分

あなたの場当たり的な解釈など、興味無いです。謗法罪の者は絶対に救われないと親鸞聖人が断言されています。
これが読めないのでしょうか?

問い
外見上は信順していても、心の底では信じ切れていないから、謗法罪を造っていることになるのではないですか。


答え
親鸞聖人は、曇鸞大師の『浄土論註』を引用して説明されています。「もし無仏・無仏法・無菩薩・無菩薩法といはん。かくのごときらの見をもつて、もしは心にみづから解り、もしは他に従ひてその心を受けて決定するを、みな誹謗正法と名づくと」(教行信証信巻)
謗法罪とは、仏の存在、仏の教え自体を根底から否定し、もちろん他人にもそれを言うことです。
そんな謗法の者が救われるかどうかについて「ただ正法を誹謗せしめて、さらに余の罪なしといへども、かならず生ずることを得じ」(同)と、謗法の者が救われることはないと断言されています。全人類が謗法の者なら、誰一人救われることはありません。

投稿: 飛雲 | 2023年7月14日 (金) 14時33分

返信がはやいのでびっくりしました。
単純な解釈者に場当たり的な解釈者だと言われました。どっちもどっちですね。
さて、あなたは論点ずらしの人でもありますね。あなたは「謗法と闡提の者は、心を改めて、仏法を信じるようになったならば救われる。謗法と闡提のまま救われるのではありません。」と言われました。それに対して、私は、「あなたのような解釈をすると願に相応しなくなります。」言いましたが、そのことについて答えていません。
そもそもあなたの『回心』のとらえかたがちがいます。心を改めてとか、仏法を信じてとか、そんな浅い意味ではありませんよ。「回心とは自力を捨てて、他力に帰すという意味です。」その体験がないからあなたのような解釈で終わってしまうんです。教学を深められることは素晴らしいことだと思いますが、自分の機もしっかりと見つめてください。

投稿: 月光仮面 | 2023年7月14日 (金) 16時57分

論点ずらしとは本気で言っているのなら、呆れましたね。親鸞会のいつもの言い方ですけど。

元々あなたが

「罪悪深重と極悪最下は言葉は違いますが、意味は同じですよ。」

と言ったことに対して私が、

「極悪最下とは、下品下生の五逆の者を意味します。
「われら罪業おもしといふとも五逆をばつくらず」
法然上人、聖覚法印、そして親鸞聖人のお言葉です。」

と答えました。これに対して論点をずらしたのはあなたですよ。

ちょっと解説しておきます。
「極悪」とは極めて悪いことをさし、十悪を極悪と言わないことくらいはご存知ですか?「最下」とは最も下という意味です。九品の一番下ということで、下品下生です。下品下生とは五逆の者のことですが、この程度のことは理解できましたか?それとも都合が悪いので、無視ですか?
法然上人、聖覚法印、親鸞聖人はご自身のことを五逆の者でないと告白されていますが、それについては都合が悪いので、論点をずらしたわけですね。
五逆罪は作っていないが、「罪業おもし」つまり「罪悪深重」ですから、
日本語がわかれば、
「罪悪深重」≠「極悪最下」
です。


>「あなたのような解釈をすると願に相応しなくなります。」言いましたが、そのことについて答えていません。

これについて答える価値がないでしょう。なぜなら、そんな解釈は真宗では全く通用しないから。もしこれが親鸞聖人の教えだといわれるのなら、親鸞聖人が仰ったお言葉を出しましょう。
根拠がなければ、あなたのテキトー解釈で終わりです。

謗法罪については、親鸞聖人のお言葉を出して説明しました。謗法罪の者は絶対に救われない。
しかし「回心すれば救われる」。日本語がわかれば簡単な話で、謗法の者は謗法をやめて仏法を信じ、その上阿弥陀仏の本願を信じる人になれば助かる、ということ以外には日本語になりません。
当たり前の話で、外道の信者が仏教を謗ったままで救われることはないですよね。それを仰ったのですが、判りませんか?
それとも、外道を信じたままで救われるとでも思っているのですか?


論点をずらさないように、3点

1.「われら罪業おもしといふとも五逆をばつくらず」とは、「罪悪深重」≠「極悪最下」ということですか、違いますか?

2.「あなたのような解釈をすると願に相応しなくなります。」と仰った親鸞聖人のお言葉を出してください。

3.「ただ正法を誹謗せしめて、さらに余の罪なしといへども、かならず生ずることを得じ」とはどんな意味ですか?

投稿: 飛雲 | 2023年7月14日 (金) 17時21分

法事讃

仏願力をもつて、五逆と十悪と罪滅し生ずることを得しむ。謗法・闡提、回心すればみな往く

阿弥陀仏は五逆と十悪は、罪を滅して救ってくださる。謗法と闡提は、罪を滅しては救えないので、回心したならば救ってくださる。

五逆・十悪と謗法・闡提とは明らかに差をつけられているよね。
なぜか?
五逆・十悪は、そのままの救いだが、謗法・闡提はそのままの救いでは無いから、「回心すれば」なんだよね。
「回心」には自力を捨てて他力に帰すの意味もあるが、ここでは仏教を謗ることをやめて仏教を信じるようになれば、の意味なんだよ。

ケッコウ仮面のおじさんは、悪の味方よ、悪い人よ

投稿: SS | 2023年7月14日 (金) 18時49分

興味ありません。と言いながら返信してくるのはどういうことでしょうか。自分のとらえ方(あえてとらえ方と書きました)に異議を申す者はプライドが許さない、ということでしょうか。できるならそのプライドの心を深く見つめていってほしいと思います。
ちなみに、最初にもどると「極悪最下とは、下品下生の五逆の者を意味します。「われら罪業おもしといふとも五逆をばつくらず」法然上人、聖覚法印、そして親鸞聖人のお言葉です。ここを読んでみましょう。」と長々と紹介されるから、その中の「謗法・闡提、回心すればみな往く」についてのあなたのとらえ方について、異議を申し上げたまでです。
あなたは、教学が深いということはわかりました。ただ、他の人に伝えるとき、説明があまりにも長すぎます。(あなたの流儀かもしれませんが)これでは、何を言いたいのか、ぼけてしまいます。自己満足で説明されているならそれはそれでいいと思います。おそらく以前はこのように長くは説明はされなかったのでしょう。しかし、大きな出来事があり、人に負けまいとこのようになったのではないかと推測されます。(推測でお話をしてすみません。これは私の大きな欠点です。)

投稿: 月光仮面 | 2023年7月14日 (金) 20時11分

結論は、反論も答えることもできません。
こいうことですね。
それでは悔しいので、負け犬の遠吠えを書き込んだ。
親鸞会のワンパターンです。

不真面目な荒らしコメントしかできないなら、二度とコメントしないように。
真面目な質問なら、簡潔でも長文でも答えてあげます。

投稿: 飛雲 | 2023年7月14日 (金) 20時16分

論点

1.「われら罪業おもしといふとも五逆をばつくらず」とは、「罪悪深重」≠「極悪最下」ということですか、違いますか?

→答えられません

2.「あなたのような解釈をすると願に相応しなくなります。」と仰った親鸞聖人のお言葉を出してください。

→出せません

3.「ただ正法を誹謗せしめて、さらに余の罪なしといへども、かならず生ずることを得じ」とはどんな意味ですか?

