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2010年1月22日 (金)

必堕無間について

親鸞会教義の誤り」には、一切衆生必堕無間が、釈尊の教説でもなければ、七高僧、親鸞聖人、蓮如上人の教えでもないことが明らかにされています。

しかし、『歎異抄』の影響なのか、江戸宗学の影響なのか、真宗では必堕無間ということを盛んに説く団体や布教師が現在でもあることは確かです。

但し、脅迫的な説き方をするのは親鸞会だけです。

親鸞聖人の御著書を拝読すればわかりますが、親鸞聖人が地獄に堕ちると仰っているところは、念仏誹謗、邪義、異安心の人に限定されています。

同行に対しては、必堕無間どころか、自力念仏では化土往生にしか往けないから、他力念仏の身になりなさいと、至る所で仰っています。「親鸞会教義の誤り」にもその根拠は多数でていますが、それ以外の根拠を挙げれば、『末灯鈔』に

詮ずるところ、名号をとなふといふとも、他力本願を信ぜざらんは辺地に生るべし。本願他力をふかく信ぜんともがらは、なにごとにかは辺地の往生にて候ふべき。このやうをよくよく御こころえ候うて御念仏候ふべし。

と書いておられます。他力本願を信じていない人は地獄に堕ちるべし、とは書かれていません。化土に生れると仰っていることをよく知るべきでしょう。

私の味わいとしては、親鸞聖人の教えは欣求浄土という崇高な目的達成のためにあるのであって、厭離穢土という低い目的達成のためにあるのではないと思うのです。『愚禿鈔』には、

自利真実について、また二種あり。

一には厭離真実なり。
聖道門        難行道
竪出         自力
竪出とは難行道の教なり、厭離をもつて本とす、自力の心なるが
ゆゑなり。
二には欣求真実なり。
浄土門        易行道
横出         他力
横出とは易行道の教なり、欣求をもつて本とす、なにをもつての
ゆゑに、願力によりて生死を厭捨せしむるがゆゑなりと。

と書いておられます。横超は、横出よりも上ですから、親鸞聖人の教えを必堕無間から逃れるためのものと考えるのは、親鸞聖人の御心に反すると思うのです。もし必堕無間から逃れるためだけであれば、自力念仏を勧められて化土往生すれば、充分といえます。しかし、親鸞聖人は化土往生を厳しく戒めておられますから、必堕無間など論外と考えられるのですが如何でしょうか。

親鸞会を辞めてから、信心決定に向かうには、必堕無間に脅えているのはマイナスと思って私は聞き求めました。

他の方はわかりません。あくまで私の場合です。

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コメント

一切衆生必堕無間は一切経に根拠のない外道の教えですからいいとして、せっかく親鸞聖人の教えに遇いながら空しく一生を終えたなら、六道輪廻を果てしなく繰り返さねばならないことは仏説です。

仏教の目的は六道から出離し、往生成仏することです。必堕無間の一大事があるといたずらに怯える必要はありません。

「阿弥陀仏に救われたい」と思って親鸞聖人の教えをお聞きすればよいと知識より聞かせて頂きました。
「そのまま助ける」勅命をそのまま聞くのが信です。如来の仰せを計らいなく受け入れ念仏する衆生になって頂きたいと念じます。


投稿: 淳心房 | 2010年1月23日 (土) 13時39分

淳心房 様

仏教は抜苦与楽の教えです。一切衆生必堕無間という精神的な苦痛を与えている団体が、仏教ではないことは明らかですね。
浄土を欣求することで、求道になると思います。
皆さんに、往生一定の身になってもらいたいです。

投稿: 飛雲 | 2010年1月23日 (土) 19時59分

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