→わかりません。


けっこー仮面のおじさんの回答がこれだって。
教学の前に、日本語のお勉強をしましょう。

投稿: SS | 2023年7月14日 (金) 21時09分

長々とお疲れさまでした。2010年からコメントがない理由がわかりました。不真面目な荒らしコメントと言っているのでは正しい親鸞聖人の教えは伝えることはできませんよ。

投稿: 月光仮面 | 2023年7月14日 (金) 21時44分

2023年まで他のエントリーではコメントはありますが、このエントリーが全てとでも思われているようで、びっくりしています。
まずはブログとはどんなものか勉強されては如何でしょうか。
その前に日本語のお勉強をお勧めします。

投稿: 飛雲 | 2023年7月14日 (金) 21時48分

>罪悪深重と極悪最下は言葉は違いますが、意味は同じですよ。

一番最初のこの勘違いコメントについて、飛雲さんから間違いを指摘されて論点をずらしたもののそれも間違いと指摘されて苦し紛れの「飛雲さんは論点ずらしだ」とは、苦笑するしかないです。

一般常識も欠けているようですし、親鸞会の低レベル化が一層進んでいるようです。

>罪悪深重と極悪最下は言葉は違いますが、意味は同じですよ。

これだけでも間違いだったと認められる真面目さがあれば、飛雲さんから不真面目だと言われないでしょうが、低いプライドが邪魔をして、負け犬コメントの垂れ流ししかできないみたいです。
あわれあわれ

投稿: osu | 2023年7月14日 (金) 22時16分

また、返信がきていたのでびっくりしました。しかも二回。それで内容はというと前回と変化なし。また、びっくり。一つだけ付き合いましょう。あなたの「謗法・闡提、回心すればみな往く」の『回心』のとらえ方です。最初、あなたは①「心を改めて、仏法を信じるようになったならば救われる。」と言われた。次に、私は「回心とは自力を捨てて、他力に帰すという意味です。」と反論した。するとあなたは②「謗法をやめて仏法を信じ、その上阿弥陀仏の本願を信じる人になれば」と阿弥陀仏の本願を信ずると、他力になったことを付け加えた。(ここで、単に信ずるだけではまずいと気が付いたのでしょうね。)しかし、次に③「「回心」には自力を捨てて他力に帰すの意味もあるが、ここでは仏教を謗ることをやめて仏教を信じるようになれば、の意味なんだよ。」言われた。②では他力を認め説明し、③では他力の意味を除外した。まったく支離滅裂な説明が続いていたんですよ。ようするに、あなたの『回心』のとらえ方が曖昧だったということです。一つに絞ってお話をしました。

投稿: 月光仮面 | 2023年7月15日 (土) 00時39分

>罪悪深重と極悪最下は言葉は違いますが、意味は同じですよ。

これについては間違いと認めたわけですね。

投稿: 飛雲 | 2023年7月15日 (土) 02時57分

論点ずらしに必死なのはわかりますが、

3.「ただ正法を誹謗せしめて、さらに余の罪なしといへども、かならず生ずることを得じ」とはどんな意味ですか?

これに正しく答えれば、誰でもわかることですけどね。答えられない、正確には答えると自分の間違いがわかるから答えたくない。

なお渡部弘宣局長なんかは私の10倍以上の長い長い文章書いて法論してきますので、少し長い文章くらい我慢しましょうね。


謗法罪はまた仏法を信ずるこころのなきよりおこるものなれば、もとよりそのうつはものにあらず。もし改悔せば、生るべきものなり。しかれば、「謗法闡提回心皆往」と釈せらるる、このゆゑなり。(口伝鈔)


日本語のわからないあなたでは理解できないでしょうが、謗法罪は絶対に救われない。阿弥陀仏に救われる器ではない。なぜなら仏教を信じる心がないから、阿弥陀仏の本願を聞くこともない。しかし謗法を悔い改めて仏教を信じることになれば、阿弥陀仏に救われる器になる。


こういうことですね。
このでの回心とは、日本語がわかるなら、仏教を謗っている者が仏教を信じる者になるの意味。ここ自体には自力を捨てて他力に帰すの意味は元々は含まれていない。それはSSさんが出された前文と併せればわかります。

仏願力をもつて、五逆と十悪と罪滅し生ずることを得しむ。謗法・闡提、回心すればみな往く

五逆と十悪は、自力を捨てて他力に帰すの意味を顕す語がないから、阿弥陀仏の本願力で、五逆と十悪はそのままでも救われる器だが、謗法と闡提は救われる器でない状態から救われる器になる「回心」が五逆と十悪とは違って、条件になっているってことです。救われる器でない状態から救われる器になる状態が「回心」

そうすると鈍いあなたは、自力を捨てて他力に帰すことなしに救われることがあるのか?とまたくだらないことをいうだろうから、一応付け加えたわけですよ。

長い文章だと読めないだろうから、まとめておきますね。

回心の意味に2種あり

1.仏教を信じていない者が悔い改めて仏教を信じるようになる

2.自力を捨てて他力に帰す

「謗法闡提回心皆往」の「回心」は1の意味

投稿: 飛雲 | 2023年7月15日 (土) 03時30分

では3つの論点整理


1.「われら罪業おもしといふとも五逆をばつくらず」とは、「罪悪深重」≠「極悪最下」ということですか、違いますか?

【【月光仮面さんは間違いを認めた】】


2.「あなたのような解釈をすると願に相応しなくなります。」と仰った親鸞聖人のお言葉を出してください。


【【月光仮面さんは根拠のないことを認めた】】

3.「ただ正法を誹謗せしめて、さらに余の罪なしといへども、かならず生ずることを得じ」とはどんな意味ですか?

【【答えると自分の間違いが明らかになるので月光仮面さんは答えたくない】】

投稿: 飛雲 | 2023年7月15日 (土) 03時40分

1.「われら罪業おもしといふとも五逆をばつくらず」とは、「罪悪深重」≠「極悪最下」ということですか、違いますか?

2.「あなたのような解釈をすると願に相応しなくなります。」と仰った親鸞聖人のお言葉を出してください。

以上の2つはあなたの間違いで終了なので、最後の

3.「ただ正法を誹謗せしめて、さらに余の罪なしといへども、かならず生ずることを得じ」とはどんな意味ですか?

答えたくないのはわかりますが、答えてもらわないと「回心」の解釈に影響を及ぼしますので、答えてもらえますか?
答えやすいように二者択一にしておきます。

A.ただ謗法罪をつくって五逆や十悪などの罪はないとしても、絶対に往生できない

B.ただ謗法罪をつくって五逆や十悪などの罪はないとしても、絶対に往生できる

簡単でしょ。
Aだと救われない器が救われる器になる「回心」が必要で、Bなら謗法罪は元々救われる器だということで「謗法闡提回心皆往」の「回心」は自力を捨てて他力に帰すの意味

投稿: 飛雲 | 2023年7月15日 (土) 03時54分

いや〜酷いですね、月光仮面さんの知能は。
教えに関することは飛雲さんの言われる通りなので、補足しませんが、2010年以降ブログにコメントがなかったって、月光仮面さんはブログを知らないのか?

「2010年からコメントがない理由がわかりました。」

これはかなりやばいですよ、月光仮面さんの知能が。

Fランの学生でもブログくらいは知っているでしょうに、ブログを知らないとは中卒?小卒?あるいは後期高齢者?
いずれにしても、知能が一般の人よりもかなり劣っていることは確かでしょう。

投稿: 元学徒 | 2023年7月15日 (土) 05時54分

深夜にこんなにも長文お疲れ様です。またまた、長文で煙にまくあなたの得意技がでてきました。しかもいくつのもの論点について、このやり方では、言いたいことが伝わりませんよと忠告をしましたよね。残念です。

内容を話す前に、あなたの「日本語のわからないあなたでは理解できないでしょうが・・・」や「ブログを知らないとは中卒?小卒?あるいは後期高齢者?」の発言は、もはや仏教者ではありません。ブログの最初に華光会でも注意されています。

論点を絞り一つずつ話していきましょう。
1 『回心』とらえ方ついて
 あなたは、①②③とそのつど、とらえ方を変えてきましたが、今回「仏教を謗っている者が仏教を信じる者になるの意味。ここ自体には自力を捨てて他力に帰すの意味は元々は含まれていない。それはSSさんが出された前文と併せればわかります。」と言われ、自力を捨てて他力に帰す意味ではないと断定された。しかし、その根拠は示されなかった。そして、SSさんが出された前文と併せればわかりますと終わっておられる。

ここでの、『回心』の意味は「仏教を謗っている者が仏教を信じる者になるの意味。ここ自体には自力を捨てて他力に帰すの意味は元々は含まれていない。」の根拠をご聖教で示してください。

一つずつやっていきましょう。

 

投稿: 月光仮面 | 2023年7月15日 (土) 15時31分

『法事讃』は善導大師が書かれたものなので、善導大師が「回心」について同じ使い方をされているところを『観無量寿経疏』で紹介しておきますよ。中品下生の説明

この文をもつて証するに、ただこれ仏法に遇はざる人、孝養を行ずといへども、またいまだ心に出離を希求することあらず。 ただこれ臨終に善の勧めて往生せしむるに遇ふ。 この人勧めによりて回心してすなはち往生を得。 またこの人世にありて自然に孝を行ず、また出離のためのゆゑに孝道を行ぜず。

現代語訳もつけてあげます。

この文をもって証明すると、 これはまだ仏法に遇わない人であって、 父母に孝養をつくすといっても、 心に出離をねがい求めたことはない。 ただこれは臨終に、 はじめて善知識が往生を勧めてくださるのに遇い、 この人はその勧めによって浄土に心を向けて、 そこで往生を得るのである。 またこの人は平生のとき自然に孝養を行ったのであって、 出離のために孝養をつくしたのではない。


長い文章の読めないあなたのために簡潔にまとめると

中品下生とは、仏教を求めてはいないが、日頃から親孝行などの倫理道徳の善をしてきた人が、臨終になって善知識から浄土往生を勧められて、浄土往生を願ったら往生した

こういうこと。ここの「回心」は、仏教を求めてはいない状態から、浄土往生を願う状態に心を変えたことですよ。これは19願の往生ですから「回心」は自力を捨てて他力に帰すの意味ではないです。
それくらいは理解できますか?
この「回心」が自力を捨てて他力に帰すの意味とするなら、18願無しで19願の諸行往生で報土往生できることになります。ちなみに19願の諸行往生は化土往生です。
参考までに、上品上生から中品中生までは、仏教を信じて善を行うので、「回心」は必要ないから、「回心」という言葉は使われていないません。

結論を超簡潔にまとめると

中品下生の往生の「回心」は、仏教を求めてはいない状態から浄土往生を願う状態に心を変えること。
同様に「謗法闡提回心皆往」の「回心」は、仏教を謗っている状態から仏教を信じる状態に心を変えること。

投稿: 飛雲 | 2023年7月15日 (土) 15時32分

これならわかりますか。
何をあなたが言って誤魔化そうが、

3つの論点は結論が出てます。


1.「われら罪業おもしといふとも五逆をばつくらず」とは、「罪悪深重」≠「極悪最下」ということですか、違いますか?

【【月光仮面さんは間違いを認めた】】


2.「あなたのような解釈をすると願に相応しなくなります。」と仰った親鸞聖人のお言葉を出してください。


【【月光仮面さんは根拠のないことを認めた】】


3.「ただ正法を誹謗せしめて、さらに余の罪なしといへども、かならず生ずることを得じ」とはどんな意味ですか?

【【答えると自分の間違いが明らかになるので月光仮面さんは答えたくない】】

投稿: 飛雲 | 2023年7月15日 (土) 15時35分

人をばかにした発言がなくなりました。これで人同士の法論ができます。

私が言っている『回心』の意味は、あなたが最初に示された「謗法・闡提、回心すればみな往く」(教行信証信巻)で親鸞聖人が言われている『回心』の意味です。もともと『回心』の意味はあなたが言われるように2つあります。
①仏教を謗ることをやめて仏教を信じるようになる。
②自力を捨てて他力に帰す。
です。

あなたは、そのことを善導大師が書かれた『観無量寿経疏』で説明された。しかし、ここで使われている『回心』の意味と、親鸞聖人が使われた『回心』の意味が同じだとは言えません。なぜなら、あなたもご存じなように『念仏』といっても自力の念仏と他力の念仏があり、字は同じでも、意味は全然違います。親鸞聖人が言われた『回心』と善導大師が言われた『回心』が同じ意味であることを根拠をもって示さなければいけないということです。まだ、お伝えしたいことはありますが、長文になるのでやめます。

投稿: 月光仮面 | 2023年7月15日 (土) 16時50分

親鸞聖人の「回心」を『教行信証』化土巻より

それ雑行・雑修、その言一つにして、その意これ異なり。雑の言において万行を摂入す。五正行に対して五種の雑行あり。雑の言は、人・天・菩薩等の解行、雑せるがゆゑに雑といへり。もとより往生の因種にあらず、回心回向の善なり。ゆゑに浄土の雑行といふなり。


ここは雑行の定義ですね。最後の

もとより往生の因種にあらず、回心回向の善なり。ゆゑに浄土の雑行といふなり。

これは

元々は往生の因でない善を「回心」回向する善を浄土の雑行という

との意味です。
倫理道徳の善と聖道門で教える善を「回心」して回向したものが雑行。

この「回心」を自力を捨てて他力に帰すだという解釈をする人はいないでしょう、あなたを除いて。

この「回心」は、仏教とは本来関係ない倫理道徳の善を浄土往生のためと心を変える、及び聖道門の善を浄土往生のための善に変えるという意味です。

聖道門から浄土門へ心を変えるとの意味でも親鸞聖人は使われていますが、仏教を信じていない状態から仏教の浄土門を信じる状態に変えるの意味を拡大したものです。

いずれにしろ、この「回心」を自力を捨てて他力に帰すの意味にすると

往生の因でない善を自力を捨てて他力に帰して阿弥陀仏に差し向ければ浄土の雑行という

というトンチンカンな解釈になります。信後に善を差し向けると雑行になるのですか?親鸞会でもそんなバカなことは言いませんよ。
あなたはこのトンチンカンな解釈がまともというのでしょうか?

投稿: 飛雲 | 2023年7月15日 (土) 16時52分

それで立派な仏法者である月光仮面さんは、
>2010年からコメントがない理由がわかりました
という“誤解”に対する謝罪はしたのですか?
それともまだ
> 2010年からコメントがない
と思っているのですか?
2010年のこのエントリーの後、次々とエントリーを更新されたら、超常識として他のエントリーにコメントしていくものですが、そんなことも知らないのですか?
知らなかったが教えてもらったら、“誤解”だったと謝罪するのが仏法者ではないのですか?

投稿: osu | 2023年7月15日 (土) 16時55分

何をあなたが言って誤魔化そうが、
3つの論点は結論が出てます。

1.「われら罪業おもしといふとも五逆をばつくらず」とは、「罪悪深重」≠「極悪最下」ということですか、違いますか?
【【月光仮面さんは間違いを認めた】】

2.「あなたのような解釈をすると願に相応しなくなります。」と仰った親鸞聖人のお言葉を出してください。

【【月光仮面さんは根拠のないことを認めた】】

3.「ただ正法を誹謗せしめて、さらに余の罪なしといへども、かならず生ずることを得じ」とはどんな意味ですか?
【【答えると自分の間違いが明らかになるので月光仮面さんは答えたくない】】

投稿: 飛雲 | 2023年7月15日 (土) 16時58分

飛雲様

議論の当事者ではありませんが、大変勉強になりました。
ありがとうございます。
必死で食いついている高森学徒も、いつかは謗法の心を回心して真面目に聞法をすることがあるかも知れませんね。(希望的観測ですが)
高森学徒は「貴方には信心が無いから分からないのだ」と言いがちですが、自ら未信である高森学徒がそれを言う愚かさに気付くべきです。

「いま弥陀の本弘誓願は、名号を称すること下至十声聞等に及ぶまで、さだめて往生を得しむと信知して、一念に至るに及ぶまで疑心あることなし。」
信心はこれですべてと言え、直感的に理解することも出来ますが、論理的に緻密に理解することも可能であるとコメントを拝見して改めて感じました。

投稿: ミントスプレー | 2023年7月15日 (土) 17時46分

ミントスプレー様

私は高森会長をはじめ、講師部員、幹部会員、一般会員を含めて、数百回の法論をしてきましたので、親鸞会が言ってくることは初めから判っていますので、コメントは事前に用意できますし、その場で速攻で反論することも容易いことです。
今回のも、何回も法論していますので、別に大変でも何でもないことです。
後は会員が理解しようとするのか、何が何でも自分が正しいを貫いて耳を塞ぐかの二択です。後者が多いことは悲しいことですが、向かってきた相手には理屈が通じるのなら付き合います。理屈が通じなくなったら見捨てます。

投稿: 飛雲 | 2023年7月15日 (土) 17時55分

けっこう仮面さんの暴言

この和讃の意味を謗法、闡提でなくなればではなく、そういう者であると知らされればです。なぜなら、あなたのような解釈をすると願に相応しなくなります。解釈が単純すぎます。

善導大師は謗法闡提でなくなればという意味で仰ったとけっこう仮面さんは認めたわけですよね。
善導大師は願に相応しなくなる、つまり善導大師は救われていないってことでしょう。
これを撤回するのかしないのか?
仏法者は、自己の誤りを素直に認めて謝罪するものだろうが?


この和讃の意味を謗法、闡提でなくなればではなく、そういう者であると知らされればです。なぜなら、あなたのような解釈をすると願に相応しなくなります。解釈が単純すぎます。

これは、善導大師に対する暴言であり、飛雲さんに対する礼を失した発言と認めて謝罪せよ。

投稿: SS | 2023年7月15日 (土) 20時44分

>この和讃の意味を謗法、闡提でなくなればではなく、そういう者であると知らされればです。なぜなら、あなたのような解釈をすると願に相応しなくなります。解釈が単純すぎます。

これは言い訳できない大失言でしょう。
善導大師と飛雲さんが同じ解釈と認めたのなら、善導大師の解釈が単純すぎると誹謗し、願に相応していないとまで言い切っては、謝罪でも済まされないです。

月光仮面さんが仏法者を名乗るのなら、善導大師と飛雲さんにまず誤りなさい。そして親鸞聖人も同じ解釈なので、少なくとも月光仮面さんは親鸞学徒ではありません。

他人を批判する前に、自分が善導大師と親鸞聖人を謗って飛雲さんを罵ったことを、地面に額を一日中擦り付けて土下座してからきなさい。

投稿: ボンブ | 2023年7月15日 (土) 21時19分

ブログについては、反省し素直に謝罪したいと思います。
さて、急に何人もの方が登場してきてびっくりしました。推測が得意で欠点である私が考えると、「飛雲さんが文体を変え、一人何役もされている。飛雲さんの賛同者(仲間かな?)がコメントしてきた。」そう思うのは、何ら根拠も示さず、飛雲さんを応援しているからです。ここはもう少し考えてからコメントをした方がよかったですね。

まあ、いろいろ考えられますが、このようなやり方は違う場所でも見たことがあります。今回は、なんか飲み屋で何人もの人に囲まれて文句を言われたような気分になりました。最後のボンブさんの「地面に額を一日中擦り付けて土下座してからきなさい。」の発言なんかは、本当に仏教者の発言ではありませんね。(仏教者ではなかったら失礼します。)

私は、飛雲さんと法論しているので、他の人とは関わりたくないです。

さて、今回の飛雲さんの返信ですが、私がお聞きしたのはあくまで
「謗法・闡提、回心すればみな往く」と、ここで親鸞聖人が言われている『回心』の意味です。ちがうところで、親鸞聖人が言われている『回心』の意味を聞いているのではありません。なぜなら、『回心』の意味は一つではなく、いろいろとあるからです。

投稿: 月光仮面 | 2023年7月15日 (土) 23時52分

「謗法罪の者は絶対に救われないと親鸞聖人が断言されています。」

その通りです。絶対に救われない私を救ってみせるとたてられたのが本願であり、南無阿弥陀仏の仏心を与えて凡心と一体になり、二種深信がたって救われるのです。

「これすなわち権化の仁、斉しく苦悩の群萌を救済し、世雄の悲、正しく逆謗闡提を恵まんと欲す。かるがゆえに知りぬ。円融至徳の嘉号は、悪を転じて徳を成す正智、難信金剛の信楽は、疑いを除き証を獲しむる真理なりと。」とありますから、逆謗闡提を救うのが、阿弥陀仏のみこころであります。

投稿: 中学生 | 2023年7月16日 (日) 00時04分

あなたも認めたように善導大師の「回心」には

①仏教を謗ることをやめて仏教を信じるようになる。
②自力を捨てて他力に帰す。

の2つの意味があります。

そして親鸞聖人の「回心」にも

①仏教を謗ることをやめて仏教を信じるようになる。
(聖道門から浄土門へと心を変えることも含む)
②自力を捨てて他力に帰す。

があります。

さて、『教行信証』信巻で『法事讃』を引かれた親鸞聖人の御心は如何に?

その鍵を握るのが、『法事讃』の前に引かれた『浄土論註』の

ただ正法を誹謗せしめて、さらに余の罪なしといへども、かならず生ずることを得じ

です。この意味について問うているのに、答えを必死に避けていますよね。なぜですか?

なおこの直後には

また正法はすなはちこれ仏法なり。この愚痴の人、すでに誹謗を生ず、いづくんぞ仏土に願生するの理あらんや。

とあります。

謗法の者は、浄土を願う心が無いから往生できる理屈がない

これで応えやすくなりましたよね。二者択一です。

A.ただ謗法罪をつくって五逆や十悪などの罪はないとしても、絶対に往生できない
B.ただ謗法罪をつくって五逆や十悪などの罪はないとしても、絶対に往生できる

簡単でしょ。

Aだと救われない器が救われる器になる「回心」が必要で、
Bなら謗法罪は元々救われる器だということで「謗法闡提回心皆往」の「回心」は自力を捨てて他力に帰すの意味

投稿: 飛雲 | 2023年7月16日 (日) 02時31分

他の方も言われている通り、少なくとも

善導大師の解釈と私の解釈は同じ

と認められたわけです。だったら、あばたの

>この和讃の意味を謗法、闡提でなくなればではなく、そういう者であると知らされればです。なぜなら、あなたのような解釈をすると願に相応しなくなります。解釈が単純すぎます。

は適切なコメントであったのか不適切なコメントであったのか考えてみてください。
そしてしかるべき態度をとるのが仏法者ではないでしょうか?

ブログの件もそうですが、あなたの無知と推測が他人を不快にさせていることに気がつくべきでしょう。

投稿: 飛雲 | 2023年7月16日 (日) 02時51分

私は飛雲さんのファンですが、それが何か?
今頃、ブログの件だけ、謝罪ですか。立派な仏法者だこと。
根拠示さないと他人を批判するけど、根拠示していないのは、月光仮面さん、あなたでしょう。
高森会長の嘘とあなたの憶測だけしか語っていないでしょう。根拠も示さない憶測と罵りのコメントで法論のつもりとは、笑えますよ。
まずは自己の暴言を謝罪したらどうですか?
薄っぺらいプライドが邪魔して謝罪もできないのですか?

>この和讃の意味を謗法、闡提でなくなればではなく、そういう者であると知らされればです。なぜなら、あなたのような解釈をすると願に相応しなくなります。解釈が単純すぎます。

これに対する謝罪

投稿: osu | 2023年7月16日 (日) 05時41分

気に触られたようで申し訳なかったですね。
善導大師を誹謗して平気な月光仮面さんに、ついつい憤ってしまったものですから。
飛雲さんには、退会のきっかけを作ってくれて感謝しています。なので飛雲さんを誹謗する月光仮面さんを大目に見るつもりもないです。
善導大師が、謗法闡提のものは謗法闡提でなくなったら往生できる(もちろん信心を獲て)と仰っていることは、月光仮面さんも認めたでしょう。それを親鸞聖人が違う意味にされたと月光仮面さんが言われるなら、その根拠を月光仮面さんが示すのが常識というものでは?法論しているつもりなら、根拠出しなさいよ。
親鸞聖人が、謗法闡提のものと知らされたら救われると仰った根拠。
ないでしょ。何故ないか、善導大師と親鸞聖人は同じことを仰っているから。

常識も教養も学もない人に言ってもわからないだろうけどね。
教学自慢の講師に相談してここへ連れてきなさい。学だけはあるでしょうから、少しはましな議論ができるというものです。
一日中から一時間に変更してあげるから土下座して謝罪しては如何ですか?

投稿: ボンブ | 2023年7月16日 (日) 11時14分

中学生のコメントを削除しないでください。

投稿: 月光仮面 | 2023年7月16日 (日) 15時44分

中学生さんのコメントは読んでもいないので、続くようなら何か対処します。

それで回答と暴言撤回はまだですか?

投稿: 飛雲 | 2023年7月16日 (日) 15時47分

中学生さんのコメントは読んでもいないので、続くようなら何か対処します。何か対処しますとはどんな意味ですか。
このブログの本質がわかりました。

投稿: 月光仮面 | 2023年7月16日 (日) 16時18分

わかったのなら、どこかへ行きなさい。
あなたの程度の人と相手をするほど暇ではないので。
教養と知能が並以上の講師となら、いつでも法論しますので、ここに呼んできなさい。

投稿: 飛雲 | 2023年7月16日 (日) 16時32分

わたしもそろそろ退場しようと思っていました。

最後に、中学生がコメントされた、親鸞聖人のお言葉をのせます。「これすなわち権化の仁、斉しく苦悩の群萌を救済し、世雄の悲、正しく逆謗闡提を恵まんと欲す。かるがゆえに知りぬ。円融至徳の嘉号は、悪を転じて徳を成す正智、難信金剛の信楽は、疑いを除き証を獲しむる真理なり。」(教行信証)
どこにも飛雲さんが言われる「仏教を信じていない者は悔い改めて仏教を信じるように、そうしないと、逆謗闡提は救うことはできません。」とは一切言われていません。『正しく逆謗闡提を恵まんと欲す。』です。

飛雲さん、正しい親鸞聖人の教えを伝えてください。

きょう

投稿: 月光仮面 | 2023年7月16日 (日) 17時06分

続きのコメントをすでに用意していたので、参考までに


次に闡提について

「善男子、如来は知諸根力を具足したまへり。このゆゑによく衆生の上・中・下の根を解り分別して、よくこの人を知ろしめして、下を転じて中となす。よくこの人を知ろしめして、中を転じて上となす。よくこの人を知ろしめして、上を転じて中となす。よくこの人を知ろしめして、中を転じて下となす。このゆゑにまさに知るべし、衆生の根性に決定あることなし。定なきをもつてのゆゑに、あるいは善根を断ず、断じをはりて還りて生ず。もしもろもろの衆生の根性定ならば、つひに先に断じて、断じをはりてまた生ぜざらん。また一闡提の輩、地獄に堕して寿命一劫なりと説くべからず。善男子、このゆゑに如来、一切の法は定相あることなしと説きたまへり」(教行信証真仏土巻)

説明が長いと文句をいうでしょうから結論だけ。

「下」=「善根を断ず」=闡提
「中」=「還りて生ず」≠闡提

闡提は救われる器でない
闡提でなくなれば救われる器になる

解説が必要ならしてあげます。

投稿: 飛雲 | 2023年7月16日 (日) 17時22分

※ ※ ※同意事項 ※ ※ ※

親鸞聖人の「回心」には

①仏教を謗ることをやめて仏教を信じるようになる。
(聖道門から浄土門へと心を変えることも含む)
②自力を捨てて他力に帰す。

の使い方がある。

※ ※ ※月光仮面さんは認めないが並の知能があれば同意する事項※※ ※

謗法の者は、絶対に往生できない。
なぜなら浄土往生を願うことがないから。
(では謗法の者はどうすれば往生できるのかの答え)
前提として
仏教を謗ることをやめて仏教を信じるようになれば救われる器になる
【根拠:親鸞聖人のお言葉】
謗法罪はまた仏法を信ずるこころのなきよりおこるものなれば、もとよりそのうつはものにあらず。もし改悔せば、生るべきものなり。

(闡提の者はどうすれば往生できるのかの答え)
前提として
闡提の者は、闡提でなくなり仏教を信じるようになれば救われる器になる

【根拠:親鸞聖人のお言葉】
定なきをもつてのゆゑに、あるいは善根を断ず、断じをはりて還りて生ず。

ーーーーーーーーーーーーーーーーー
結論

「謗法闡提回心皆往」の「回心」意味は、
①仏教を謗ることをやめて仏教を信じるようになる。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

投稿: 飛雲 | 2023年7月16日 (日) 17時23分

鈍い人のためにちょっとだけ解説


十方衆生を救う阿弥陀仏でも阿弥陀仏に向かない人は救うことはできません。当然ながら仏教を謗る外道の者が外道を信じたまま救われるのなら、それを十刧安心と言います。

この簡単な理屈が判るかどうかが、並の知能があるかどうかの差

投稿: 飛雲 | 2023年7月16日 (日) 17時27分

さよならをしたはずではなかったのでしょうか。

『正しく逆謗闡提を恵まんと欲す。』には触れなくて、また、違う御文を示すやり方は、まさしく飛雲さんだ。

さらに「仏教を謗る外道の者が外道を信じたまま救われるのなら、それを十刧安心と言います。」と言われるが、そもそも親鸞聖人が外道の者に対して、教行信証で『謗法闡提回心皆往』と言われるはずがないです。飛雲さんの例えや解釈がまったくおかしいです。

投稿: 月光仮面 | 2023年7月16日 (日) 18時10分

まだいたのですか?

また正法はすなはちこれ仏法なり。この愚痴の人、すでに誹謗を生ず、いづくんぞ仏土に願生するの理あらんや。


先に出したこれ読めないですか?

投稿: 飛雲 | 2023年7月16日 (日) 18時13分

謗法罪の定義も知らないで、滑稽ですよ
信巻読みなさい。


 問うていはく、なんらの相か、これ誹謗正法なるやと。
 答へていはく、もし無仏・無仏法・無菩薩・無菩薩法といはん。かくのごときらの見をもつて、もしは心にみづから解り、もしは他に従ひてその心を受けて決定するを、みな誹謗正法と名づくと。

(現代語訳)

 問うていう。正しい法を謗るとは、どのようなことをいうのか。
 答えていう。仏もなく仏の教えもなく、菩薩もなく菩薩の教えもないというような考えを、自分自身でおこしたり、他の人に教えられて、その通りと心に定めることを、みな正しい法を謗るというのである。

投稿: 飛雲 | 2023年7月16日 (日) 18時18分

>そもそも親鸞聖人が外道の者に対して、教行信証で『謗法闡提回心皆往』と言われるはずがないです。

信巻読んでからコメントしましょうよ。恥の上塗りをどれだけ重ねたら恥かしいと思うのでしょうか?

投稿: 飛雲 | 2023年7月16日 (日) 18時20分

そもそも親鸞聖人が同行に対して、教行信証で謗法闡提の者だと言われるはずがないです。

末灯鈔も読んだことあります?

一口問答で教えてあげます。

問い
親鸞聖人は「善知識をおろかにおもひ、師をそしるものをば謗法のものと申すなり。おやをそしるものをば五逆のものと申すなり」(末灯鈔)と仰っていますから、全人類は五逆・謗法の者で、やっぱり必堕無間ではないですか。


答え
これも典型的な断章取義です。このお言葉の後に、「同座せざれと候ふなり。されば北の郡に候ひし善証房は、おやをのり、善信をやうやうにそしり候ひしかば、ちかづきむつまじくおもひ候はで、ちかづけず候ひき。」とあります。どのように読んでも、善証房のような五逆・謗法を造っている者に近付いてはならない、ということで、お手紙を受け取った関東の同行は、五逆・謗法の者ではないという前提です。


問い
では「善知識をおろかにおもひ、師をそしるものをば謗法のものと申すなり。おやをそしるものをば五逆のものと申すなり」(末灯鈔)は、間違っているというのですか。


答え
この後の「同座せざれ」を無視して解釈するするからおかしくなるのです。五逆罪・謗法罪が親鸞会の説明通りなら、親、兄弟、配偶者、子供、職場の同僚などとも、親しくしてはならず、同行同士集まることも、善知識、師に近付くことも禁じられたことになります。親鸞聖人は、一家離散、引き籠り、隠遁生活を勧められたことになり、会を作って多くの人が集まる法話や会合などもっての外ということでが、それが正しい解釈ですか。

投稿: 飛雲 | 2023年7月16日 (日) 18時26分

>飛雲さんの例えや解釈がまったくおかしいです。

学習しない人ですね。
飛雲さんの例えと解釈は親鸞聖人と同じなので

「親鸞聖人の例えや解釈がまったくおかしいです。」

こういうことですよ。
要するに親鸞聖人を誹謗した暴言!

撤回と謝罪をまた要求されるでしょう。

投稿: osu | 2023年7月16日 (日) 18時58分

少しは落ち着きました?
頭が混乱しているでしょうから簡単にまとめておきます。

謗法の者は、外道の者とほぼ同じ
闡提の者は、無宗教の者とほぼ同じ
なので
謗法闡提回心皆往
=外道の者と無宗教の者は仏教徒になったら皆往生できる(器となる)

「正しく逆謗闡提を恵まんと欲す。」

では外道の者と無宗教の者も救われると親鸞聖人が仰ったのは、無視か!!!!

と言うでしょうが、そこは親鸞会でも教えている通り調熟の光明で回心させてくだだるということ。珍しく親鸞会も正しいことを言っていますが、その親鸞会の主張も否定しますか?

※※※超簡単なまとめ※※※

外道の者と無宗教の者も光明によって回心させて仏教徒となって救いの器となり、更に信心を獲れば往生できる。

もちろん、真面目な同行は謗法でも闡提でもないし、自分が謗法闡提の者と知らされることもない。

投稿: 飛雲 | 2023年7月16日 (日) 19時33分

「これすなわち権化の仁、斉しく苦悩の群萌を救済し、世雄の悲、正しく逆謗闡提を恵まんと欲す。かるがゆえに知りぬ。円融至徳の嘉号は、悪を転じて徳を成す正智、難信金剛の信楽は、疑いを除き証を獲しむる真理なり。」(教行信証)

この御文が示された時点で法論は終わりました。それなのに、また、五逆とは、謗法とはと最初にもどるのですか。親鸞聖人の御文から『回心』の意味を含めて、「謗法・闡提、回心すればみな往く」(教行信証信巻)の意味も明らかになったではありませんか。教学力のある飛雲さんがわからないはずはないと思います。

教学力のある飛雲さんが、なぜ、最初にこの親鸞聖人の御文を示されなかったのか、とても残念です。私との法論なんか小さなことです。勝った負けたなんかは大きな問題ではありません。あくまで、正しい親鸞聖人の教えを明らかにして、みなさんを阿弥陀仏の本願に導くのが目的ではないのでしょうか。

          今までありがとうございました。さようなら。

投稿: 月光仮面 | 2023年7月16日 (日) 23時39分

飛雲の詐欺手口は、次のやり方です。複数の意味をもつ仏語を①の意味で議論しているところに②の意味の聖教の文を出して違うと反論する。だから、親鸞聖人のお言葉より七高僧の文が多い。源信僧都や法然上人の念仏為本や方便のご文を使う。

凡夫の意識でわかることを論ずる。南無阿弥陀仏をいただいて「いわんや我が弥陀は名をもって物を接したまう。ここをもって耳に聞き口に誦するに、無辺の聖徳、識心に攬入す。永く仏種となりて、頓に億劫の重罪を除き、無上菩提を獲証す。信に知りぬ、少善根にあらず、これ多功徳なり」といった凡夫の智恵にのらない識心などはわからないので避ける。回心も凡夫の智恵でわかる方の意味に誘導する。他力や仏凡一体がわからないから。

長文で非難し、相手を見下した言葉づかいをして、みずからを誇示する。

論破してアドレナリンが出る快感を人生の目的としている。阿弥陀仏の救いには興味がない。後生の不安も悪をおそれることも救われたいと思うこともない。

いわんや我が弥陀は名をもって物を接したまう。ここをもって耳に聞き口に誦するに、無辺の聖徳、「識心」に攬入す。永く仏種となりて、頓に億劫の重罪を除き、無上菩提を獲証す。信に知りぬ、少善根にあらず、これ多功徳なり。

↑念仏をとなえたら無上の功徳がえられると解釈するでしょう。南無阿弥陀仏と凡心が一体となって他力念仏を称えることですが、称名正因の異安心なので、都合のよい解釈をするでしょう。救われたときはわからないが、救われたことはわかるのですか。親鸞聖人は救われた年はご存知ですが。

投稿: 中学生 | 2023年7月17日 (月) 00時35分

終わったのなら来なければ良いでしょう。
それと中学生さん、あなたは生田さんですよね。あなたにはコメント禁止と言いました。日本語の能力が圧倒的に足りないから、講師を連れてきなさいと。
次コメントしたら、Ipアドレスを晒します。

投稿: 飛雲 | 2023年7月17日 (月) 01時07分

最後に付け加えておきました。謗法罪の定義さえ知らないようでは、恥ずかしい

1.「われら罪業おもしといふとも五逆をばつくらず」とは、「罪悪深重」≠「極悪最下」ということですか、違いますか?

【【月光仮面さんは間違いを認めた】】

2.「あなたのような解釈をすると願に相応しなくなります。」と仰った親鸞聖人のお言葉を出してください。

【【月光仮面さんは根拠のないことを認めた】】

3.「ただ正法を誹謗せしめて、さらに余の罪なしといへども、かならず生ずることを得じ」とはどんな意味ですか?

【【答えると自分の間違いが明らかになるので月光仮面さんは答えたくない】】

4.「正しく逆謗闡提を恵まんと欲す」だから謗法と闡提も回心すれば救われるですが、謗法罪の意味知らないのですか

【【月光仮面さんはこの謗法は外道を信じて者ではない】】

投稿: 飛雲 | 2023年7月17日 (月) 01時18分

「正しく逆謗闡提を恵まんと欲す。」の説明したのに無視するので再掲


謗法の者は、外道の者とほぼ同じ
闡提の者は、無宗教の者とほぼ同じ
なので
謗法闡提回心皆往
=外道の者と無宗教の者は仏教徒になったら皆往生できる(器となる)

「正しく逆謗闡提を恵まんと欲す。」

では外道の者と無宗教の者も救われると親鸞聖人が仰ったのは、無視か!!!!

と言うでしょうが、そこは親鸞会でも教えている通り調熟の光明で回心させてくだだるということ。珍しく親鸞会も正しいことを言っていますが、その親鸞会の主張も否定しますか?

※※※超簡単なまとめ※※※

外道の者と無宗教の者も光明によって回心させて仏教徒となって救いの器となり、更に信心を獲れば往生できる。

もちろん、真面目な同行は謗法でも闡提でもないし、自分が謗法闡提の者と知らされることもない。

投稿: | 2023年7月17日 (月) 01時29分

さよならと言いましたが、飛雲さんのことがはっきりわかりました。

最後の一文、「自分が謗法闡提の者と知らされることもない。」でわかりました。
飛雲さんは真剣に仏法をもとめ、法鏡に映し出された自分の姿をまだ見ぬ人であると。
では、本当にさようなら。

投稿: 月光仮面 | 2023年7月17日 (月) 02時05分

中学生さんありがとうございました。どこかでお会いできたらと思います。

投稿: 月光仮面 | 2023年7月17日 (月) 02時06分

二度と来なくて結構です。
善導大師を願に相応していない、解釈が単純な人と嘲る人は、創価学会のブログに行かれることをお勧めします。なお、、ブログとはたくさんのエントリーで成り立っていますので、一つのエントリーにコメントが最近ついていなくても、新しいエントリーにコメントが付いていることが常識ですので、その常識を持って創価学会ブログに行きましょう。

なお法論をご希望なら、渡部氏でも教学自慢の講師でも連れてきてください。
会話できるレベルの相手なら、いつでも法論します。

投稿: 飛雲 | 2023年7月17日 (月) 02時23分

中学生さんは、超やばい人物ですよ。
二重否定を否定の意味だと断言し
一重否定を肯定の意味だと断言し
反語を肯定もしくは疑問の意味だと断言する

並の中学生レベルならこんな間違いをしないやばい日本語レベル

月光仮面さんも同類のようで、ブログとは複数のエントリーで成り立っていることすら知らない小学校卒業レベルだし。善導大師を謗りながら撤回も謝罪もできない。

それなりの大卒講師を連れてきたら議論もできるけど、小卒連中では会話すら成立しない。

投稿: SS | 2023年7月17日 (月) 05時54分

SSはバカ星人ですね。飛雲は中村正勝さんですか。違っていたらすみません。昔、最上位の1講でしたよね。人集め金集めしないから善恵房のように一宗一派を開けませんでしたね。人類にとってはよかったのですが。

信心の行者、自然に、はらをもたて、あしざまなることをもおかし、同朋同侶にもあいて口論をもしては、かならず回心すべしということ。この条、断悪修善のここちか。一向専修のひとにおいては、回心ということ、ただひとたびあるべし。その回心は、日ごろ本願他力真宗をしらざるひと、弥陀の智慧をたまわりて、日ごろのこころにては、往生かなうべからずとおもいて、もとのこころをひきかえて、本願をたのみまいらするをこそ、回心とはもうしそうらえ。(歎異抄)

ただひとたびある回心が本当の救いです。

西本願寺の仏語辞典をよりどころにしていますね。称名正因の異安心ですよ。

IPアドレスはどこかのファストフードなので一向に構いませんよ。

投稿: 中学生 | 2023年7月17日 (月) 11時33分

「日本語が判らないあなたと話はしない」

この日本語も判らないのですね。

もう一つ

「講師を呼んできなさい」

これも判らないのですね。

それではしかるべき対処しますので。

投稿: 飛雲 | 2023年7月17日 (月) 12時00分

生田さんは、数を数えられないの?
回向に2つの意味があると言っているのに1つの意味だしかないって、やっぱり小卒?
否定と肯定は反対になってるし、反語も知らない、その上数が1しか数えられないっていって、それで生田さんのコメントに反応する価値あるか?

投稿: osu | 2023年7月17日 (月) 13時05分

質問者は歎異抄16章をコピペしていますが、歎異抄16章では回心の語に2つの意味があることを認めていると読めますね。
2つの回心の内、念仏者は往生決定の身になるべしということです。

しかしながら、歎異抄16章の本当のお味わいは後半の「信心定まりなば~」以降でしょう。

ここを見ている退会希望者がもしいたら、是非とも聖典を開いて歎異抄16章を全部拝読していただきたいと思います。

「回心もせず、柔和忍辱のおもひにも住せざらんさきにいのち尽きなば、摂取不捨の誓願はむなしくならせおはしますべきにや」
怒りを発して「破邪顕正」に刃を振り回している人はどうなるのでしょうか?
怒りを慈悲と言いくるめるおかしな集団にいるとそれすらもわからなくなるのです。

「ただひとたびあるべし」だけをつまみ食いするのではなく、「一切の事に、あしたゆふべに回心して、」から最後まで、ご信心をいただけるまで何度でも読んだら良いのです。
「読書百遍」「葦編三絶」は所謂外典の言葉ですが、まずは百回読んでみてはいかがでしょうか。
お聖教の中にも「百回読む」のおすすめはあったと思います。

歎異抄16章は後半がご信心の中身そのものです。
この心になれば往生一定であり、「後生の一大事の解決ができた心」です。

大事なところを捨てては勿体ないです。

(月光仮面氏は飛雲さん以外相手にしないようなので、それ以外の方が対象です)
(中学生は勿論対象外です)

投稿: ミントスプレー | 2023年7月17日 (月) 13時33分

追伸

聖典とは、もちろん『真宗聖典』や『浄土真宗聖典』のことです。
会長の本のことではありません。

『真宗聖典』の編者は高名な学者ですが、会長も「学者の言っていることは学問的には正しいが、信心がないから読めないのだ」と明言しています。
だから、会員であっても「学問的に正しい」部分は有り難く拝受しましょう。

さらに、歎異抄16章では柔和忍辱の心が2回出てきますが、これはご信心をいただいた結果であって、それが信心に影響を及ぼすことはないと附言しておきます。

投稿: ミントスプレー | 2023年7月17日 (月) 13時50分

バカ星人とか笑える。ワシが中村だ(笑)
1と2の違いも分からん奴と話ができるのは、明橋医師だけだよ。
ここは並の知能と精神を持った人の集まり。
数が10まで数えられるようになってから来な

投稿: SS | 2023年7月17日 (月) 14時31分

飛雲さん、2010年2月1日から2023年7月14日の間のブログ、どこにあるか教えてください。(お前には教えないよ。と言わずに。)どれだけたくさんのすばらしいコメントがあるかぜひ見たいです。

「私は、「因果の道理」というもは、現在の種蒔きが未来に花開く根拠として説いていかなければなりません」
(間違いを教えてくれたブログの内容1より 飛雲)
飛雲さんは私に創価学会のブログにいくように言いましたよね。もうあなたは正しい親鸞聖人の教えを明らかにするどころか、創価学会の手下になってしまいました。あなたの言ったことが、未来にどのような結果を招くか、しっかり受け取ってください。

投稿: 月光仮面 | 2023年7月17日 (月) 14時36分

さあ

投稿: 飛雲 | 2023年7月17日 (月) 14時37分

何度も言っている通り、並みの知能のある人となら法論はいつでも受け付けますが、びっくりするような知能、例えば

否定=肯定
二重否定=否定
反語=肯定or疑問
1=2

というような人とか、
善導大師を謗って平気な人とか、ブログの見方も知らない知能の人は、他へ行ってください。
以後、完全削除します。

投稿: 飛雲 | 2023年7月17日 (月) 14時54分

>飛雲は中村正勝さんですか。違っていたらすみません。昔、最上位の1講でしたよね。(中学生)

中学生は、こんなこと書いている時点で、親鸞会の活動にもほとんど参加してないことがバレましたね。

学生部時代に講師部にいくいくと周囲に言い続けながら結局怖気づいて大手会社に就職しましたよね。最も親鸞会の活動が激しかった時代には姿を消し、最近舞い戻ったみたいですが当然親鸞会の組織では下っ端ですね。それに我慢できずあちこちの批判サイトに投稿を繰り返しうっぷんを晴らすのはみじめだからやめてください。

最近もあなたの後輩が何人も講師部をやめました。高森会には真実がないことをがんじがらめの数十年の講師部で実感したことでしょう。

でもあなたは、いつまでも親鸞会を卒業できません。それはいつも自分を守って安全なとこで常に上から目線でぐずぐずやっているからだとおもいます。もし親鸞会の教えが正しいということなら、自分が後輩たちに言いつづけたように世間の仕事なんかしている場合ではないでしょう。今からでも仕事をやめて講師部に入って人生を高森会漬けにしてみてください。そうすれば、(おそらく)退会者たちの言っていることがわかるようになる(といいですけどね)

学生ダミーサークルの部長は居心地よかったんでしょう。
いいとこどり、安全なところで、いつも自分を守り親鸞会の教義をもとに人を見下す。そういうひとは聞けないんですよ。

覚悟がないなら、ダラダラと親鸞会批判サイトに妄想の書き込みするのはどうかやめてください。

投稿: a | 2023年7月18日 (火) 13時33分

月光仮面さんと中学生さんのコメントで分かったことは、二人とも親鸞会でも爪弾きにされたどうでも良い会員だってことですすね。
月光仮面さんは、論理が破綻しているし、飛雲さんの誘導尋問に意図も簡単にひっかるし、論点ずらしを自分で行っていることも分かっていなかったから、飛雲さんが論点ずらしだと壮大なブーメランを投げているし、飛雲さんの非難が善導大師の非難だと気がついていないし。中学生さんに至っては、飛雲さんのことを中村さんとか、会員なら絶対に言わないであろうことを言って失笑されているし、2種あると月光仮面さんでさえも認めているのに1種だけあげて、どうだ!と言って数も数えられないと罵られているし。
親鸞会でもまともな扱いを受けていないのだから、やっぱり創価学会に行った方がいいかもね。創価学会でも迷惑がられるのは予想できるがね。

投稿: 葉加瀬 | 2023年7月19日 (水) 10時14分

中学生さんは、以前に生田某と名乗っていた人ですか。
あの時も、この人頭がおかしいと思ったけど、あれから何も変わってないのですね。基本的に、小学生が使う程度の日本語しか通じないですし、飛雲さんの高尚な文章は1割も理解できていないでしょう。
月光仮面さんも同レベルですから、親鸞会爪弾き仲間で、会話したらいいんじゃないでしょうか。場所は創価学会ブログで。

投稿: 脱会員 | 2023年7月19日 (水) 20時54分

中〇〇氏は、かなりやばいらしい。
親鸞会でも要注意人物に指定されていると聞いた。
知能もやばいが人格もやばい。
親鸞会の放射性廃棄物と言われているとか。

投稿: やばい | 2023年7月21日 (金) 21時53分

ようやく、月光仮面さんと中学生さんの基地外コメントが排除されて、平穏な日々が訪れました。
月光仮面さんも中学生さんも、自分の言っていることがまともかどうか、親鸞会の講師に、このコメントを見せて判断してもらえば良いです。
親鸞会から見ても、呆れるコメントの連発ですからね。
願くば、講師をここに連れてきて欲しいです。基地外相手でなく、まともな法論を通して、親鸞会の間違いが白日に元に晒されれば、退会者も増えると言うものです。

投稿: SS | 2023年7月22日 (土) 18時21分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 間違いを教えてくれたブログの内容4:

« 間違いを教えてくれたブログの内容3 | トップページ | 必堕無間について »